27.モブ令嬢と日記
淡雪の節、十日 天気、晴
何となく思い立って、今日から日記を付けることにした。書くと決めた時は、何かこう……。めっちゃ書くことある気がする! と思っていたのに、いざ書き出すと特に思い付かない不思議。我々はそれを解明するために、ジャングルの奥地へと旅立った。
ひとまず、推しは今日も尊い!!
青嵐の節、十九日 天気、雨
我慢できなかった。反省はしている後悔はしてない。だって、推しが素敵すぎた。無理。
本当は、ヒロインが言う筈だった台詞を言ってしまった。笑顔が素晴らしかった。尊死する。
待宵の節、三日 天気、晴
攻略しちゃった……。どーしよう!? 初代聖天女と精霊王は、恋仲ではないのに!! シナリオが変わってしまったらヤバイかな……。
でも、そうなったら、私、死ななくて、すむかも……。妹が心配。
雨氷の節、二十日 天気、曇
とても幸せだ。それを責めるように、魔物達の動きが過激になっていく。魔王を倒さなければならない。まるで純金のような鱗を持つ恐ろしいドラゴン。あんなの倒せる訳ないよ。怖い。
助けて。死にたくない。このまま、彼と妹と一緒に、ずっと、ずっと、生きていたい。
龍天の節、八日 天気、雨
どうして、ヒロインじゃないんだろう。ヒロインだったら、ハッピーエンドで。彼と幸せになりました。めでたしめでたし。
転生するなら、ヒロインが良かった。
雲海の節、四日 天気、晴
やらなきゃ。わたしが。ごめんね。
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そういう事だったんだ。シルヴィは日記を最後まで読み終わり、気づかぬ内に詰めていた息を吐き出した。
最後の文字は、涙だろうか。滲んでしまっている。それを指先でなぞりながら、シルヴィは遣る瀬なさに目を伏せた。
やはりここはシルヴィの読み通り、乙女ゲームの舞台であったらしい。日記には精霊王のことしか書かれていなかったので、他の攻略対象者のことは何も分からなかったが。
「まぁ、別に困らないか」
精霊王は、ラスボスではないのだ。寧ろ、一番の味方。攻略対象者達が全員でここに乗り込んでくるとかはないだろう。
「それにしても……」
これは、どうしたら良いのか。人の恋路を邪魔する奴は何とやら。しかし、どうしても巻き込まれた側からすると、余計なことしてくれたなという気持ちを抱いてしまうのも本音で。
「何で駄目だと分かってたのに、攻略しちゃったんだよぉ……っ!!」
攻略するならするで、最後まで責任を持って貰わなければ困る。とんでもないモンスターに変異してしまっているではないか。
ここで、“仕方がないわ。私だって愛を取ってしまうもの”などと思えないので、やはり自分はヒロインには向いてないなとシルヴィは思った。そもそもヒロインは、初手で“目にもの見せてやるよ”とはならない。
ただ、既に亡くなっている方の悪口を言うものではありませんよと、そう言われて育った。誰が言ったのだったか。前世の母か今世の母か。そのどちらもだったか。
胸中に罪悪感のようなものが湧き上がる。それに従いこれ以上は何も言うまいと、シルヴィは日記を閉じた。
「まぁ、ひとまずこの情報があれば精霊王に一発ぶちかましてやれる可能性は高まったな」
それはそれ。これはこれ。というやつだ。
日記には、それはそれは幸せな日常が綴られていた。精霊王の言っていた通りナルジスは泉が好きだったようで、畔を散歩したり水遊びしたりとデートを沢山したようだ。
「それと、この隠し部屋」
どうやらここは、旧神殿であるらしい。精霊王ルートでしか出てこない神秘的な場所と書かれていた。その中で最重要な役割を果たすのが、その隠し部屋。
例に漏れずこの転生者は、我慢出来ずに捜索してしまったらしい。しかも見事に辿り着いている。そこへ繋がる通路の場所を事細かに書き記してくれているのは、有難いところだ。
流石に日の高い内から部屋を抜け出すのは不味いだろう。となると、決行は夜。この隠し部屋にある筈なのだ。精霊王をどん底に叩き落とせるアイテムが。
「ふふふっ……。精々、仮初めの幸せを噛みしめていなさい」
こんなお人形ごっこに意味などないだろう。精霊王が欲しているのは、この日記に綴られた真実の愛なのだから。
そして、この世界の理は決まっている。一方通行の愛が辿るのは、「バッドエンドだ」と。それは、悪役令嬢もヒロインも同じなのだ。ならば、攻略対象者も同じでなければ。
「不公平よね」
だって、ヒロイン倶楽部は必死に頑張ってきた。全ては大団円ハッピーエンドのために。
ふと、いつかロラが言った“世界平和のためにはシルヴィ様との結婚エンドしかないです”なんて言葉が脳裏を掠める。
ゲームで考えるならば、この誘拐イベントは重要な分岐点であろう。ノーミスクリアすれば、婚約ルートに確実に乗れる。
「御生憎様」
シルヴィは、精霊王よりも魔王を選ぶ。だって、魔王も必死に頑張ってくれたのだから。シルヴィが無事に卒業をすれば、念願の婚約に辿り着く。
「邪魔させない」
精霊王がシルヴィをこの世界に引き込んだ張本人だろうが。シルヴィが精霊王の探し求めた愛しい人の生まれ変わりだろうが。そのために、どれだけ精霊王が頑張っていようが。
シルヴィの選択は、揺るがない。
「う~ん……」
何だか恥ずかしくなってきて、シルヴィは頬を赤く染めて唸る。
精霊王がシルヴィをナルジスとして求めれば求める程に、シルヴィはルノーへの気持ちを再確認していった。
この気持ちを愛と呼んでも良いのだろうか。
「いや、何か、その……。愛はまだ分からない。愛はレベルが高い。飛ばし過ぎだと思う」
では、何と呼ぼうか。
「む、むり……。恥ずかしくて倒れる」
これ以上は不味いと判断して、シルヴィは夜の探索へと思考を切り替えることにした。ひとまずは大人しくしていようと、日記を元の場所へと戻す。
石の板を押すと、壁の穴が塞がった。それを確認して、書机も元通りに直しておく。図鑑も本棚に戻して、いつもの定位置へ。先程まで座っていた窓辺の椅子に腰掛けた。
窓からの風が、シルヴィの髪を靡かせる。長かったような。短かったような。ここでも生活ももうじきに終わる。
「良い思い出がない」
何かあるかと思って記憶を探ってみたが、誘拐なのであるわけがなかった。
そこでふと、シナリオはどうなったのだろうかとシルヴィは難しい顔になる。普通に考えて、セイヒカの続編にシルヴィは出てこない。
しかも、続編ということはルノーを打ち倒し、更にはソレイユをも倒した世界線ということなのだろうか。そうなると、セイヒカ2と同じでそこからしてシナリオは狂ってしまっている。
「今回こそヒロインに苦情を言われるかしら」
有難いことに、ロラにもリルにも苦情は言われなかったのだが……。
「まぁ、いま考えても仕方がないか」
日記には、そこまで事細かに乙女ゲームのことは書かれていなかった。なので、今の状況とシナリオの相違点がシルヴィにはどれだけ考えても分からない。
書かれていたのは、精霊王ルートの情報と推しへの溢れる愛。せめて、ナルジスとしてではなく。シルヴィをシルヴィとして接してくれていたら、少しは仲良くなれたのかもしれない。
そんなことを思ってしまうくらいには、日記の二人は幸せそうだった。