44.魔王と聖国の女王
何が狙いなのだろう。ルノーは、胡乱げに光の乙女を見遣る。
光の乙女はその視線を真っ向から受けとめて、溜息を吐き出した。そして、立ち上がる。
「僕を殺すことにしたの?」
『違います』
「じゃあ、どういう心境の変化だろう」
ルノーは光の乙女の事など端から信用していなかった。魔界で昼寝をしていただけなのに、急に襲ってきた女。それが、ルノーの中での光の乙女なのだから。
意地の悪い笑みをルノーに向けられ、光の乙女は少したじろいだ。しかし、直ぐに咳払いをして気を取り直す。
『私は貴方に“良心”を見ました』
「ふぅん?」
『あの子がいれば、きっと大丈夫なのでしょう。だって、人間界は平和なままのようですから』
「それはどうだろう」
『え、』
「あぁ、でも勘違いはやめて欲しいな。僕のせいではないから」
ルノーが不穏な事を言うものだから、光の乙女はやはり心配にはなった。だが、ルノーのせいではないというのなら。あの子に賭けようではないか。今の自分に出来ることなど、高が知れている。
『兎に角、私は貴方に協力します。人違い、いえ、ドラゴン違いをしたお詫びもしなければなりません。このリュエルミ聖国の女王として』
「……きみ、女王だったの?」
『そうですよ』
「なのに、贄にされたんだ」
『にえ? 贄!? 違います! 元々、そういう計画だったのですよ。貴方の力が規格外過ぎたのです。立派な後継もいましたから。その子に後を託したのです』
「へぇ」
『娘は、立派に役目を果たしてくれたようです』
光の乙女が母の顔をした。それにルノーは、自分の母親を重ねる。母親とはどこもこういうものなのだろうか。
「それは、良かったね」
何となく、そう返すのが良い気がした。どうやらそれは当たっていたらしい。光の乙女が穏やかで、嬉しそうな顔をする。
『ほら、きっと大丈夫。私は女王として光の乙女として、そう判断しました。だから、貴方をお手伝いします』
「どうするつもりなの?」
『貴方はその人間の姿のままでいたいのですよね?』
「うん」
『正直言って私もこういった事例は初めてですので、どうなるかは分かりませんが……。貴方を光魔法で包み込もうかと』
「やっぱり殺す気なの?」
『魔物に光魔法が危険なのは、分かります。他に案があるなら聞きましょう』
それに、ルノーは黙り込む。他に案があるのならば、とっくの昔に実行している。
『私の残りの魔力を全て使いましょう。失敗などしてあの子に逃げられでもしたら、それこそ人間界が滅びてしまう』
「…………」
『否定しないのですね』
「まぁ……」
視線を逸らしたルノーに、光の乙女はこめかみを押さえる。これは、まずい。死闘を繰り広げたのだから、光の乙女はよく知っていた。魔王の力を以てすれば、国が一つ容易く消し飛ぶということを。
『失敗は許されない。魔力の出力を調節しながら……』
ぶつぶつと光の乙女が考え込んでいる。それに、ルノーは妙な気分になった。
ちらりと光の乙女へと視線を遣る。シルヴィのことを思い浮かべて、目を細めた。まぁ……。これが一番可能性があるかな、と。
「上手くいったら、礼をしよう」
『はい?』
「何かをして貰ったら、礼はするものだろう」
光の乙女はきょとんと目を瞬く。魔王からそんな言葉が出るとは思っていなかったのだ。良心はあの子のもの。ならば、これもそうなのだろうか。
「さっきの話さ」
『先程の?』
「平和になるかは知らないけど……。君達が作り出した負の遺産を抹消してあげよう」
『負の遺産……。そんなものが?』
「僕もつい最近までは知らなかったんだけどね。色々と探っている内に見つけたんだ。まぁ、ついでだよ。面白い余興のね」
『不安でしかないのですが……』
「平和とやらには、にえ……。いや、分かりやすい形は必要だと思うよ」
あぁ、やはり大丈夫だ。光の乙女はそう確信した。彼なりの気遣いなのだろう。贄という言い方を光の乙女が嫌がったから。
しかし、残念だ。会ってみたかった。魔王を愛に突き堕とした“あの子”に。
