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39.モブ令嬢と生き残った赤子

 どこから話したものか。シルヴィは、ひとまず当たり障りのない部分から伝えることにした。


「ええと、その……。ザフラは、旧神殿でわたくしの世話をしてくれていました」

「なるほど。トリスタン卿の言っていた世話係とは、そういう意味か。では、愛人という話は?」

「愛人……? では、ないかと。ただ、そうですね。ザフラのあれが恋慕であるのかどうか。定かではありませんが、精霊王様に特別な感情を持っているのは確かです」

「あぁ、だから黙りであるのか」


 ムザッファルは、心底困ったような溜息を吐く。余程ザフラの扱いに頭を悩ませていたのだろう。

 では、やはりあの件も言っておくべきか。しかし、言いにくい。シルヴィが居心地悪そうに腕をさすり出したのに、ルノーが気遣わしげな顔をした。


「シルヴィ、大丈夫?」

「え? あぁ、ええと……」

「何かあるのなら、遠慮せずに言ってくれ。悪いようにはせん」

「そう、ですね……。これは、ナルジス様から聞いたことですので、真偽のほどは分からないのですが……」

「それで構わんから、教えてくれないか?」


 シルヴィは逡巡するような間のあと、覚悟を決めたように「はい」と、ムザッファルを真っ直ぐに見つめ返した。


「ザフラの両親は、精霊王に殺されたと」


 場に静寂が落ちる。ムザッファルは思い当たることでもあったのか「まさか……」と、消え入りそうな声を出した。


「なぜ精霊王が?」


 ルノーはザフラに興味がなかったため、ムーから情報を聞くことなどはしなかった。今も特に興味はないが、嫌な予感に従いシルヴィにそう問い掛ける。


「ナルジス様には『色々あって』と、濁されたの。でも、『誰かがファリードの邪魔をしていた』とあの時に言っていたでしょう?」


 シルヴィが何を言いたいのかを察して、ルノーが目を見開いた。次いで、ほの暗い怒気が宿った瞳を鋭く細める。


「つまり、本来の狙いはシルヴィであったということ?」

「う~ん……。それは、私の想像でしかないけれどね」


 シルヴィは自信無さげに、首を緩く左右に振った。確かに確証は何もない。しかしルノーには、それが間違いであるとは思えなかった。


「そう、か……。そうか。生き残りがいたのか……っ!!」


 今にも崩れそうに片手で目元を覆って俯いたムザッファルが、絞り出すような声でそう溢す。


「生き残り……。もしや“国内のいざこざ”の一件というのが」

「……精査の必要はあるだろう。しかしおそらく、いや、余はそうであると確信を持っておる」


 泣いているのかと心配になるほどに、ムザッファルの声音は覚束ないものであった。


「十八年前、若い夫婦が亡くなった。子どもが産まれたばかりだったのだ。しかし、その赤子は探せど探せど見つからぬ。まさか遂に精霊王は、成功したのかという話にもなった」

