25.双子姉妹と愛憎劇
どちらも、転生者ではないのかもしれない。ロラが見る限り、ターラもジュッラナールもゲームの姿そのままだったのだ。
ロラもリルも、そしてジャスミーヌもゲームの画面内で繰り広げられる会話しか知らない。つまりは、ストーリー外のヒロインや悪役令嬢の言動や行動は、完全にアドリブで演技するか、開き直って全く真似しないかの二択。
前者を選択したとして、どれだけ頑張って演技しようともやはりどこか違和感は出てしまう。後者は言わずもがな。
しかし、ターラもジュッラナールも自然体で完璧な“ターラ”と“ジュッラナール”だったのだ。まるで、原作の番外編でも見ている気分になってくる。完全なる“正解”なのだった。
「そんな!? 精霊王様が……?」
全員が挨拶を済ませ、ラザハルへ来た目的を説明し終わった時のターラの反応がこれであった。両手を口元へ持っていき、衝撃に目を丸める。次いで、痛みを我慢するような表情を浮かべた。
「皆様、それは心配ですよね。いえ、ごめんなさい。私がこのような事を言うのは、烏滸がましいですね」
ターラは軽く首を左右に振ったが、気分は変わらなかったらしい。表情は、今にも泣き出してしまいそうなものだった。
「皆様のご所望は、旧神殿への行き方、及び、“ナルジス”なる女性の詳細、と伺っておりますわ」
「その通りだ。ムザッファル陛下にナルジスについて聞いた所、神殿が詳しく知っているのでそこで聞く方が確実だと」
リルの言葉に、ジュッラナールは重々しく頷く。心得ているといった様子で、真っ直ぐとリルを見た。
「神殿の機密性は完璧ですので」
「うん?」
「あぁ、なるほど。そういうことだったんだ。余程、誰にも知られたくない話のようだね」
「そうか、そういう……。王家も敵は多いものだからなぁ」
「どの国でも暇な者が多くて困るね」
心底呆れたという溜息混じりのそれに、周りは何とも言えない顔をする。肯定も否定も出来ず、フレデリクの小言の重要性を感じたのだった。
ジュッラナールは気を持ち直すように咳払いをすると、視線をリルからルノーへと移す。ルノーの空気に呑まれまいという強い意思の宿った瞳だった。
「まず、“ナルジス”という女性についてですが。その名を誰から聞いたのでしょうか」
「精霊王だよ」
「左様ですか。……何処から説明したものかしら」
ジュッラナールは思案するように目を伏せる。ターラの不安そうな視線に気付いたのか、ジュッラナールは困ったように笑んだ。
「いい機会だわ。貴女もいずれは知らねばならないことだったもの」
「ええと……?」
小首を傾げたターラに、ジュッラナールは一瞬気が抜けたような顔をする。次いで、覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「精霊王様については、ラザハルでもトップシークレット扱い。王家が口を噤んだために、長らく国民達も触れてはならぬものだと目を背け続けてまいりました」
「そのようだね」
「しかし、ここにきてターラが現れた。聖天女の元へと一向に姿を現さない精霊王様に、国民達はターラへ疑念を向けるのではなく。まことしやかに囁かれるだけだった噂話の真偽に目を向けたのです」
ラザハルの困り事。国民達は口々に噂する。
――精霊王様はずっと人間界に留まっている
――今は何処にあるかも分からない旧神殿で、誰かをずっと待っていらっしゃる
誰か。誰を?