「そうだ。最後に聞いておきたいことがある」
『何ですか?』
「聖なる剣に闇魔法を掛けたのは、誰?」
『あぁ、あれですか。あれは、私の友が掛けてくれたのですよ』
「だから、誰かと聞いてる」
『彼の名は、ティモテ・フォネ・ソセリンブです』
光の乙女が口にした名に、ルノーは「だからか」と納得したように頷いた。
『ティモテが何ですか?』
「その男は関係ないよ。あるとするならソセリンブ家かな」
『ティモテは功績が認められるとかで、公爵位を賜ると嬉しそうにしていました』
「うん。その通りになっている」
『そうですか?』
ルノーが詳しく教える気がないのだと察して、光の乙女はそこで話を終わらせることにした。段々と慣れてきたらしい。
『では、私も最後に一つ聞きたいのですが』
「構わないよ」
『貴方の名前を伺っても?』
思ってもみなかった質問に、ルノーはきょとんと目を丸める。女王には、敬意を払うべきだろう。人間ならば。
「これは失礼しました。僕は、ルノー・シャン・フルーレスト。フルーレスト公爵家の長男です。後継ではありませんがね。それとも、魔王と言った方が分かりやすいですか?」
急に貴族らしく優雅な所作で辞儀をしたルノーに、光の乙女が固まる。そして、困ったように眉尻を下げて笑った。何ともまぁ……。最後の最後にやってくれる。
ならば、こちらも敬意を払おう。魔界の王たる存在に。光の乙女は女王らしく美しい所作で辞儀をする。
『こちらこそ、ご挨拶が遅れました。私は、ロザリー・イネス・リュエルミ。この聖国の女王です』
「もう会うこともないでしょうが、覚えておきますよ」
『ははっ、私もです。お会いできて光栄でした。どうか、あの子とお幸せに』
「精々、努力するとしますよ。逃がさないように」
謙遜や冗談などではなさそうだった。本気で言っているらしい。魔王は愛に跪いたのだ。あの子とは、本当に何者なのだろうか。
光の乙女はどうかこの男が永遠に幸福でありますようにと祈った。きっとそれが一番、平和のままでいられる。
「そろそろ帰ります。あの子を待たせているので」
『それはそれは……。愛想を尽かされる前に帰らねばなりませんね?』
やられっぱなしはいただけないと、光の乙女がニヤリと意地悪く笑った。それを見て、ルノーは不愉快そうに眉根を寄せる。光の乙女も人間だと言うことだ。
そんな事はありえないとルノーは言い返したかったが、絶対とは言い切れなかったので口をムスッと結ぶ。何とも悔しい話だ。しかし、愛想を尽かされるのはまずい。早く帰らなければと、ルノーはソワソワとしだした。
「もう帰る」
『あらあら。急に年相応の男の子のよう』
「子ども扱いはやめてくれる? それを僕が許しているのは、僕の母上だけだ」
光の乙女は『まぁ……』と目を穏やかに細める。自分の母親であれば、子ども扱いしても怒らないらしい。光の乙女はそんなルノーを見て、急激に娘が恋しくなった。
しかし、これが終わればきっと会える。光の乙女はやっと役目を終えられるのだから。永かった。ずっと聖なる剣の中で、魔王を見張り続ける日々は。
光の乙女は手を魔王に向かって翳す。もっと早くにこうなっていればと思わなくもない。しかし、これもまた定めなのだろう。後悔よりも歓喜を。光の乙女は微笑んだ。
『光よ、この者に祝福を』
ルノーの体が優しい光に包まれる。ルノーはむず痒い心地になったが、不思議と嫌悪感はなかった。
「ロザリー」
『え?』
「おやすみ」
その言葉を最後に、ルノーは本体へと触れそのまま消える。妙な別れの挨拶だと思った。
しかし、間違いではないのかもしれない。力を全て使いきったからか。それとも、安堵のせいか。自棄に眠かった。
光の乙女はクスクスと笑う。“ロザリー”などと呼ばれたのは、いつ振りだろうか。あぁ、でも、そうか。もう私はただの“ロザリー”でいいのね。なんて、ロザリーは目を閉じた。
『どうか……。どうか、末永い幸福を』
ロザリーの体が光の粒へと変わっていく。
『おやすみなさい』
風がそれを天へと運んでいった。