01.モブ令嬢は卒業生
とても綺麗だなぁ。転移陣を抜けた先、悠然と佇む白金色のドラゴンとシルヴィは確かに目が合った。
暗然たる孤城に負けず劣らずの巨躯。深い紺色の瞳は、何故か愉快気に見えた。その癖、孤城は半壊しており、今も大きな音を建てて崩れ続けている。
更には、炎を吐いたらしくドラゴンの正面の森が消し飛んでいた。パチパチと火が爆ぜる音が嫌に耳に付く。
「ルノーく、んわぁあ!?」
突如訪れた浮遊感に、情けない声がシルヴィの口から飛び出る。瞬間、風がシルヴィの髪を優しく揺らした。ルノーの魔力に包まれた安心感に、シルヴィは直ぐ落ち着きを取り戻す。
風魔法で丁重に降ろされているのだと理解したシルヴィは、思いっきり両腕をドラゴンの方へと伸ばした。それに応えてくれたのか、シルヴィの体がドラゴンへと方向転換する。
「お留守番はもう嫌よ」
シルヴィはニンマリと悪い顔で笑うと、ドラゴンに抱き付いた。
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いよいよ卒業を控えた冬。ファイエット学園は、ウィンターホリデーも明け、最終学期を迎えていた。
今は放課後。シルヴィは空き教室でルノーが手に入れてくれた通信魔法具を使って、特別講義を受けていた。
「おっと、もうこんな時間か。今日の授業はここまでにしよう。何か質問はあるかい?」
「いいえ、大丈夫ですわ。本日もありがとうございました、イフラース先生」
内容は、精霊召喚。まさか攻略対象者の一人である精霊召喚の権威であるイフラースに師事することになろうとは。
ラザハルの一件でリルは、“良い感じの手土産”をしっかりと持ち帰ることに成功。女王陛下の説得に苦心したようであるが、話は上手く纏まりそうだと言っていた。
通信魔法具がイフラースの所にあるのは、ムザッファルの計らいである。シルヴィの状況は異例ではあるが、知識は持っておいた方が安全であるだろうと。
イフラースが直接、ジルマフェリス王国に教えに来られれば良いのだが。ターラの授業もあるため、このような形に収まった。
「シルヴィ嬢は覚えが早いね」
「そうでしょうか?」
「とても優秀だ。花丸をあげるよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
ふわふわとした笑顔をイフラースから向けられて、シルヴィも思わず相好を崩す。基本的にイフラースは良き先生だ。
「しかし、やはり直接会えないのは残念だな。この後、お茶をしながら初代聖天女様のお話や精霊王様の祝福についての議論などが出来れば……」
これがなければ。流石は権威と言われているだけの事はある。精霊召喚についての探究心が凄まじいのだ。
イフラースは先代の精霊王について、あまり深くは知らされていないらしい。召喚師として意見を求められることは度々あったと聞いたが、何処まで勘づいているのやら。
シルヴィのことも隠したい部分は、ぼかしつつ説明をしたとムザッファルが言っていた。聡いのか天然なのか、イフラースは読めない人物だった。
「精霊王様の祝福は、ターラ様も授かったとお聞きしました。ターラ様と議論されては?」
「そうしたいのは山々なんだけどね……。僕の講義の後に、ジュッラナール様からの淑女教育が入っているんだよ」
「あぁ、それは無理ですね」
「そうなんだ。だから、よければ少しこのままお話ししないかい?」
ワクワクとした瞳に見つめられて、シルヴィはキョトンと目を瞬く。初めてお誘いされたのだ。いつもは、残念そうにしつつも通信を切るのに。
魔蓄石に込めて貰った魔力にはまだ余裕があるため、お話ししようと思えば出来なくはない。しかし何とも間が悪いと、シルヴィは眉尻を下げた。
「申し訳ありません、先生。実は、やることがありまして」
「あぁ、謝らなくていいよ。もしかして、卒業試験があるのかい?」
「え? あぁ、はい。卒業試験は確かにありますが、それは大丈夫です。対策は完璧ですので!」
自信満々に両拳を握ったシルヴィに、イフラースはやはり優秀だとうんうん頷く。イフラースが気にした様子はなかったが、シルヴィは淑女らしくなかったかもしれないと腕をそろっと降ろした。
「その、重要なのは試験後でして」
「試験後? 何があるんだい?」
「ルノーくんの誕生日パーティーが」
もじもじと恥ずかしげに指を合わせるシルヴィに、イフラースは穏やかに目尻を下げた。なるほどそれは重要だ、と。
