44.モブ令嬢と好きな人
あそこの亭の煌めき凄いな。シルヴィは頬の熱を冷ましながら歩いている途中、ふと目に入った三人組の眩しさに目をすぼめた。亭の外観に負けず劣らずの圧がある。
「シルヴィ嬢? どうかしたのか?」
「いや、あそこの煌めき凄いなと」
「本当にあらゆる意味で凄~い!」
「ですよね。あっ、ルノーくんと目が合った気がします」
「確実に合っているな」
「煌めき度が上がったわね~」
見るからに顔を明るくさせたルノーが素早く立ち上がった。そのままの勢いでムザッファルとジャアファルを置き去りにし、シルヴィの方へと駆けてくる。
「いやいやいや、不敬では?」
「ムザッファル陛下とジャアファル殿もこちらに気付いて近寄ってくるな」
「じゃ~、大丈夫かしら~」
などと言っている内に、ルノーが目の前までやってきてしまった。「シルヴィ!」と名を呼ぶ声が嬉しそう過ぎて、シルヴィは何も言えなくなる。
「ごきげんよう、ルノーくん」
「少し顔が赤いね……。体調が悪い? それとも陽射しのせいかな」
「んんっ! あぁ、ね? 陽射しのせいかな?」
「……? 無理は絶対に駄目だよ」
「分かってます」
シルヴィは気恥ずかしくて、ルノーの顔がまともに見れなかった。そんなシルヴィにロラとリルは抑えきれず、ニマニマとしてしまう。
「急に何事かと思ったぞ……」
「ルノー様の表情筋がそのように動く所を初めて見たかもしれません」
「ジャアファル」
「おっと、失礼致しました。思わず本音が」
ルノーが嫌そうに眉を顰めかける。しかし、シルヴィが不思議そうに小首を傾げ「そうですか? ルノーくんは表情豊かだと思いますわ」と言ったことによって、途端に表情が柔らかくなった。
それに、ムザッファルもジャアファルも面食らったように目をパチクリと瞬く。ニノンから話は聞いていたが、会うのは初めてであったジャアファルは、次いで愉快そうに目を細めた。
「お初にお目にかかります、アミファンス伯爵令嬢。ご挨拶をさせていただいても?」
「勿論ですわ、ジャアファル様」
「幸甚の極み。私はアッタール家当主、ジャアファル・アルアッタールと申します。以後お見知り置きください」
「わたくしは、ジルマフェリス王国の伯爵家長女、シルヴィ・アミファンスと申します。お会いできて光栄ですわ」
まさに絵に描いたような普通の貴族令嬢といった風だ。はてさて、この少女の何処に魔王陛下は興味を引かれたのか。ジャアファルは観察するようにシルヴィの瞳を見つめた。
この世には悪意など存在し得ない。そう言っているような澄んだ黄緑色の瞳。まるで透けるようなオアシスの泉を思わせる。死とは程遠い温室の花。
それ以外は、何処をどう見ても“普通”だった。この少女が精霊王と魔王に奪い合われたなど、誰が信じようか。ジャアファルにしてみれば、少々刺激が足りなく見えた。
「ふむ。やはり、澄んだ良い目をしている」
「王様もそう思われますか」
「あぁ、ルノー卿とは真逆だな」
シルヴィは社交辞令として軽く受け取ろうとしたのだが、何故か出てきたルノーの名にキョトンと目を瞬いてしまった。
真逆ということは、ルノーの瞳は良い目ではないということだろうか。はてと、シルヴィは視線をルノーへと移す。深い紺色の瞳と目が合って、小首を傾げた。
またしても本気で不思議そうな黄緑色の瞳が見つめてくるのに、ルノーは今度は目を瞠る。次いで、やはり穏やかに目尻を下げた。
「君には、そうは見えない?」
「え!? いや、その……」
シルヴィはムザッファルの言葉を真っ正面から否定するのも憚られて、口ごもる。最終的には伝われと言いたげに、へらっと笑った。
勿論、ルノーに伝わらない訳もなく。シルヴィの答えに、ルノーはクラクラとした愉悦を感じた。
シルヴィの瞳を通せば、僕という生き物でさえも綺麗に成り得るのか、と。あぁ、目眩がする。
「シルヴィがそう思うのなら、きっとそうなんだろうね」
ルノーの『あの子が“綺麗”だと言うものが、僕にとっても“綺麗”なのだ』という主張は生涯変わらない。誰が何と言おうとも決して。
頗る幸せそうなルノーの様子に、ムザッファルもジャアファルも先程の“シルヴィが気に入るかどうかが、僕の全てですので”という言葉を思い出していた。
流石にそれは言い過ぎなのではと思っていたが、あれはきっと嘘偽りない真実であるのだろう。この少女に、ラザハルの、世界の安寧が掛かっているようだ。
「婚礼の儀には、是非とも呼んでくれ」
「お忙しいのでは?」
「喜んで予定を開けるに決まっておるだろう」
なぜ未だに婚約者候補であるのか。いや、おそらくジルマフェリス王国の国王陛下にも訳がおありなのだろう。理解は出来るが、早々婚姻を結ぶが得策なのは明らかだ。
