32.モブ令嬢と初代聖天女
時はシルヴィが【神秘の鏡】を見つけた所まで遡る。
問題なく作動した。眩い光に目を閉じたシルヴィが次に見たのは、鏡に映る踊り子の格好をした自分によく似た女性であった。
癖のある猫っ毛の漆黒の髪に目が覚めるようなエメラルドグリーンの瞳。間違いなく肖像画の女性だ。
綺麗なものしかこの世には存在しないと言うような澄んだエメラルドグリーンの瞳と目が合って、シルヴィは丁寧に辞儀をした。
「ご機嫌麗しゅうございます、初代聖天女様。いえ、ナルジス様とお呼びした方がよろしいですか?」
おっと、不味い。思わずルノーのような態度になってしまった。シルヴィは内心で苦笑しつつ、しかし致し方ない気もすると変な所で葛藤する。
「ジャンナ……っ!!」
そんなシルヴィの葛藤は、鏡の女性が発した言葉に一瞬で吹っ飛んでいった。感極まった様子で、女性はシルヴィを見つめてくる。
「私は貴女の妹ではないが??」
シルヴィは何とか淑女らしい笑顔だけは保ったが、もしかしたら“ニゴッ!”と濁点がついてしまったかもしれない。
女性はシルヴィの怒りに気付いたらしい。申し訳なさそうに、しゅんと肩を落とした。次いで、勢いよく顔の前で両手を合わせる。
「ご、ごめんなさい! 思わず……。と、年の頃も同じくらいで。その、そっくりだったから……」
女性はもごもごと言い訳を並べながら、視線を泳がせる。シルヴィは、もはや慣れてきたと不本意そうに溜息を吐くにとどめた。
「えっと、そうです。私がナルジスです。好きに呼んでね。貴女のことは、シルヴィちゃんって呼んでもいい?」
「どうして私の名前を」
「そうだよね!? ビックリするよね!?」
「勢いが凄い」
なるほど。これはザフラが、“聞いてたのと違う……”となる筈である。何というのか、ジャスミーヌともリルとも違う勢いの良さだった。
「人と話すのが久しぶり過ぎて、距離感が~! しかも可愛い可愛い私の天使ジャンナにそっくりの可愛いシルヴィちゃんが相手だなんて!」
「そうですか……」
「えっと、何の話だっけ? あぁ、そうだった! 私はあの世でずっと様子を見守ってたから! だから、全部知ってるのよ!」
そう言えば、そのような事が日記にも書かれていた。特殊アイテム【神秘の鏡】は、黄泉の国と繋がる不思議な鏡。今、一番会いたいと願う相手を映し出す。
ゲームでも、鏡は初代聖天女を映し出すのだ。ヒロインの事をずっと見守っていたと、力を貸してくれるのである。
「そう、全部、知って……。ご迷惑をお掛けいたしました……」
「テンションの高低差が」
両手で顔を覆って急激に落ち込み出した女性、ナルジスにシルヴィはオロオロと狼狽する。ペースが掴みづらくて、ナルジスに持っていかれてしまうのだ。
「でも! ちゃんと責任取ります!」
「はぁ……」
「気のない返事!? いや、本当だからね!?」
「まぁ、はい。頼りにしてはいます」
「そうよね! だから、ここに来たのよね!」
段々と不安になってきたが、彼女がナルジスならば精霊王に目に物見せてやることは出来る筈だ、おそらく。
シルヴィの中で引き返すならば今しかないかもと、少しの迷いが生じる。しかし、このまま進むのが最善である気がした。風向きはこちらに向いている、と。
「最愛の精霊王様に、剣を向けるお覚悟があおりですの?」
「……っ!!」
悪い顔で笑ったシルヴィに、ナルジスは目を見開く。逡巡するように目を伏せた。
隠し部屋に辿り着いたのは、ゲームのヒロインではない。今ナルジスの前に立っているのは、シルヴィだ。
そして敵は、魔物の軍勢ではない。ナルジスの愛しい愛しい精霊王。全てがゲームとは、違っていた。
「そう、よね。分かってるの。私が歪めたシナリオだもん。私が決着をつけてやる!」
「分かりました。じゃあ、手始めに精霊召喚のやり方を私に教えてくれますか?」
「へ?」
ゲームのヒロインは聖天女だ。神殿で召喚師としての勉強を終わらしている。どうやら精霊王以外の精霊も召喚できる仕様のようだ。
シルヴィが日記をナルジスの前に翳すと、ナルジスは顔を茹で蛸のように真っ赤に染めた。まぁ、日記など他人に見られたくはないだろう。
「ばぁーー!! 黒歴史!!」
「大丈夫です。口外しません」
「燃やして!!」
「でも、貴重な初代聖天女様の文化財……。いやでも、中の言語をこの世界の人に見られるのは不味いかな」
「そうよ! 絶対に不味いわ! 解読されたら恥ずか死するから!」
「ううーん……。責任持って燃やします」
「お願い! 絶対に! お願いします!!」
