29.魔王と大切
妙な気分だ。砂漠を往くラクダの上で、ルノーは緩慢に空を見上げた。夜明けを歓喜するように、空が白んでいく。それに、目を細めた。
いらないと、思っていた。自分以外など、足手まといの邪魔でしかないと。煩わしく面倒な繋がりに縋る人間が、不思議でしかなかったというのに。
本気でいつの間に、これ程まで毒されてしまったのか。今でも変わらず、全ては彼女のためだ。しかし……。
「ぐぬぬっ! 間に合わせる! ボクはやる! やってやらぁあ!!」
「出来る。俺にも出来る。頑張ってる。頑張れ、俺ぇ……っ!!」
イヴォンはリルの前で、トリスタンは案内役の前で、二人乗りしたラクダの上必死に結界の仕上げに入っている。トリスタンは少々、涙声になっているが。
魔断石は、ラジャー神殿で預かってくれるというので全員分を置いてきた。
「そうだ! 出来るぞ、二人とも!!」
「ファ~イト!!」
その二人をリルとロラが、ワイワイと応援している。何とも賑やかで、締まらない空間だろうか。精霊王との戦闘前とは到底思えなかった。
であるのに、不思議と嫌ではない。最早この騒がしさにも慣れてしまった。当たり前に、ルノーは独りではなくなってしまったのだ。
遠くに、旧神殿らしき建物が見えてきた。やっとだ。やっとここまで辿り着いた。ドラゴンの姿であれば、一瞬であった筈の道程である。
そしてこれは、ルノーが選んだ道程。あぁ、そうだ。彼女のためであり、何よりもルノー自身のために。人間であることを選んだ結果の終着。いや、まだ道半ばなのかもしれなかった。
「悪くない」
物語の中の“ボク”もこんな気持ちだったのだろうか。『早くキミに会いたい』その言葉が持つ意味は、一歩、一歩、進む度に変化していた。
“ルノーくんなら、大丈夫だよ。もっともっと、大切が増えていく筈だから”
シルヴィは確信を持ってそう言っていた。大切。大切とは、定義が曖昧な非常に難しい言葉だ。謂わば、ただの感情論でしかない。
「あれが、旧神殿のようでございます」
ラジャー神殿とは違い、オアシスを中心に栄えたのだろう街を見守るように旧神殿は、砂漠との境に聳え立っていた。
ここから見えるのは、旧神殿の裏手のようだ。そうなると、正面に回るには一度街に入るしかないだろう。砂漠の砂は足に纏わりつく。慣れていない以上、街で戦闘した方がやりやすいので好都合だった。
ムザッファルは、旧神殿ごと派手に破壊してくれてもいいくらいだと。忌々しそうに、しかし少しの迷いを滲ませた複雑そうな顔でそう言っていた。被害は少ない方がいいらしいが、少しくらい街を壊しても問題にはならなさそうだ。
オアシスの街から少し距離のある場所でラクダからは降りる。街から魔力を感じるので、精霊王が侵入者にすぐ気づく仕様にしている可能性が高かったからだ。
「案内、ご苦労だった。どうかラクダと共に安全な場所へ」
「承知致しました。どうか、ご無事で」
「ありがとう」
リルと案内役が手短に話し、案内役はリルの指示通りにラクダと共に去っていった。
「首尾は?」
「バッチリに決まってんだろ、です!」
「上々です」
何とか仕上がったのか。イヴォンは自信満々に、トリスタンは少しの不安を滲ませ答える。
「そう。二人は?」
「問題ないよ。私達は強固な魔法防壁を張るだけだからね」
「二人で力を合わせて頑張ります」
リルとロラは、同時にウインクしてみせる。まるで事前に打ち合わせでもしていたかのようだ。双子とはこういうものなのだろうか。
「いいね。行こうか」
旧神殿に向かって、足を踏み出したルノーについて皆も歩きだす。街に入った瞬間、ビリッと空気が不穏に揺れた気がした。
「なるほど。やはりここはもう、精霊王のテリトリーのようだね」