ムザッファルの言葉に、平然と言葉を返したルノーと違いシルヴィは困ったように眉尻を下げる。まさかシルヴィにその気はないのかと、ムザッファルは笑みを崩しそうになった。
「婚約の儀が先かと」
シルヴィがさらっと落とした爆弾に、ロラとリルが目を点にする。ハッと我に返った二人は、恐る恐るとルノーへと視線を遣った。
目をまん丸にしたルノーは案の定、顔を真っ赤にして固まっていた。爆発は耐えたらしいが、魔力が乱れに乱れてしまっている。
「シ、シルヴィ嬢!!」
「え?」
「それ以上はいけない!!」
「トキメキが爆発しちゃうから~!!」
ロラとリルの言葉に、シルヴィはルノーを見上げる。ぶわっと冷や汗が流れた。
「あれです! ニノンの婚礼の儀が先でしたね!!」
「そうよ~!」
「あぁ! 是非ともご招待頂きたいな!」
「勿論です! あっ、ですが、シルヴィ様は船での移動は大丈夫でしょうか?」
「問題ないわ! ルノーくんが一緒なら!」
それが止めであった。美しい晴天の空で大爆発が起きる。何かが燃え上がることはなかったが、「敵襲か!?」と周囲は騒ぎになった。
「シルヴィ様ったら~……」
「ふっ、耐えきれなかったか。ムザッファル陛下、申し訳ありません」
「いや、ふむ。なるほど。余も悪かったのだ。衛兵は任せると良い」
ムザッファルが、駆け付けてきた衛兵に問題ない旨を伝えてくれている。
周りの騒ぎなど聞こえていないようだ。ルノーは、ただうっとりと目を蕩けさせシルヴィを見つめる。
「うれしい。任せて。絶対に守るから」
騒ぎを聞き付けたのだろう。トリスタンとイヴォンが、走ってきた。合流した二人に、ロラとリルが事情を説明する。
「消火は必要ないんですね」
「消火する前提なのかよ」
そんな会話が聞こえてきて、シルヴィは申し訳なさに「ごめんなさい!」と言うことしか出来なかった。やはりモブ令嬢には、荷が重いのかもしれない。
******
やっとだ。暗然たる孤城の屋上で、ファイエット学園魔法科の制服を着た女が禍々しい光に包まれていく。
「あはっ、あーっはっはっはっ!」
勝ち誇ったような高笑いが辺りに響き渡った。しかし、不意に女の足元の魔方陣にヒビが入る。そのヒビはあっという間に魔法陣全体に広がり、まるで破裂したように魔法陣は四散した。
「きゃあ!?」
女はそれに巻き込まれ、強かに尻餅をついた。女が痛そうに呻き声を上げる。術が途中で失敗したのだ。
「なんで?」
呆然とした声音であった。女は理解が追い付かないのか、暫くそのままの体勢で固まっていた。いや、理解したくなかったのかもしれない。
「なん、で……っ!! 何でよ!?」
急に女が激昂した。苛立ったように髪を掻き乱しながら、「可笑しい可笑しい可笑しい!! おかしいだろーが!!」などと狂ったように喚き散らす。その様子は、おどろおどろしく異様であった。
「やっと! やっと私も幸せになれる筈だったのに!!」
何故なのか心の底から分からないと言うような。混乱が入り交じった叫びであった。息を乱した女の肩が苦し気に大きく上下している。
「あ、あの……。魔女長様?」
「うるさい!! 消えて!!」
「ひっ!? 申し訳ありませんでした!!」
女の尋常ではない喚き声が聞こえたのだろう。黒いローブのフードを目深に被った者が一人、様子を見にきたようだ。
しかし、女は気遣わしげな声に怒声を返した。逃げていく背を女は不機嫌そうに睨み付ける。癖なのだろう。そのまま親指の爪を噛み出した。
「今までは何の問題もなく発動してたじゃない。どうしてよ。ちゃんと全部のシナリオは終わったのに……」
ぶつぶつと呟く女の目は完全に据わっていた。親指は爪を噛み過ぎて、血が滲みだしている。
「何で何で何で、ねぇ、何でよ!? はじめから出来ない……っ!!」
しかし女は、術が成功しなかった理由は分かっていた。魔王ルートが開いたことにより、シナリオは破綻。現状どのエンディングにも辿り着けてはいないのだ。
「あのブス! ブスモブ!! あいつのせいだ!!」
この巻き戻しの術を発動するためには、運命られたどちらかのエンドを迎えるしかない。魔王が屠られるか。人間界が滅びるか。女は追い詰められたような涙声を出したのだった。
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これにて、砂漠の神殿編は終了となります。
短く纏めるのは難しいですね……。
次で最終章となります。最後まで、お付き合い下さると嬉しいです。
準備しますので、少々お待ち下さればと思います。頑張ります。