35.モブ令嬢と秋の舞踏会
いつになったら慣れるだろう。ルノーにエスコートして貰いながら、シルヴィはいつも通りに出そうになる溜息を呑み込んだ。
きらびやかな会場に気後れしながらも、貴族の令嬢らしく姿勢は綺麗に優雅な所作を意識して、シルヴィはルノーについて歩く。
ちらっと隣のルノーにシルヴィは視線を遣った。ルノーは直ぐに手が出ることを除けば、普段から所作は貴族らしく綺麗だ。魔物を足蹴にしている様は、まさに魔王であるのだが。
いや、優雅な所作もそれはそれで魔王っぽいのかもしれない。一応は王様であるのだから。余裕な感じが出て、只者じゃないみたいな……。シルヴィは想像して、人気が出そうだなと思った。
「綺麗な白金色ですわね」
「本当に。素敵ですわ」
こそこそと喋っているのだろうが、結構聞こえてくるもので。シルヴィはルノーが目立ちまくっているのに、居心地の悪さを感じて視線を下に向けた。
こうなるだろうなとは予想していた。クラリスにも言われていたので覚悟はしていたが、注目されるのは苦手だ。断るんだったなぁと、どうしても思ってしまう。
「それに比べて、隣の焦げ茶色ったら……」
「恥ずかしくないのかしら」
ほら、始まった。誰かの悪口を言わなければ、生きていけないのだろうか。ここは空気に徹することに決めて、シルヴィは出来るだけ気配を消すことに努めた。
前世から得意なのだ。これで授業中、教師に当てられたことはないのだから。シルヴィは自信満々で内心笑んだ。
そんなこととは露知らず、ルノーは少し俯いたシルヴィを不思議に思って視線を遣る。そこで、周りの好奇の目と悪口に初めて気づいた。どうやら喧嘩を売られたらしい。
ルノーはシルヴィから視線を上げると、スゥ……と鬱陶しそうに目を細める。そのまま威圧するような視線を周囲に向けた。一瞬で空気がピリッと緊張したようなものに変わる。
急に周りが静かになったのと、苛立たしそうなルノーの魔力が肌に刺さった気がして、シルヴィは弾かれたように顔を上げる。ルノーに顔を向けながら「ルノーくん?」と呼び掛けた。
「ん?」
驚くほどに美しい微笑みが返ってきた。しかし、シルヴィは知っている。この微笑みは機嫌が悪い時のそれであると。
今のルノーであれば指を鳴らすだけで、会場を吹き飛ばすなんて容易いだろう。シルヴィは、すまない。力ない私を許せ……。と秒で諦めた。しかし一応は、止めるだけ止めとこうかなと考え直す。
「フレデリク・リナン・ジルマフェリス皇太子殿下御入来!」
瞬間、会場に響き渡った声により人々の注意がそれる。扉が大仰しく開き、フレデリクとロラが会場へと入ってきた。
それにより、ルノーも興醒めしたらしい。会場を支配していた緊張が違う類いのものへと変わっていく。シルヴィはフレデリクに感謝しながら、ほっと息を吐き出した。ナイスです。殿下、と。
「あれが、ロラ・リュエルミ?」
「ほら、あの貧乏男爵家の令嬢ですよ」
「ガイラン公爵令嬢とどちらが」
「どうだろうな」
奇異の目がロラに向けられている。新しい皇太子妃になるかもしれない令嬢。それはつまり未来の国母になる可能性があるということ。品定めしながらも、周りの者達は辞儀をした。
シルヴィとルノーも慣例に従って、辞儀をする。フレデリクはロラをエスコートしながら、会場の真ん中へと歩いていった。
流石のロラも緊張しているらしい。顔が強張っていた。イベントではたしか、このままダンスが始まる筈だ。その途中で、悪役令嬢が割り込んでくる流れだった。
「緊張することはない」
「フレデリク様……」
「俺のリードに身を委ねなさい」
「はい。分かりました」
目の前でゲーム通りの展開が繰り広げられている。セイヒカだーー!! シルヴィもテンションが上がって、心の中で叫んでしまった。やっとちゃんとしたイベントに出会したのだ。それはこうなる。シルヴィとて、セイヒカが好きなのだから。
周りの生徒達も、辞儀を解いてパートナーと手を取り合う。シルヴィも姿勢を元に戻した。
