42.魔王とシナリオ
必然だった。“魔王”が“光の乙女”に封印されることは。最初から決められていたこと。
「邪悪なる魔王よ」
息苦しい。体が思うように動かない。目の前の女が何を言っているのかも、よく理解できなかった。
光魔法を正面から受けた魔王が、王城に叩き付けられ瓦礫に沈んでいる。それを光輝く剣を手にした光の乙女が空から見下ろしていた。
しかし、魔王は瓦礫を押し退け起き上がろうとする。派手な音を立て、瓦礫が地面に落ちていった。
「全ては愛のために」
魔王は霞む視界で光の乙女を捉える。光の乙女は聖なる剣を天に翳した。
愛。何という戯れ言をほざくのか。そんな下らないことのために、ここまでしたというのだろうか。到底、理解は出来なかった。
「さようなら」
光の乙女が魔王へと向かって剣を突き降ろす。迎え撃たなればと思った時には、遅かった。見誤ったな。魔王はただそう思った。
最早、痛みも碌に感じなかった。ただ、眠い。魔王は微睡みに身を委ねて、深く永い眠りについたのだった。
ルノーは目を開けた。目の前に静かな森が広がっている。風が木々を揺らすから、木漏れ日がそれに合わせてチラチラと光っていた。
そこで思い出す。ただの暇潰しに、何となく目についた領地に転移してみたのだった、と。
森から出る道と入る道があったから、ルノーは入る道を選んだ。森の奥へと続く一本道を特に目的もなく歩いていく。
大きな木だった。一際目立つその木に何気なくルノーは焦点を合わせた。特に何もなかった。ルノーは興味をなくして、木から視線を外す。何事もなくその木の前を通り過ぎた。
暫く歩くと、花畑に出た。何の変哲もないただの花畑であった。花びらが風に乗って、空を舞う様子をルノーは無感情に見つめる。
つまらないな。ルノーは何の躊躇もなく、足を踏み出した。足の下で、花が潰れる。ルノーは気にした様子もなく歩を進めた。
花を踏み付けにしながら、花畑を暫く進んでルノーは立ち止まる。溜息を吐き出すと、もう帰ることにした。
ルノーが指を鳴らす。次の瞬間には、邸宅へと帰ってきていた。
今日はルノーの六歳の誕生日であった。朝から祝いの言葉を沢山言われたが、社交辞令に過ぎないことは明白だった。心の底から“おめでとう”などと言っている者はいない。
自室で山積みにされたプレゼントをソファーに座ってルノーは眺めた。これだけあるのに、ルノーの興味を引くような価値ある物が一つもないとは。呆れを通り越して、嗤える。
ルノーは飽きて、自室から出た。植物園に向かうことにして歩き出す。邸宅の中は、お祝いムードに満ちていた。気味が悪いくらいに。勝手にすればいいと思った。
「これ以上は無意味かな」
植物園にある池を覗き込む。水面にキラキラと輝く白金色の髪をした少年が映った。ルノー・シャン・フルーレスト。憐れな少年だ。
彼を彼として接してくれる人間はいなかった。権力に目が眩む人間の何と多いことか。汚く醜い。
「君もそんな人間の一人になったかな?」
少年から答えなど返ってこない。当たり前だ。水面に映る少年は、ゆるりと笑みを浮かべた。嘲笑めいたそれに向かって、ルノーは手を伸ばす。
指が触れると水面が揺れた。ルノーは尚も手を止めずに、どんどんと水に手を沈めていく。ぐらっと体が前のめりに傾いた。それに逆らわずに、ルノーは池の中へと落ちる。
とても静かだった。心地が良い。それにしても可哀想だ。ルノーは今から、魔王によって殺されるのだから。
ルノーはゆっくりと目を閉じる。いつも通りに指を鳴らす動作をすれば、ルノーの体が光った。
そのあと直ぐに、植物園の池が派手に爆発したのだった。
