05.モブ令嬢と番長伝説
さて、どうしよう。シルヴィは顔色の悪いトリスタンを横目で見つつ、考える。何と声をかけたものか、と。
ルノーは行動を起こすなら早い方が良いと、早速ベンチの事を聞きに行ってしまった。そのため今、校舎裏にはシルヴィとトリスタンしかいないのだ。はっきり言って、気まずい。
ルノーが行く前に「くれぐれも、よろしく頼むよ」とトリスタンに圧をかけていったので尚更だ。
「か、花壇の整備でも致しましょうか?」
「シルヴィ嬢」
「はい?」
「君はいったい何者なんだ?」
至極真剣な声音でもって落とされた言葉に、シルヴィはきょとんと目を瞬いた。そんなシルヴィとは対照的に、トリスタンの纏う空気はどんどん重々しくなっていく。
「あの?」
「まさか、知らないのか?」
「何をでしょう?」
「フルーレスト卿の伝説を!!」
伝説……。シルヴィはトリスタンの然も恐ろしいと言いたげな顔に、思わず現実逃避しそうになったが何とか持ちこたえた。
「入学して日が浅いのに、トリスタン様はご存知なのですか?」
「有名な話だからな」
「そんなにですか……」
社交界に出ていないトリスタンが知っていて、何故シルヴィが知らないのか。まぁ、十中八九ルノーが関係しているのだろう。
シルヴィは溜息を吐くと、意を決して伝説の内容を聞くことにした。ルノーがいない今しかチャンスはない気がしたのだ。
「その伝説とはどんなものなのですか?」
「本当に知らないのか」
「はい。ですので、教えて頂けると嬉しいのですけれど」
「分かった」
トリスタンは重々しく頷くと、神妙な顔で語り出した。
「あれは、去年の入学式のこと」
早い。シルヴィは入学式から伝説を作るルノーの番長具合に、頭が痛くなった。しかし、重要なのは内容だ。シルヴィは口を挟むことなくトリスタンの話を黙って聞く。
「何でも、魔法科の生徒が命知らずに喧嘩を売ったらしい。平民の子だったようなんだけど、どこから聞いたのかフルーレスト卿の事情を知っていたみたいで」
「そうなのですね」
「ただ、鼻で笑っただけらしいが……。魔法科の椅子が全部ぶっ飛ぶ大騒ぎになったんだってさ。まぁ、殿下のお陰で怪我人は出なかったそうだけど」
シルヴィが入学式で感じた不安が的中していたらしい。ルノー相手に、そんな危険な真似をする命知らずが本当に存在していたとは。
それにしても魔法が使えないにも関わらず、魔法科の椅子を全部ぶっ飛ばすとはどうやるのだろうか。
「ぶっ飛ぶとはどのように?」
「蹴り飛ばしたって話だ」
「蹴り……」
その生徒は前の席に座っていたのだろうか。その椅子を蹴り飛ばしたと。ぶっ飛んだ椅子の勢いで全ての椅子が巻き込まれたようだ。どれだけの威力の蹴りなんだ。
「よく怪我人が出ませんでしたね」
「あぁ、何でも偶々殿下の新入生挨拶中に起こったようで、壇上に立っていた殿下が魔法で生徒を浮かせて助けてくださったらしい」
「なるほど」
たぶんであるが、それは偶々ではないのだろう。フレデリクが壇上にいるタイミングで事を起こしたに違いない。フレデリクならそうすると見越して。
「そこで、その喧嘩を売ってきた生徒に言った言葉が凄くて……」
「……?」
「『僕は寛大だからね。選ばせてあげよう。君は、海と森ならどちらが好きかな?』って。何の事か分かるか?」
「沈むか。埋まるか。どちらか選ばせてやるってことですね」
「そう! よく分かったな」
「ははっ、まぁ……」
ルノー本人が言っていたのだから、それは分かるに決まっている。シルヴィは空笑いで誤魔化しておいた。
「その場にいた全員、教師も含めて凍りついたそうだ。だから、フルーレスト卿に近づくヤツは、まぁ、いない。なのに、だ」
