41.魔王と返礼
さて、どうしようか。ルノーは利と損を天秤に掛けてみることにした。
「それは、ただ話を聞きたいだけでしょうか。それとも、ラザハルも魔界と平和条約を結びたいとお考えで?」
「ふむ……。それは勿論、魔界と平和条約を結ぶことが出来るのならばそれに越したことはない。しかし、そう簡単な話ではなかろう?」
「そうですね。ラザハルと魔界の平和条約には、精霊という存在がボトルネックとなるでしょうから」
「精霊召喚師の権威イフラースの話では、新たな精霊王が近々誕生するだろうとのことだった。その精霊王が話の分かる御仁であれば或いは。いや、期待せん方が身のためか」
「お待ち下さい、王様。先代の精霊王のことは置いておきましょう。基本的に精霊は争いを好みませんゆえ」
「そう、か。そうだったな」
「精霊は我々との約束をしっかりと守ります。魔界との平和条約は、夢物語ではないかと」
ムザッファルにとって、精霊王という存在は最早トラウマと言っても過言ではないのかもしれない。警戒するのも致し方ないだろう。
しかし、ジャアファルの進言によって考えが前向きになったらしい。本格的に魔界との平和条約について熟考する事にしたのか、ムザッファルは指を顎に添えた。
「魔物の動きは二年前か。急激に活発化し、聖なる乙女の出現により再び急変、下火となった」
「魔王が魔界に逃げ帰ったそうですからね」
ムザッファルとジャアファルの会話をルノーは静観する。それにしても凄いことだ。他国でもこの情報で統制されているとは。
「ルノー卿も目撃したのか?」
「さて、どうだったでしょう」
「是非とも詳しく!」
「落ち着きなさい、ジャアファル」
「これは失礼を。ワクワクが止められません」
「止めてくれ……」
「魔王は魔界へと帰りましたが、各国での小競り合いは今なお続いております。ここラザハルも例外ではありません」
「その通りだ。ここ一年ほど深刻な被害は報告されておらんが、危険度は依然として高いままであるからな」
ムザッファルの考えが纏まったようだ。黄金色の瞳が探るようなものに変わる。
「このような問いをしたということは、ルノー卿は魔王陛下に取次ぎが出来る伝があるということだろうか」
「それは、陛下次第かと」
「……精霊王を必ず説得してみせると言ったら?」
平和条約を結んだジルマフェリス王国とヴィノダエム王国で、魔物が騒ぎを起こしたという話は聞かない。魔物達は、いい子にお行儀よくしているらしい。
しかし、二国に魔物が集中し過ぎるのは困るというのは最もなことで。滞在は順番にと定められた。つまり、中には我慢できない者がいるということだ。
小競り合いであろうとも、面倒事を起こされるのは避けたい。魔物に石を投げない国が増えるのは、ルノーにとっては利であるのだ。全てはシルヴィのために。
「その条件であれば、構いませんよ」
「真か!?」
「えぇ、嘘を吐く意味がありませんので」
ルノーの天秤が利に傾く。頷いたルノーに、ムザッファルもジャアファルも顔色を変えた。本気で魔界との平和条約は夢物語ではないというのか、と。
「か、会談の日程を……。いや、しかし、お会いするのは流石に無理があるか」
「我々は魔界には行けませんからね。残念でなりません」
「そもそもお前は、会談に参加出来んぞ」
「そこを何とか」
「ならんならん」
あくまでもジャアファルは、商人だ。王家と同等の力を持っていると言っても、流石に国家間のあれこれに口出しは出来ないらしい。ラザハルは王制であるのだから。
「無念でなりません!!」
「全力で悔しがるなお前は……」
「ジルマフェリス王国、ヴィノダエム王国、両国と結んだ平和条約と同じ内容で問題がないのでしたら、今この場で取り決められますよ」
魔界の立場としては、それで何ら問題はない。しかし、人間界というのは取り決めに時間を要することもルノーはよく知っている。そのため、本気で言っている訳ではないが……。面倒は少ないに限るのは本音だ。
「お探しの魔王ならば、お二人の目の前にいますから」
ゆったりとルノーが瞳を愉快そうに細める。対照的に、ムザッファルとジャアファルの瞳は真ん丸に見開かれた。
言葉の意味を先に理解したのは、ムザッファルであったらしい。ポロっとシーシャの美しい意匠のマウスピースを取り落とした。
次いで、ジャアファルも「ご冗談を」と引き攣った笑みを浮かべる。それに、ルノーはこてりと首を傾げることで答えた。
「ご冗談では、ない……?」
「まさか……。いや、そうか。そうであるのならば、腑に落ちることはあるが……」
「王様、何のお話でしょう?」