騒がしい声が聞こえた。誰だ。こんな国に来客とは。魔王は動かない体のまま、聞こえてくる声に神経を集中させた。
「やった! やったんだ! これで復讐できる。滅びればいいんだ。こんな国!」
男の声だった。壊れたように、そのような言葉を繰り返している。歓喜に震えた声で男は高らかに笑った。
何事が起きたのか。男の声がパタリと消える。それと同時に、己の魔力が勝手に使われたような感覚がした。
何日経ったのか。いや、それ程時間は経っていないのかもしれない。どちらでも良かった。魔王にとってそれは些末なことだったからだ。
再び騒がしい声が聞こえた。何だと言うのか。魔王は暇だったのもあり、会話を聞くことにした。
「やめなさい! そんな事をして何になるの!?」
「は、ははっ、あははっ!」
「ちっ! 何か様子がおかしいぞ!」
「ちちうえ! ははうえ! なぜ!? なんで!?」
「なにあれ!? やばいよ!」
「ロラ嬢は下がってください!」
「我々の後ろへ!」
三、四人、いや、五人いる。それと、あの男もまだいたらしい。計六人もの人間がこの国に足を踏み入れたようだ。何のためにそんな面倒なことを。
「おれをひとりにしないでくれ……」
悲痛な声だった。瞬間、動きを封じていた剣が抜けていく感覚がした。それと同時に、怒りや怨みの強い感情が流れ込んでくる。この男のモノだろうか。
「そんな!」
「封印が解けるぞ! 構えろ!!」
魔王がゆっくりと目を開ける。何故なのかは分からない。しかし、妙に苛立った。こんな怒りを覚えたのは初めてであった。
あぁ、忌々しい。良いだろう。封印を解いてくれた礼も兼ねて。望み通りに滅ぼしてやろうではないか。
魔王はその巨軀を起き上がらせる。深い紺色の瞳にほの暗い感情を滲ませ、魔王は咆哮した。瞳と同じ紺色の魔力を苛立たしげに迸らせて。
「やるしかないのね」
あの女によく似ていた。光の乙女。光輝く剣を握った少女の白金色の長い髪が、風になびいている。
「全ては愛のために」
何処かで聞いた言葉だ。やめろ。忌々しい。何が“愛”だ。そんなモノは何処にも存在しない。しなかったではないか。まやかしだ。
******
ルノーはゆっくりと目を開ける。そして、普通に聖なる剣を引き抜いた。不機嫌そうに口元がへの字に曲げられる。ムスッと眉根を寄せた。
「シルヴィがどうしていないの。不愉快だ」
手に持っていた剣を無慈悲にポイッと後ろに投げ捨てる。剣はくるくると回転しながら飛んでいき、瓦礫の山に突き刺さった。
どうやら、あの剣には精神破壊の闇魔法が掛かっていたらしい。間違っても抜かれないようにしたようだが、ルノーには全く効かなかった。魔法が弱すぎたからだ。
しかし、あれは何だったのだろうか。シルヴィが存在しない架空の世界ということなのか。頭の中に流れ込んできた先程の映像をルノーは思い起こす。
ただ一つだけ。一番最初に見えたあれは、実際に起こった出来事だった。確かに覚えている。
「“愛のために”」
『そうです。全ては愛のために』
何気なく呟いた言葉に、誰かがそう返した。ルノーは聞き覚えのある声に、目を細める。先程聞いたばかりだ。いや、何百年も前にと言った方が正しいのかもしれない。
「まさか亡霊に会うとはね。流石は天に近い国、とでも言えばいいかな?」
ルノーは緩慢な動きで、声が聞こえた後ろへと体を向ける。そこにいたのは間違いなく、光の乙女であった。
体が透けているように見える。しかし、確かにそこに存在した。記憶通りの姿で。
深紅のマントが風に揺れている。騎士のような服装だ。白金色の長いストレートの髪がキラキラと輝く。強い光を宿した薄い桃色の瞳と目が合った。