意味有り気にトリスタンの視線がシルヴィに向けられる。トリスタンの言いたい事を感じ取って、シルヴィは眉尻を下げて困ったように笑った。
「私は幼馴染みなので、そんなことは今更です。まぁ、出来ればそんな伝説を作っていない事を祈っていましたが」
「幼馴染み……。だから、あんなに馴れ馴れしくして許されていたのか」
「ルノー様って呼んだら不機嫌になるのですよ。だから、ルノーくん」
「反対じゃないのか……」
トリスタンの言いたい事も分かる。普通は馴れ馴れしくした方が不機嫌になるだろう。シルヴィだけだ。シルヴィだけが、許されている。
「本当に、何者なんだよ」
「ただの伯爵令嬢ですわ。しかも、魔力なしの」
「うーん……」
トリスタンが胡乱げに見つめてくる。しかし、そんな目を向けられてもシルヴィは困ってしまう。本当にシルヴィ自身は、ただの伯爵令嬢なのだから。
「でも、怪我人が出なかったということは、ルノーくんは退いたのですよね? どうしてですの?」
「え? あぁ、殿下が『言いつけるぞ』とおっしゃったそうだ」
シルヴィは直感した。これは、聞いてはいけなかった。墓穴を掘ったらしい。
「確かー……」
トリスタンが記憶を探るように、視線を斜め上に向ける。どうか、思い出さないでくれとシルヴィは思ったが、「そうだ!」と祈り虚しくトリスタンは覚えていたらしい。
「シルヴィ嬢、に……? え?」
トリスタンの視線がシルヴィに戻ってくる。信じられないものを見るように。
それよりも先にシルヴィはトリスタンと目が合わないように、スッ……と顔を横に向けた。しかし、トリスタンからの視線が痛い。痛すぎる。
「きみ……」
「わ、私に言いつけたってどうにも出来ません!!」
「いや、いやいや! 君の名前が出た途端に大人しくなったらしいぞ!?」
「気のせいでは!?」
シルヴィは耳を塞いで、嫌々をするように首を左右に振る。殿下の野郎!! と内心で不敬極まりない悪態をついた。
そういう情報は入学する前に教えておいて欲しかった。どうして、誰も教えてくれなかったのか。ジャスミーヌ様の裏切り者! シルヴィはちょっと涙目になった。
「この話は終わりに致しましょう! さぁ! さぁ! 花壇の整備を開始です!」
空元気でシルヴィは拳を握った。こうなったら花壇の雑草に怒りやら何やらを向けてやるのだ。シルヴィは花壇の前にしゃがんで雑草を抜き始めた。
そんなシルヴィに呆気に取られていたトリスタンだが、苦笑するとシルヴィに倣って花壇の前に屈む。「君も色々と大変だな」なんて言って、雑草を抜き始めた。
「大変……」
シルヴィは思案するように、目を伏せる。答えが出たのか、視線を上げてトリスタンを真っ直ぐに見つめた。
「そうかもしれません」
そう言う割には、シルヴィの顔は困った風ではなかった。シルヴィは「まぁ、それもまた幼馴染み特権ということで」なんてどこか楽しそうに笑った。
「特権ではないだろ」
「特権ですよ」
「そうかぁ?」
納得いかないとトリスタンの瞳が雄弁に語っている。それは気付かないふりで、シルヴィは視線を雑草へと戻した。
しかし、まぁ……。ルノーはとんでもない番長伝説をおっ立てたものだ。いや、ここはポジティブに考えよう。変に絡まれなくて良いじゃないか。ここまでヤバい奴扱いされているのだから、喧嘩を売ってくる命知らずはいないだろう。そうであってくれ。
魔界の番長は何処に行っても番長なのだ。長ランをはためかせるルノーが浮かんで、そうじゃないとなる。でも、ちょっと着てるところ見たいな。と、シルヴィのオタク心が疼いたのだった。