「そうみたいね~。や~な空気~」
微塵も焦った様子のないルノーの悠然とした背を見ていると、リルもロラもいい意味で緊張が抜けていく。
旧神殿の正面で、皆は足を止めた。トリスタンとイヴォン、リルとロラは四人で頷き合い自分の配置に散る。
トリスタンとイヴォンは結界の端になる場所へ、対角に向かい合った。ロラとリルは二人一緒に旧神殿の扉横にしゃがむ。二人は闇魔法の結界外にいなければ意味がないため、この布陣となった。
旧神殿を見上げたルノーの白金色の髪をぬるい風が靡かせる。ここに立つまでの様々な場面がルノーの脳裏を一瞬で駆け抜けていった。繋がりがもたらした今この瞬間。
“いつかで良いんだ。見つけたら、教えてね”
ルノーだけを映す澄んだ黄緑色の瞳が、緩やかに弧を描く。ルノーの記憶の中にいるシルヴィは、いつも楽しげだ。
「あぁ、早く君に会いたい」
ルノーが指を鳴らすと、旧神殿を囲むように砂漠の各所で次々と爆発が起こる。狼煙でも上げるかのように。
「ルノー卿!!」
それに気づけたのは、ルノーとリルだけであった。リルが叫ぶのとルノーが魔断の剣に手を掛けたのは、ほぼ同時。
ルノーの背後に転移してきた精霊王が直ぐ様光魔法を放つ。それに対し、ルノーは振り返る勢いのまま剣を抜き迷いなく振った。
的確に核を捉えた一閃。光魔法はルノーに当たる前に、剣に弾かれ空に吸い込まれていく。
「やぁ、ご機嫌如何かな?」
「なっ!? 貴様はあの時の……?」
「覚えて貰えているとは、至極光栄だね」
煽るようにルノーは、貴族然とした微笑を浮かべる。それに精霊王が忌々しそうに眉を顰めた瞬間、トリスタンとイヴォンが結界を張った。
「闇よ! 光を覆い隠し閉じ込めよ!!」
ルノーにしてみれば少々手狭ではあるが、暴れるには申し分ないかといったサイズ。トリスタンとイヴォンにとっては、ギリギリ保てる限界ラインのそれであった。
「よっしゃおらぁ! どうだ見たか!?」
「落ち着け、俺。大丈夫だ出来てるぞ、俺ぇ……っ!!」
それぞれに全く違う様子ではあるが、表情からは隠しきれない喜色が滲んでみえる。そんな二人にロラとリルは、上手くいったと思わずハイタッチをした。
トリスタンとイヴォンの魔力量や精霊王の強さを鑑みて、短期決戦で決着をつける他はない。ルノーは首を刎ねるつもりで剣を振ったが、その一撃は空を斬った。
「ぐっ!? 何だ?」
ルノーと距離を取った精霊王は、読み通り息苦しそうに胸元を掴む。好い様だとルノーは、嘲笑を浮かべた。
「指を動かすのも億劫そうだ。そのまま大人しくしているといいよ」
「貴様……っ!!」
「綺麗に首を刎ねてあげよう」
しかし、流石は精霊達の王といった所か。瞳からギラギラとした戦意が消えることはなかった。
「貴様はいったい何だ!? なぜ邪魔をする!! 忌々しい、忌々しい!!」
精霊王の体から禍々しい何かが漂いだす。何と無様な。あれは最早、王ではなかったかとルノーは憐憫の眼差しを向けた。
次いで、それはそれは美しく微笑む。自然とその場にいる全員が、ルノーに目を奪われた。
「僕の名は、ルノー・シャン・フルーレスト。ジルマフェリス王国随一の魔導師名門公爵家が長男」
ルノーのフィンガースナップが氷の剣を作り出す。自らの言葉を証明するような多量の剣が精霊王を捉えた。
「そうだな。僕をよく知る者達は、このようにも呼ぶかな」
「……?」
「魔界の王」
ルノーの背後で、深い紺色の魔力が迸る。
「“魔王”」
静かで落ち着いた低い声とは裏腹に、ルノーの魔力と同じ色の瞳は酷く好戦的であった。
その瞳と迸る魔力が、精霊王の忘れられぬ怒りを揺さぶる。一生消えることのない瞼の裏に焼き付いた純金色のドラゴンが、記憶の中で咆哮した。