そこでふとシルヴィは、そういえばセイヒカ無印のシナリオを纏めたマル秘ノートを領地の自室に残したままだった事を思い出した。
机の引き出しの奥深くに封印してあるので、誰かに見られる心配はないが……。ちょこちょこと、“スチルが格好良かった!” “セリフが素敵すぎた!”なんて書き込んだ記憶がある。
何故かルノーの渋い顔が浮かんで、シルヴィも同じような顔になる。帰ったら処分しようと心に決めた。
「そんな渋々……」
「え? あぁ、いや、ナルジス様は悪くないです。何というか、私情です」
「……?」
「すみません。気にしないで下さい」
シルヴィは、誤魔化すようにへらっと笑う。ナルジスは不思議そうにしつつも、それ以上は触れて来なかった。
「それで、ええと、ナルジス様の依代になってくれる精霊を召喚しないとダメなんですよね?」
「そうね、そうだったわ!」
「ド素人なので、基礎の基礎からお願いしたいのですけれど……。時間がないので、徹夜で詰め込みます」
「まさかの一夜漬け!?」
「低位でも何でも、召喚さえ出来ればいいんですよね?」
「まぁ、ゲームでは?」
妙な間が空いて、二人はへらっと同じような顔で笑う。その顔には、不安が滲んでいた。
「やるしかないので!」
「初代聖天女の実力みせてやんよ!」
「お願いします!!」
「おうよ!!」
もはや最後の方は、自棄糞である。そうして、シルヴィとナルジスの一夜漬け精霊召喚講座が開講したのだった。
*****
どうにかこうにかなった。悪戦苦闘はしたが、シルヴィに才能があったのか、ナルジスの教え方が天才的だったのか。一夜漬けでの精霊の召喚に成功した。
正直、何故あそこまで焦っていたのかは分からない。あれが、勘というやつなのだろうか。外で爆音が聞こえた時、やはり突き進んで正解だったなと妙な高揚感を感じた。
「な、ナルジス?」
《はぁ? ナルジスは私だが?》
「ナルジス? え? ナル、え?」
情けない顔で混乱している精霊王をシルヴィは扇子の代わりに日記で口元を隠して見下ろす。ざまぁみろと達成感にほくそ笑んだ。
当初の予定では、もう少し夢を見て貰ってから地獄に落とす手筈だったのだが。まぁ、結果オーライだろう。
何故なら、魔王様の魔力が恐ろしいほどに不安定になっているからである。まさかのルノーまで騙してしまったらしい。そんなに演技力があるとは思っていなかった。
一夜漬けで、ナルジスの仕草や話し方を観察して真似ただけなのだが……。正直に言うと【神秘の鏡】は、それが一番の目的だった。なので当初の目的は、達成できたということにしておこう。
本来ならば、本物と演技の見分けもつかないのかと言うつもりであったが、他方向に刺さりそうなのでやめた。しかし、もう一言くらい言ってやりたい。
「浮気最低野郎が」
そこで、到底伯爵令嬢とは思えない暴言を吐いてからシルヴィは嘲笑を滲ませ鼻を鳴らした。それがトドメになったらしい精霊王は、魂の抜けたような顔で沈黙する。
「シルヴィ……?」
恐る恐ると言った風に名を呼ばれ、シルヴィはパッと顔を上げた。ずっとずっと探していた深い紺色の瞳と目が合って、シルヴィはその顔に喜色を浮かべる。
「ルノーくん!!」
精霊王に一瞥もくれず、シルヴィはルノーに向かって駆け出した。ルノーはそれに、様々な感情がごちゃまぜになったような表情を浮かべる。
日記が落ちるのもお構いなしに、シルヴィはルノーを両腕で抱き締めた。ルノーも一拍遅れて、シルヴィの背に腕を回す。
「シルヴィ……っ!」
「来てくれるって信じてた!」
「うん。うん……」
鼻を啜るような音が聞こえて、シルヴィは心底驚く。ルノーの顔を覗き見ようとしたが、それはルノーによって阻まれてしまった。
「ルノーくん?」
「……もう」
「うん?」
「世界を消し飛ばすしかないかと、おもった」
「バッドエンドが過ぎる」
シルヴィは何だかよく分からない優越感が湧き上がって、クスクスと笑う。「何で笑うの」と、ルノーが拗ねたような声を出した。
「ふふっ、何でだろう」
「……? 嬉しそう」
「嬉しそう? あぁ、なるほど。分かった。あの時のルノーくんと立場が逆転したのね」
ルノーは不服そうに眉根を寄せながら、シルヴィの言葉の意味を考える。あの時、どの時? 聖なる国から帰ってきた時。そこに行き着いて、ルノーの涙が引っ込んだ。
代わりに、頬が真っ赤に色付く。それは、つまり、そういうこと。砂漠で本日一番の大爆発が起こり、シルヴィは無事に戻って来れたのだと安堵する。
張り詰めていた緊張が解けて、今度はシルヴィがグズグズと泣いてしまったのだった。