40.モブ令嬢と迷い子
話って何かなぁ。ひとまずシルヴィは、トリスタンの言葉を待つことにした。陽の光が眩い。この場に不釣り合いだと感じた。
トリスタンは何も言わなかった。ただし痛いほどの視線は感じる。シルヴィは溜息を吐くと、顔をトリスタンへと向けた。
「……フルーレスト卿は?」
どうしてそこでルノーが出てくるのか。いや、そう言えばトリスタンは何かとルノーの所在を気にしていた気もする。恐ろしい相手の動向を常に把握しておきたいのは、人間の本能だろう。
「ルノーくんはですね……」
何と言って誤魔化そうかとシルヴィは思案する。トリスタンはこの三日、学園を無断欠席している。そのため、ルノーも同じなのだと知らないらしい。
「ズル休みです」
「……は?」
「トリスタン様と同じですよ」
事実を伝えることにした。変に誤魔化してボロが出ては意味がない。実際に嘘ではなかった。学園ではそういう扱いになっているのだから。
「オレはズル休みじゃないからな」
「そうですか」
「信じてないだろう。オレは、違う。大切な用事だったんだ。本当に、大事な。そうだ。俺は、違う」
まるで自分に言い聞かすように、トリスタンはそう言い募った。次いで、両手で頭を抱える。シルヴィには、トリスタンが自分自身を守っているように見えた。
「やらないと。何のためにここまで。でも。どうすれば。俺は。オレは。どこで間違えた?」
苦悶の表情を浮かべながらぶつぶつと何事かをトリスタンが呟いている。シルヴィはその様子を黙って見つめた。
不意に、トリスタンが顔を上げる。その顔に浮かんだ狂気じみた笑みには、諦めのようなものが微かに滲んでいた。
「きみのせいだ」
トリスタンはそれだけ言った。何と返して欲しいのだろう。濡れ衣でしかなかったが、シルヴィは責めるでもなく次の言葉を待つ。
「何で何も言わないんだよ」
覚束無い声音だった。トリスタンが切羽詰まったようにくしゃっと顔を歪ませる。瞳が急激に涙で濡れていった。
「何が! 何が“素敵”な場所だ! 君のせいだ。全部。全部! 君にさえ……。最悪だ。最あ、く。うっ、きみのせいだ!!」
幼子の癇癪と同じだった。イヤイヤをするようにトリスタンは頭を左右に振る。あぁ、なるほど。シルヴィは合点がいって、目をゆるりと細めた。
肯定して欲しいのか。目の前のこの男は。自分の言葉を。考えを。全てを。受け入れて欲しいと。それは随分と……狡いことを望むものだ。
逃げ道を探しているらしい。言い訳が欲しいのだ。一人では抱えきれなくなった罪悪感を一緒に背負ってくれる共犯を求めている。
「それで?」
「……は?」
「トリスタン様は何をお望みですか?」
敢えて、そう聞いた。何も気付かぬふりをして、優しい微笑みを浮かべる。やんわりと首を傾げたシルヴィに、トリスタンは呆然とした顔をした。
「……君ならどうする。君なら、どちらか一方をどうやって選ぶ?」
主語も何もあったものではない。これでは何の話か分からないではないか。しかし、シルヴィはゲームのシナリオを知っているので、何となく当たりを付けて答えた。「私の答えに意味などありませんよ」とだけ。
ヒロインならば、ここで親身になってあげるのだろう。必死に止めるのかもしれない。しかし、残念なことにシルヴィはヒロインではなかった。
「そんなこと、ない」
「他人に止められてやめるってことは、その程度のことだったと言うことです」
シルヴィの言葉にトリスタンがびくっと体を強張らせた。シルヴィはそれを無視してベンチから立ち上がる。
どいつもこいつも。モブ令嬢では手に余る。他を、ジャスミーヌを当たってくれ。もしくは、ヒロインにどうぞ。