「あぁ、なるほど。しかし、その後も精霊王は度々目撃されたと」

「その通りだ。何かを必死に探している様子であったと報告を受けた。ならば、その赤子はどうなったのかと……」

「ザフラは、その……。下層地区の孤児院で育ったとナルジス様が言っていました」


 シルヴィの発言に、ムザッファルは勢いよく顔を上げる。混乱に染まったムザッファルの表情に、シルヴィはオロオロと狼狽した。


「精霊王様は、あまりラザハルについて詳しくないのではと。ただその孤児院が目についただけなのだと思います」

「精霊王が育てた訳ではないのか……?」

「違うようです。詳しくは分かりませんが、偶然の再会から共に暮らすようになったと聞きました」

「なんということだ……。では何故、精霊王はザフラを生かし、手元に置くに至ったのだ」


 ムザッファルが思案するように目を伏せる。ルノーも意味が分からないと言いたげだ。

 正直に言うのならシルヴィだって、精霊王の胸中を理解するなど無理な話だ。なのに、心当たりがある。あるのだ。


「目の覚めるようなエメラルドグリーンの瞳」

「……?」

「ザフラは、ナルジス様によく似た綺麗な瞳をしていますよね」


 ただただ静かな落ち着いた声だった。しかし、それが意味することは、人間には到底理解し得ない。いや、してはならない類いのものであった。

 底知れない恐怖がムザッファルの心臓を凍らせ、嫌な汗が一気に出てくる。あぁ、このような事実をあの少女が抱えきれるものなのだろうか。シルヴィが言うのを躊躇った理由がよく分かると、ムザッファルは顔を顰めた。


「もしかすると、良心の呵責という可能性もございますが」

「それだけはないよ」

「ないのかぁ……」

「ないと言い切れるよ。『私は悪いことなどしていない』それが、あの男の遺言になる予定だったからね」


 そう言えば旧神殿から飛び出した時、あともう少しでルノーの剣が精霊王の首に届く所であったことをシルヴィは思い出す。あれは本気で振り切るつもりだったのだろう。


「悪いことはしていない、か……」

「最後の最後まで謝罪の言葉はありませんでしたから」

「そうだったな」


 ムザッファルは鬱々とした溜息を吐くと、酷く寂しげに笑んだ。


「結局、精霊王が愛したのは初代聖天女だけ。ただそれだけの話でしかないのだろうよ」


 精霊王の行動の全てはナルジスのため。いや、精霊王自身のためだったのだろう。ナルジスは生き返ることなど望んでいなかったのだから。


「陛下、ザフラはこの事を知らないのです」

「そうだろうな。これは、慎重に取り扱わねばなるまい」

「はい。ザフラは精霊王様のことを恩人だと思っているのではと」

「その実、親の仇か。信じろと言う方が無理な話だな。仮に信じたとしても精神面が不安定になることは想像に難くない」


 シルヴィは不安を抑えられず、落ち着きなく指を組んだ。その様子を目に留めて、ムザッファルは余程ザフラが心配なのだなと少々驚く。

 そこまでザフラを気に掛ける必要などシルヴィにはないであろうに。最後の最後で、無情にはなれない質か。まぁそうでなければ、精霊王の首は飛んでいる。


「そう心配せずともよい。言ったであろう? 悪いようにはせんと」

「陛下……」

「余に任せておけ。ザフラの様子を見ながら伝えるかどうかをしっかりと見極める。誰にでも知る権利はある。しかし、知らぬ方がよい事も確かに存在する」

「……はい。そう、ですよね」


 シルヴィもザフラに伝えるかどうかで、頭を悩ませていた。ムザッファルも同じ考えであることが分かり、ほっと息を吐き出す。


「陛下もこう言って下さっているのだから、任せておけばいいよ」


 さらっと言い放ったルノーに、シルヴィは目を瞬く。まぁ、シルヴィに出来ることはもうないも同然なので、あれこれ考えても意味がないのは確かだ。


「うん。そうだね。そうする」


 きっとふとした瞬間に、ザフラの事を思い出しては心配になるのだろう。ムザッファルの言う通りだ。知ることが、幸せとは限らない。


「ふむ……」


 シルヴィのケアはルノーに任せるのが最善そうだなとムザッファルは判断して、口を挟むのは避けた。ロラとリルもいる。大丈夫だろう、と。

 まだまだやらねばならない事は多々ある。しかし、やっと終わったのかという思いの方がムザッファルの中では強かった。


「……永かった」


 ぽつりと、ほとんど独り言のように落とされた言葉にルノーもシルヴィも視線をムザッファルへと遣る。


「終わってみれば、実に呆気ない幕切れであった」

「所詮その程度ですよ。大抵の物事は」

「あぁ、そうなのかもしれんな」


 若き賢王の苦悩は、ゲームとは全く違うシナリオを辿り、ここに終わりを迎えた。

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