30.モブ令嬢とパートナー
もうそんな時期か。シルヴィは肌寒い風に秋の終わりを感じた。
この【セイヒカ】のシナリオは一年間だけ。つまり、ゲームは佳境を迎えようとしている。
魔王討伐前の大きなイベントはあと二つ。攻略対象者が決まる秋の舞踏会と聖なる剣を手に入れるためのダンジョン攻略。
もうすぐその一つである秋の舞踏会がある。この秋の舞踏会は、卒業式後の舞踏会の予行演習的な行事だ。
このジルマフェリス王国では、学園の卒業と共に社交界デビューをする。なので、その時に恥をかかぬようにということらしい。
しかし、ここは学園。何だかんだと言いながら学生である若者の関心といえば、決まりきっている。舞踏会と言えば、パートナーだ。
婚約者がいる者は、勿論その人とパートナーになるのだが。いない者にとっては、ドキドキの行事らしい。気になるあの方と一緒に参加したい!! と。
今、学園はふわふわと浮わついていた。
「助けてくれ!」
この男を除いて。
いつもの校舎裏の花壇の前。今日も今日とてトリスタンが嘆いていた。
「お、俺には無理だ。無理だろ? 普通に考えて無理だから……」
「あらぁ……」
秋の舞踏会といえば、婚約破棄イベント。まぁ、あのフレデリクが皆の前でそんな事をするとは思えないので、そのイベントが発生することはなさそうだが。
しかし、ヒロインはフレデリクとジャスミーヌはトリスタンと舞踏会に参加したいらしい。ここで失敗しては、穏便に婚約破棄が難しくなるのだとか。
なので、ジャスミーヌはそれはそれは熱烈にパートナーに誘っているようだ。トリスタンが怯えている。
ジャスミーヌは開き直ったのか、「お慕いしております」「好きです」「結婚してください」と押しに押しまくっているのをシルヴィは度々目撃していた。
とは言っても、学園祭では一緒にいたようなので、トリスタンも満更ではないのだとシルヴィは感じていた。でも、違っていたのだろうか。
「シルヴィ嬢はフルーレスト卿と参加するのか? 決めたのか?」
「え? それは……」
「まだなのか!?」
「まぁ……」
「じゃあ、俺と参加しよう。な? 頼むよ!」
トリスタンが半泣きになっている。シルヴィは別にトリスタンの願いを聞き入れても良かったのだが、ジャスミーヌに怨まれるのは避けたい所だった。なので、首を左右に振る。
「ごめんなさい」
「何で!?」
「トリスタン様なら大丈夫ですわ」
「見捨てないでくれ!」
「そんなに?」
遂にはベソベソと泣き出してしまった。確かにジャスミーヌは、皇太子殿下の婚約者であり公爵家のご令嬢だ。しかし、トリスタンだって侯爵家の人間なのだから、少しは自信を持ってもいいとは思う。まぁ、社交界が怖い所であるのは認めるが。
「トリスタン様ーー!!」
「うわぁ!?」
「ジャスミーヌ様、ごきげんよう」
ジャスミーヌは相変わらず元気一杯である。角から飛び出してきたジャスミーヌに、トリスタンの肩が大袈裟に跳ねた。後ろを振り返り、オロオロとしている。
「ごきげんよう、シルヴィ様。トリスタン様を貰っていってもよろしくて?」
「はい、勿論ですわ」
「シルヴィ嬢!?」
良い笑顔でそんな事を言ったシルヴィに、トリスタンが視線を戻す。弱々しく首を左右に振るトリスタンに「レディのお誘いを無下にするものではありませんわ」とシルヴィは続けた。
「では、参りましょう」
「どこにですか!?」
「さぁさぁ」
「あーーー!! シルヴィ嬢ーー!!」
ジャスミーヌに腕を引っ張られていくトリスタンに、シルヴィは優雅に手を振っておいた。ここで無理にでも振り払わない辺り、満更ではないのか。トリスタンが優しいだけか。
「んー……。分からない」
「何が?」
「わぁあ!?」
急に後ろから声が聞こえて、今度はシルヴィが肩が跳ねさせる。そこには、ルノーがいた。
「ルノーくん……」
「……?」
「いや、何でもないの」
シルヴィが困ったように笑ったので、ルノーはそれ以上聞かないことにしたらしい。「なら、良いけど」とこの話は終わらせた。
「ねぇ、シルヴィ」
「う、うん」
「返事は決まった?」
その言葉に、シルヴィは気まずそうに視線を逸らす。返事というのは、舞踏会のパートナーについてのだ。