「シルヴィ」
「うん?」
「僕と踊って頂けますか?」
恭しく手を差し出したルノーに、シルヴィはきょとんと目を瞬いた。たまにこうして貴族らしく振る舞うのは何なのだろうか。
シルヴィはルノーの手を見つめて、少し考える。ここは自分も淑女らしく振る舞うべきだろうか。振る舞うべきなんだろうな、と。
「勿論ですわ。よろこんで」
優雅な微笑みと綺麗な所作でルノーの手を取った。ふわっと引き寄せられて、シルヴィは目を丸める。ダンスの授業で慣れている筈なのだが、何故か距離を近く感じた。
今日は学園の行事なので、あくまでも正式な場ではない。しかし人前でダンスをするのは初めてであるため、シルヴィは緊張した。
しかも相手は教師ではなくルノーだ。何だか気恥ずかしくて、シルヴィは微かに俯いてしまった。いつもだってこの距離感であるのに。
「顔を上げて、シルヴィ。礼儀だよ」
そんな事はシルヴィだって分かっている。態々、耳元で言われなくてもだ。これは、弄ばれているのかもしれない。最近、色々と心臓に悪いことばかりルノーにされている気がする。
シルヴィは不貞腐れたような顔で、ルノーを見上げる。合ったルノーの瞳は、心底嬉しそうなものであった。
「照れているの?」
「……足踏んでやる」
「シルヴィに踏まれても痛くないよ」
「それは流石に痛いと思う」
本気で踏む気はなかったが、ルノーなら万が一踏んだとしても許してくれそうだ。シルヴィはちょっと緊張が解れて、へらっとはにかんだ。
「ルノーくんが素敵過ぎるのよ」
それにルノーが魔力コントロールを失敗したのは、言わずもがな。しかし、辛うじて会場外での爆発に収めたらしい。何処か遠くの方から爆発音が聞こえた。
それに、場が固まる。フレデリクが大袈裟に咳払いをしたことにより、音楽隊は我に返ったようだ。
ゆったりとした三拍子が耳朶に触れる。誰もが知っているワルツ曲だ。それに合わせて、ルノーがステップを始めた。シルヴィもリードに合わせて足を踏み出す。
ステップ、ステップ、クローズ、ターン。滑らかに。淀みなく。踊りやすいのは、ルノーのリードが良いからだろう。
「上手だね」
「ふふっ、ありがとう」
「別に踏んでくれても構わなかったけど」
「ルノーくんなら避けれるでしょう」
「どうかな?」
視界の端でドレスの裾がふわりと揺れる。明るい世界で異質な二人。唯一煌めく白金色が強調されて、人目を引いた。それこそ主役を食う勢いで。
「シルヴィは主役になりたい?」
「何の?」
「今夜の舞踏会だよ」
シルヴィは思ってもみなかった言葉に、パチパチと目を瞬く。ステップを間違えて、本当にルノーの足を踏む所だった。
「わっ!?」
「っと、大丈夫?」
「ご、ごめんなさい」
「構わないよ」
体勢を崩しそうになったシルヴィをルノーが完璧にフォローしたので、シルヴィが転ぶなんて惨事にはならずにすむ。
「既に人酔いしそうなので、テラス希望です」
「それは大変だ。僕も静かなテラスの方がいいから、これが終わったら行こうか」
「ふふっ、甘いものでも食べようよ」
「そうだね」
シルヴィが望むのなら、このままフレデリクと同じ会場の中央にでも行こうかと思っていたルノーだが、予想通りの回答がシルヴィから返ってきてやめにした。シルヴィらしくてとても安心する。
ルノーは踊りながら、然り気無く目立たない位置へと移動した。完璧に緊張が解れたのだろう。シルヴィの楽しそうな顔を誰にも見せなくて良いのなら、その方が喜ばしいのだから。
「舞踏会も悪くないな」
「確かに、ダンスは楽しい」
「……僕以外の誘いを受けるつもりなの?」
「んー……。ガーランド様やディディエ様ならお受けするかなぁ」
とは言っても、やはり社交の場なのだから余程の事がない限りは、誰からの誘いであっても受けるのがマナーだろう。
「…………ガーランドならいいよ」
ルノーにもの凄い渋い顔で不満気にそう言われて、シルヴィは「えぇ……?」と戸惑った声を出したのだった。