「後悔するようなことは自分で決めるのですよ。誰かのせいにしても、その誰かは責任を取ってはくれないのですから」
少なくとも、自分ではその責任を負えないとシルヴィは判断した。だから、何の助言もしない。トリスタンの求めるモノは、シルヴィでは用意できそうになかった。
「では、私は失礼致しま、」
シルヴィの言葉が妙な所で途切れたのは、誰かに物凄い勢いで体を突き飛ばされたからである。
何が起きたのかとシルヴィは目を白黒させた。自分が今、地面に座り込んでいること。擦りむいたのだろう手の平が痛みを訴えたこと。それらのお陰で、シルヴィは自分の状況を理解することがやっと出来た。
「やめてくださいませ!!」
悲痛なその声の主に、シルヴィは視線を向ける。ジャスミーヌが泣きそうな顔でシルヴィを見下ろしていた。どうやらシルヴィを突き飛ばしたのは、ジャスミーヌだったらしい。
シルヴィは呆気に取られて、ポカンと目を丸めた。何故こんなことをされたのか、理由が思い当たらなかったのだ。
「何も知らないくせに! 酷いことを言わないでちょうだい!!」
ジャスミーヌはトリスタンが魔王復活などという凶行に及んだ背景を知っているのだろう。それは、攻略する途中で明らかになるに違いなかった。
しかし、よくよく考えて欲しい。そんなものトリスタン本人に教えてもらっていなければ、普通は知り得ない情報なのだ。ゲームの知識あり特権と言われればそれまでだが。
シルヴィは黒幕ルートを攻略しきっていないし。教えて貰ってもいないし。そんなことを言われても、それはそうだろ。としか言えなかった。
「ただのモブのくせして!! でしゃばらないで下さる!?」
ジャスミーヌの逆鱗に触れてしまったらしい。そこには、悪役令嬢がいた。更に困ったことになってしまった。やはり変に関わるべきではなかったか。
「ガイラン公爵令嬢?」
トリスタンも何が何だかと言った様子で、戸惑っている。ジャスミーヌだけが周りを置いてけぼりにして、ただ一人怒りに震えていた。
これは宥めるべきだろうか。しかし、どうやって? シルヴィは困り果てて、深い溜息を吐き出した。
瞬間、背後で稲妻が迸った。あまりに突然の雷鳴に、全員の意識がそちらに持っていかれる。
相も変わらず晴天の空に、どんよりとした雷雲が突如として現れた。空間が歪んだように、その一点にだけ。
「な、なんですの!?」
「あれ、は……」
トリスタンの声が、歓喜か恐怖か。震えているように聞こえた。
雷雲を抉じ開けるようにして、何かがこちらに来ようとしている。不穏を現実にするように、白金色の鱗がやけに美しく輝いた。
「ま、まおう……」
誰が呟いたのだろう。トリスタンだろうか。
確かにあれは、間違いなく魔王だ。雷雲の中から姿を現した巨躯は、ゲームで見るよりも迫力があった。どのくらい距離があるのかは分からないが、上空にいてあの大きさだ。近くで見るともっと大きいのだろう。
しかし、ゲームと違って魔王はうんともすんとも言わなかった。轟くはずの咆哮がいつまで経っても聞こえてこない。その場にとどまって、動こうともしなかった。
シルヴィは白金色のドラゴンを見上げて、感嘆する。かっこいいじゃないか! やはりラスボス。かっこよすぎるな、と。そして、何よりも……。
「きれい」
小さな呟きだった。ともすれば、誰の耳にも入らないような。そんな小さなものだった。
そのはずなのに、ドラゴンが首を動かす。まるでシルヴィの声に反応したかのように。しかし、それは正しいのかもしれない。何故なら、シルヴィは確かにドラゴンの深い紺色の瞳と目があったのだから。
眠そう。シルヴィにはそれが、寝ぼけ眼に見えたのだった。




