39.モブ令嬢と留守番
驚くほどに平和だ。シルヴィは周りを見回して、目を細めた。
魔王が復活する。そんな噂が秋の舞踏会のあと、王都中を駆け巡った。勿論、王都だけではなく学園も例外ではない。
しかし、本気にする者は少なかった。国王が沈黙したのもあるのだろう。信じなかった多数の人間が動かなかったので、信じた少数も動かなかった。
そんな折、ヒロインだけが動いた。シナリオ通りに聖なる剣がヒロインを呼んだらしい。国のためにとヒロインは立ち上がるのだ。何とも格好いい話である。
攻略対象者達を引き連れて、ヒロインはダンジョン攻略へと旅立って行った。それが三日前の出来事。
ディディエ曰く、「“光の乙女”の再来だってさ。流石に何がなんだか……。でも、魔王が復活するのは確かっぽいんだ。賭けるしかない、よね」とのこと。
ガーランド曰く、「“ハッピーエンド”とやらには、我々の協力が必要不可欠のようです。魔王が復活するのなら、巻き込まれたくないなどとも言っていられません」とのこと。
二人は心配いらないとシルヴィに手を振った。シルヴィは何も言えずに、そんな二人をただ見送ることしか出来なかった。
「心配しかない」
独りごちてシルヴィは、止めていた足を動かし始めた。目的地はいつものベンチ。そう言えば、その日からトリスタンもぱったりと見なくなった。何処で何をしているのやら。
シルヴィの周りから重要人物がいなくなっていく。シナリオはどのエンドへと向かっているのだろうか。皆目検討も付かなかった。
何故なら、ヒロイン達が旅立った日。夜遅くにシルヴィを訪ねてきたルノーもまた、本体を探しに旅立って行ったのだから。
夜の闇に隠れるように、シルヴィの部屋のバルコニーへとルノーはやって来た。シルヴィがなかなか寝付けなくて、一人で夜風に当たっていたのを知っていたかのように。
ルノー曰く、「直ぐに帰ってくるから。シルヴィはいい子で待っているんだよ。僕のことだけを考えながらね」とのこと。
まぁ、最初から一緒に行くつもりなどシルヴィにはなかったのだが。いざそう言われると、一緒に行こうとは言ってくれないんだなぁ。なんて、拗ねたい気持ちにもなった。
ルノーは心配しないでとシルヴィの手を離した。シルヴィは首を縦に振ることしか出来なかった。どうせ自分はモブ令嬢でしかない。仕方ない。命は大切にするべきだ。
「自分のことを考えろって言ったり。心配しないでって言ったり。どっちなんだ」
自分勝手ですこと。シルヴィはむくれながらズンズンと大股で歩き続ける。淑女のすることではないって? はしたないって? 知るか!! そんなことは今、シルヴィにとってはどうでも良かった。
ルノーは全然直ぐに帰って来なかった。だって三日だ。もう三日も経っているのだ。どこら辺が“直ぐ”なのか分からない。
シルヴィは再び急に立ち止まる。自分はどうするべきだったのか。無理にでもついていくのと。我関せずで留守番するのと。一体どちらが“自分勝手”なのだろう。
「あー……。悩んだって無意味なのになぁ」
シルヴィは分かっていた。もう、成り行きに任せるしかないのだと言うことを。そもそも、最初からそのつもりだったのだから。それを選んだのは自分自身だ。
「今更か」
シルヴィは溜息を吐くと、もういいやと切り替えることにした。ルノーが帰って来てから考えればいい。失敗したって、逃げる算段はずっと前から整えてあるのだから。
アミファンス伯爵家の底力だ。いや、ルノーはシルヴィの父親を“たぬき”だと言っていた。ならば、これが実力だ。の方が正しいのかもしれない。
シルヴィはふと思い立って、十二歳の夏に前世での夏休みの自由研究的なノリでそれを計画し出した。最初は本気で“遊び”の領域を出ないものであったのだ。しかし、それは父親が参加してきたことにより一変する。
どのくらいかと言うと、完成した計画書を見たルノーが“完成度が高すぎて軽く引くね”と言うレベルである。そこまでルノーに言わしめたのだから、問題なく逃げられるとシルヴィは考えていた。
世界旅行もきっと悪くない。ルノーが一緒なのだから、楽しい旅になるはずだ。そうなった場合はシルヴィだって無理に結婚する必要はなくなるのだから、一生独身を謳歌しても良いかもしれない。
心配な点があるとすれば、今の裕福な暮らしに慣れてしまった所だろう。いや、前世の金銭感覚もちゃんと残っている。生活が苦しくても何とかやっていける筈だ。たぶん。
「付いてくるなとか言われたらどうしよう」
まぁ、その時はその時だ。一人の方が気楽なのも頷ける。魔界に逃げるのも手だ。しかし、ヒロインも魔界に行けるとなると万が一が心配ではある。
初代光の乙女が無理だったのなら、ヒロインにも魔界で魔王討伐は無理の可能性が高いには高い。だが、忘れてはならない。ここはヒロイン至上主義の世界なのだ。油断ならない。
「んー……」
結局、ルノーの言う通りルノーの事ばかり考えている気がする。ご希望と違って、心配しまくってはいるが。
とんでもなくいい子だとシルヴィは自画自賛しておいた。ルノーが帰ってきたら、何かしら褒美でも請求してやろうか。
「まったく」
溜息を吐き出して、角を曲がった。瞬間、シルヴィは動きを止める。自分でも頬が引き攣るのが分かった。
いつものベンチには、よく見知った人物が座っていた。俯いているので表情は窺えないが、漂う空気は重い。
全力疾走で逃げるべきかと考えて、シルヴィはやめておくことにした。後でジャスミーヌに怨まれそうだ。どうして放っておいたのか、と。迷子は迷子センターに送り届けなくては。
ジャスミーヌは今どこにいるのか。流石にヒロインとダンジョン攻略には行っていない筈である。とは言っても、学年も学科も違うのでジャスミーヌともこの三日会っていない。
これは困ったことになった。職員不在では迷子センターに行く意味がないではないか。自分では手に負えない。シルヴィはこのルートを攻略したことがないのだから。
寧ろ、変に関わらない方が良いのでは? とシルヴィは足を引く。落ちていた小枝を踏んで、パキッという音がなった。こんなことって本当に起こるんだなとシルヴィは泣きたくなった。
音に反応して、ノロノロとその人物は顔を上げる。顔色が真っ青だ。シルヴィは一番にそう思った。
「シルヴィ嬢……?」
「ごきげんよう、トリスタン様」
いったい何があったのやら。いや、まだ何も起こってはいないはずだ。ならば、やはり彼は迷子なのだろう。どこに向かえばいいのか分からなくなって立ち竦んでしまった迷い子。
シルヴィはトリスタンの情報が不足しているので、不用意に近付かないことにした。そのまま距離を保ってトリスタンの様子を窺う。
「シルヴィ嬢」
「はい」
「どうしたんだ? ベンチに座らないのか?」
「花壇の様子を見に来ただけですから」
「そうか……。なぁ、少し話さないか」
何でそうなる。断るのもおかしいよなぁとシルヴィは泣く泣くベンチへと向かうしかなかった。ちょっといつもより距離を置いて、トリスタンの隣に腰掛ける。
さて、この黒幕をどうするべきか。聖なる国に行った所で、魔王はゲーム通りに暴れてはくれないのだから。いや、トリスタンが向かえばゲーム通りになったりするのだろうか。
やはり、これは困ったことになった。シルヴィは鬱々とした気分になりながら、空を見上げる。こんな日に限って、目が眩むほどの晴天であった。