シルヴィはルノーに一緒に参加しようと言われて、返事を保留にしていた。“少し考えさせて欲しい”と言ったシルヴィに、ルノーは酷く驚いた顔をしたが了承してくれたのだ。
「えっと……」
「うん」
もごもごと言い淀むシルヴィに、ルノーは何を間違えたのかと目を伏せる。お茶会も誕生日パーティーも、頼めばいつも二つ返事だったというのに。ここにきて、何故。
「たまには、その……。私以外の人とも」
「シルヴィがいい」
「…………」
シルヴィは、困っていた。もうすぐゲームは終わる。結末がどうなろうともシルヴィはルノーの幼馴染みでいる覚悟はあった。
しかし、あくまでも二人は幼馴染みだった。お互いに貴族である以上は、相手を見つけて家門を守っていかなければならないだろう。ゲームが終わっても、この世界は続いていくのだから。
学園を卒業すれば、周りの令嬢達はどんどんと結婚していくはずだ。貴族社会はそういうものなので。シルヴィとしてはそんな急がなくてもとは思うが、如何せんシルヴィはアミファンス伯爵家の一人娘なのだ。そうも言ってられない。
ルノーだって髪色が白金に戻ったのだから、これからどうなるかは分からない。結局、フルーレスト公爵家を継ぐことになるかもしれない。ならば、結婚は必須だろう。
ここは、幼馴染みとして何とかそういうことにも興味を持たせたい所。でも、やはり政略結婚だろうか。出来れば、恋愛結婚がいいなぁとは思う。
シルヴィは気付いていない。自分はモブ令嬢なので、普通の人と結婚して普通に生きていくと思い込んでいる。しかし、ヒロインと悪役令嬢以外は、シルヴィと同じゲームではモブでしかないのだと。
つまり、シルヴィの理論でいくと魔王に相応しい相手はヒロインか悪役令嬢しかいなくなってしまうのだ。しかし、そんなことになりはしない。
「シルヴィ」
「え?」
「何が不満なの?」
「んん?」
ルノーがシルヴィの両頬に手を添える。どこにも逃がさないように。
ルノーに見下ろされて、シルヴィは押し黙った。ルノーの圧が凄かったからだ。シルヴィは冷や汗をかきながら視線を泳がせる。
「言ってごらん。ね?」
「いや、あの……」
「それとも、僕以外に、一緒に参加したい人間がいるのかな?」
ゆっくりとした穏やかな声音だった。しかし、その裏にあるほの暗い何かを感じ取って、シルヴィは更にオロオロとする。何がそんなに気に障ったのかと。
「……いるの?」
「いないです」
「じゃあ、どうして?」
「それは……。いや、でも、うーん」
シルヴィの様子を見て、ルノーはどんどんと冷静になっていく。これは、大した理由があるわけではなさそうだと。危なかった。本気で嫌そうな顔をされたら、学園を吹き飛ばす所だったかもしれない。
どんどんとシルヴィが揺れているのが、手に取るように分かった。長年一緒にいるのだ。ルノーだって、シルヴィの扱い方はよく分かっている。
「そんなに嫌なの?」
ルノーが急に屈んで視線を合わせてきた。それに、シルヴィは目を瞬く。一変して捨てられた子犬みたいな雰囲気を出してきた。
態とだなとは思った。思ったが、シルヴィはやはりルノーに甘いのだ。いつも、負ける。いや、しかし、でも。シルヴィは眉間に皺を寄せて、思案するように目を閉じた。
この舞踏会は予行演習だ。大事なのは、社交界デビューする卒業式後の舞踏会。ならば、今回は良いだろうか。シルヴィは諦めたように、溜息を吐いた。
「うん。分かった。一緒に参加しよう」
そう言いながら目を開ける。目と鼻の先にルノーがいて、シルヴィは目を真ん丸にした。
「ちかい」
「あぁ、口付けていいのかと思って」
「何で?」
顔を真っ赤にさせてバタバタとシルヴィが暴れるものだから、ルノーは頬から手を離してあげた。惜しかった。でも、まだ駄目だと自らを戒める。もう少し。もう少しで、本体の場所が分かりそうなのに。
「そ、そういうことは、婚約者にしなさいよ」
「そう……。なら、そうするよ」
ルノーの軽い調子に、シルヴィはいつの間にこんな女誑しみたいなことをするようになったんだと煩い心臓をおさえる。
「ルノーくんのバカ……」
拗ねたようにぽつりと落とされた言葉。それに、ときめきが抑えられなかったルノーの背後の木が爆発した。
「えぇ……」
モブ令嬢は気付かない。自分が魔王ルートに突入してしまっていることに。今はまだ。