「プレゼントの準備だったんだね」
「うぅ……。そう、です」
「何を贈るつもりなのかは、流石に秘密かな」
「……髪を纏めるためのリボンを」
イフラースは結局、ルノーと会ったのは神殿での一度きりであった。そのため、シルヴィの言葉に記憶を探る。言われてみれば、髪を一つにくくっていた気がした。
「刺繍を……していて。少々デザインに、その……。気合いを入れ過ぎたような、気も、しないでもない、です……」
どんどんとシルヴィの声が尻すぼみに消えていく。湯気が出そうなくらい顔を赤らめると、俯いてしまった。
「そうかぁ。喜んで頂けるといいね」
「はい。何だか緊張します」
「あぁ、分かるよ。大事な人へのプレゼントは、緊張してしまうよね」
確かに誰へのプレゼントも多少は緊張してしまうものだ。しかし、きっとイフラースの言う“大事な人”は、“特別な人”であり“好きな人”であるのだろうと。今のシルヴィには、分かった。
だって、今年は今までよりも段違いに緊張しているのだから。とはいえ、ルノーの甘やかしの努力の成果か。シルヴィはルノーならば、絶対に喜んでくれるのだろうなという確信もあった。
最悪、失敗したものでも喜びそうではある。まぁ、シルヴィがそんなものをルノーに渡すことはないのだが。
「ふふっ、そうか。では、邪魔をしてはいけないから私も妻に何かお土産でも買って帰るとしようかな」
「喜んでいただけると良いですね」
「そうだね」
二人は同時に頬を緩めると、挨拶を交わし通信を終わらせた。シルヴィは一度、大きく伸びをして居住いを正す。
「ええと……」
机に広げていた紙や筆記具を片付けて、シルヴィは席を立った。この後は、イフラースに言った通り自室に戻ってリボンの刺繍を進めるとして。
《ねぇ? あの子ずっと覗いてくるけれど、放っておいていいの?》
「んんー……。どうしようかしら」
《何が目的なのでしょうか》
「なんだろうねぇ……」
先程からずっと、後ろの扉からイアサントが教室内を覗いてくるのだが。シルヴィは、気づかなかった事にしてもいいのか、どうしようかと迷っていた。
イアサントは、ジルマフェリス王国の王女だ。ラザハルでの一連の出来事を聞いていても何ら可笑しくない。というか、この敵意にも似た視線。確実に聞いている。
何の力もない魔力なしと下に見ていたシルヴィが、突如として精霊王の祝福を授かった聖天女になったのだ。イアサントとしては、面白くないのだろう。
しかし、別にその件は公表されていない。精霊ピィヨもシルヴィが呼ばなければ、精霊界で大人しくしてくれているし。相も変わらずシルヴィは、魔力なしの伯爵令嬢でしかないのだ。
《いやん……。凄い目で見られているわ。帰った方がいいかしらん》
「うん、そうしようか。メェナもピィヨも後でね」
《分かったわ》
《御意に》
小声で会話をしながら、イアサントの出方をシルヴィは窺う。敵情視察といった所か。もしかしたら、あれは隠れているつもりなのかもしれない。
ならば、このまま気付かない振りで教室を出るのが正解だろう。メェナとピィヨがそれぞれ帰ったのを確認してから、シルヴィは寮に向かって歩きだした。
背中にイアサントの視線が突き刺さっているが、平静を装って教室から出る。廊下を曲がるまでその視線を感じ続けたが、声を掛けられることは最後までなかった。
「困ったなぁ」
どうやったら諦めてくださるのか。シルヴィは独り言ちて、溜息を吐く。いや、このまま無事に卒業して婚約してしまえば万事解決なのではないだろうか。
アミファンス伯爵家としても王家としても、事を荒立てたくはない。それはきっと、ルノーも同じだろう。であれば、何もしない。それが最善手だなという結論にシルヴィは達する。
ルノーは誕生パーティーに、イアサントを絶対に呼ばないと言っていた。ディディエにもパートナーとして連れてくる気なら邸に入れないからと釘を刺すくらいの徹底ぶりだ。
「自国の王女殿下相手に……」
まぁ、自身の誕生日に面倒事など御免ということなのだろう。それは、理解できるためシルヴィは何も言うまいと口を噤む。
それに正直、ルノーに抱き付かれりしたらシルヴィだって、流石にもやもやしてしまう。まだ婚約者ではないと言われれば、黙るしかないのだから。
何だか恥ずかしくなってきて、シルヴィはこれ以上考えるのはやめた。イアサントのことは頭から追い出して、寮への帰路を急いだのだった。