「ジャアファルはまだ知らんのか。メェナという魔物をアミファンス伯爵令嬢が連れておるのだ」
「魔物をですか?」
「あぁ、お供だという話でな。なぜ伯爵令嬢だけが連れているのかと疑問ではあったのだ」
ムザッファルがルノーに問うような視線を向ける。それに、ルノーは至極当然の疑問であるなと納得した。
「メェナは、あの子が気に入ったようなので。それに、丁度よいのですよ。メェナの固有魔法は、生き物を眠らせるだけのものですから」
「護衛も兼任しておるということか」
「えぇ、あの子の前で血生臭いのは困る」
ムザッファルは初対面時の悠然としたルノーの態度から、ただ単純に実力を評価され王命を受けたのだと判断していた。
しかし、伯爵令嬢の名を親しげに呼び、ソワソワと看病に通っている様子を聞いて、これはもしやと周囲に探りを入れされた。結果、婚約者候補なのだと知った時は引っくり返りそうになった。
よくもあれ程までに、平静を保てたものだと。まぁ、あの謁見時の様子からして、煮えたぎるような怒りを隠し持っていた可能性が高いだろう。首を刎ねる発言は、私怨からだったのだと今なら分かる。
そこへ持って来てのこれだ。信憑性がありすぎて、ムザッファルは否定の言葉を飲み込まざるを得なかった。
「なぜ正体を明かして下さったのかお伺いしても?」
ルノーを魔王として扱うようなムザッファルの言葉遣いに、やはり理解が早いことだとルノーは満足そうに笑む。
「“この機を逃すほど愚かではない”、そうでしょう?」
「その通りです。更に、こちらには精霊王の醜聞のこともある……。ルノー卿の損にはならんということですか」
「分かっておられるではありませんか」
「確認はせねばなりますまい」
「言質は取るべきですからね」
一通り会話をしてみたが、ルノーは別に魔王として敬われたい訳ではないので妙にむず痒い。魔物達相手であれば、気にならないのだが。
「陛下、そう気を遣って頂かなくて結構ですよ。僕はただの公爵家の子でしかありませんので」
「ふむ……。急に畏まると不審な目で見られるか」
「それは、困ります」
本気で困ったように眉尻を下げたルノーに、ムザッファルは目を瞬く。
普通に考えて、“公爵令息の”婚約者候補という話だと思っていたが。これはもしかしなくとも、“伯爵令嬢の”婚約者候補という話であったのやもしれん、と。
「では、お言葉に甘えるとしよう」
「そうして下さい」
ムザッファルが小休止を挟むように、深々と呼吸をする。取り落としたシーシャのマウスピースを拾うと、何事かを考えるように目を伏せた。
「ルノー卿よ」
「はい」
「ラザハルを気に入って貰えたという事だろうか」
「どうでしょうね。シルヴィが気に入るかどうかが、僕の全てですので」
「それはまた……」
「けれどまぁ、御礼ですよ。柔軟に対応して下さったお陰で、無事にシルヴィが隣に戻ってきてくれましたからね」
ルノーの深い紺色の瞳に、毒々しい愉悦が滲む。ムザッファルには、それが独占欲と呼ばれる類いのものに見えた。
「危うく世界を消し飛ばす所だった……。征服にも滅亡にも興味はないと思っていたのに」
戸惑うような声音でポツリと落とされたルノーの独り言が聞こえてしまい、ムザッファルは頬を引き攣らせた。危なかった。非常に危なかった。
ムザッファルは空気を変えるために、態と大きめに咳払いをする。先程の独り言は、聞かなかったことにしたようだ。
「そういう事であるのならば、有り難く受けとることにしよう。しかし、ここで即座に決めることは出来ん。ご理解頂けるか?」
「えぇ、勿論ですよ」
何というのか現実味がないなと思いつつも、ムザッファルは安堵の息を吐く。そこでふと、気味が悪いほどに静かなジャアファルの存在を思い出した。
「ジャアファル?」
「……り」
「どうした?」
「やはり、私の目に狂いはなかった!!」
ガバッと顔を上げたジャアファルの瞳は、今までの中で一番うるさかった。爛々とした目を向けられて、ルノーが嫌そうな顔をする。
「是非とも! あなた様のことを教えてくださいませ!!」
「ジャアファル」
「どうして、ドラゴンのお姿ではないのですか!? 聖なる乙女との戦いは!?」
「ジャアファル。やめなさい、ジャアファル」
「ワクワクを止めたくありません!!」
「止めてくれ……」
ルノーは面倒そうに目を逸らすと、「さぁ? どうだったかな」とだけ返した。それに、ジャアファルは更に嬉しそうな笑みを浮かべる。
「末長く仲良くして下さい……っ!!」
どうやら対応を間違えたらしい。しかし、個人的に親しくしておいて損はないと思ったのも確かだ。ルノーは溜息混じりに、「考えておくよ」と渋々そうに言った。