「国民達は名を口にしたくても知らないのです。王家が隠してしまったから」
「最近もそんな話を聞いたな」
「私もだ。何処の国でもある必要悪か……。とはいえ、今更ながら完全に消してしまえるのは恐ろしくもあるな」
王家の力が強いのか。時の流れが残酷なのか。それとも、事なかれ主義的に目を背けた国民達の結束力がなせる技か。その全てか。
ジュッラナールは、ルノーとリルの会話からどちらかの国でもそういう事があったのだと察する。ターラが突っ込まない内にと、話を進めることにした。
「しかし、精霊王様が頻繁に口にされますので知っている者もいるかもしれません。ただ、その名を聞いてもそれが誰なのかは分からない」
「あぁ、隠したのはそれか。“この国には、英雄が二人いる”」
「……はい」
「あの男を召喚した聖天女の名か」
ターラが息を呑む。まるでそんな可能性は想像もしていなかったというように。
ルノーからしてみれば、いの一番に考えそうな可能性だ。そして、その選択肢が消えることなどない。
しかし、ラザハルでは違う。聖天女と精霊王の待ち人が結び付かないように情報が統制されているのだろう。もし可能性が浮かんだとしても“有り得ない”と、その可能性は直ぐに否定される。
魔界で昼寝をしていただけなのに、急に襲ってきた女である光の乙女が英雄であるように。想い人を求め彷徨う憐れな化物を産んだ聖天女もまた英雄であるのだ。
真実を、事実を、知らなければ。
「そんな……!? でも、二人は信頼し合った完璧な相棒関係で! わ、私も精霊達とそのような関係を結べるようにと!」
「そうよ。そう、教えられるわ」
「でも、でもっ! お二人はラザハルをお救いになった英雄なのですよ……」
「えぇ、ラザハルをお救いになったのも事実。英雄なのも事実」
「では――」
「しかし、お二人が愛し合っていたのも事実。死によって引き裂かれてしまったのも事実。その死を精霊王様がお認めになられなかったのも事実。精霊王様は、ナルジス様を愛し、そして憎んだの、よ……」
ジュッラナールの悲痛な声に、応接間には静寂が落ちる。その重苦しい静寂を破ったのは、ターラであった。
「あの噂は本当なのですか?」
「どの噂かしら」
ターラは言いにくそうに視線を下げる。しかし、「精霊王様が」と震える声を出した。
「き、禁忌の術に手を出し、想い人を呼び戻そうとされている、と……」
「そう……。人の口に戸は立てられぬとは良く言ったものね」
「ほ、本当なのですか?」
縋るように顔を上げたターラの瞳が、不安そうに揺れて見えた。それはそうだろう。どのような事柄であろうとも信じてきた常識が揺らぐというのは、恐怖でしかないのだから。
「えぇ、事実よ」
ジュッラナールの真っ直ぐな視線を受け止めて、ターラはぐっと唇を噛んだ。泣くのを我慢するように。
「禁忌の術って何です?」
「俺に聞かないでくれ……」
「う~ん……。私も心当たりがないわ~」
「ふむ。聞いたことはあるが、詳細は私も知らないな」
皆の視線がルノーに向く。ルノーは流し目でそれらを一瞥すると、仕方がないなと言いたげな息を吐き出した。
「あの男から漏れ出ていた禍々しい何かを覚えている?」
「あ~、あの? おどろおどろしい何かこう……」
「魔力ではない汚泥のようなあれですか?」
「汚泥~……」
「え!? 違ったか?」
「違わないよ。的確な表現だね」
ルノーの声音に愉快そうな感情が乗る。
「あれは禁忌の術を使った愚か者の証明だよ。魔法とは似て非なるものでね。禁忌というだけのことはあって、代償が大きいと聞く。僕でも手を出そうとは思わない」
「じゃあ、どーして精霊王は手を出したんです?」
「魔法では実現できないような奇跡を起こせるそうだよ。ただ、どのような手順でどのような術を扱うのかは僕も知らないな」
「まぁ、禁忌だからな。どこの国でもご禁制だろう」
「その通りだね」
そんなものゲームには登場しなかった筈だ。しかし初代聖天女の名を忘れていたロラは、自分の記憶力を過信すべきではないなと思い出していた。そのため、悩むように眉根を寄せる。
「でも、精霊王は知ってたんでしょ?」
「さぁ? 知っていたのか、調べたのか……。まぁ、そんなことは今はどうでもいいよ」
「そうだな。して、旧神殿への行き方は?」
「ここ、ラジャー神殿と同じです。砂漠を往くしかありません。ターラ、場所を」
「……はい。ここより北東へ真っ直ぐに」
ターラは伏し目がちにそれだけ言った。まだ混乱しているのだろう。ルノー達にとって精霊王は、もはや明確な敵だ。しかし、ターラにとっては違う。
「どうか……」
「……?」
「どうか、精霊王様をお救いください」
パッと顔を上げたターラが祈るように両手を胸の前で組む。それに、ルノーは得たいの知れないものを見る目をターラへ向けた。
「感じるのです。旧神殿より吹く風は、いつも泣いております……」
悲しむターラに、ジュッラナールが寄り添う。ロラとリルも“ターラ……”と切ない気持ちになった。
「……? 彼女は何を言ってるの?」
「ボクに分かるわけねーでしょーよ!」
「風は泣かない」
「多分、比喩的な何かだとは思いますけど……」
しかし、男性陣には伝わらなかったらしい。情緒をぶち壊すのは止めて欲しいと、ロラは思わず苦笑した。
「任せてくれて構わないよ!」
リルは勢いで男性陣の会話を押し流すことにしたようだ。なぜ受けたんだとルノーは不服そうにムスッと口を引き結ぶ。ルノーは精霊王の首を刎ねる気満々なので、救うなど無理な話であった。
リルはルノーの刺さるような視線は知らない振りで、ロラを見遣る。ロラはリルと目が合って、一つ頷いた。
「やはり、か?」
「だって~……。ゲームではそんな愛憎渦巻く感じじゃないもん!」
「だよなぁ……」
この【聖なる踊り子】内にも、転生者はいたのだ。何百年前という昔々に。