19.魔王と異国の地
あれが、ラザハルの王都か。ルノーは、見えてきた大陸に目を細めた。
甲板の上は、碇泊の準備で慌ただしい。魔界から昨夜戻ってきたトリスタンとイヴォンを含めた奪還作戦の面々は、邪魔にならないよう甲板の隅で見学していた。
今日の風向きは、生憎の向かい風。まるでルノー達の上陸を阻むかのようであったが、皆の士気は下がらなかった。寧ろ、リル辺りは逆に燃えている。
「困難であればあるほど、打ち砕きがいがあるというものだな」
「流石です、リルさん」
「とは言え今、私たちに出来ることってないんだけど~」
「風送りと操舵手の連携は、何度見ても凄いですね」
商会お抱えの風の魔力持ち、通称【風送り】が操舵手の指示通りに帆に風を当てる。その絶妙な力加減のお陰で、帆船は安定して海の上を進んでいた。
ルノーの視線が大陸からトリスタンとイヴォンへと向けられる。それに、トリスタンは肩を跳ねさせた。
「うん。大分と安定してきたね」
「あっ、うっ、そうですかね……」
「このサイズ感でも維持するの難しいんですけど??」
トリスタンとイヴォンの手元には、顔くらいの大きさであろうか。立方体の小さな結界が浮いていた。昨夜からスパルタで練習し、やっと安定してきたのだが、まだたったのこれだけだ。
「あとは、それを暴れられるサイズまで大きくするだけだよ。二人でね」
「“だけ”じゃねぇんですよっ!!」
「ううん……」
それくらい出来るだろと言いたげに、ルノーがこてりと態とらしく首を傾げる。ゆったりと微笑まれて、イヴォンは「クッソ!!」と悪態をついた。
「駄目だよ、イヴォン。言葉遣い」
「うぐぅ……っ!!」
流石にイヴォンは、抗議するような視線をリルに向ける。しかしそれに返ってきたのは、またしても出来るだろと言いたげな圧あるニッコリとした笑みだった。
「そうだった! リルさんもスパルタでしたね!!」
トリスタンは出来たら味方になってくれないだろうかと、一縷の望みを掛けてロラにソロリと視線を遣る。目が合ったロラは、「ファ~イト!」とウインクした。
「だよな……」
トリスタンとイヴォンは、ガックリと項垂れると本格的に諦めたようだ。お互いに顔を見合わせると、どう息を合わせようかと相談を始めた。
「ふははっ!」
「イヴォン?」
「やってやろうじゃねぇか……っ!!」
イヴォンの目は据わっていた。気持ちは分かると、トリスタンが眉尻を頼りなく下げる。イヴォンはそんなトリスタンを見て、目尻を吊り上げた。
「アンタ年上なんだから、しっかりしてくださいよ!?」
「わ、分かった! 全力でやります!!」
イヴォンの勢いに押されて、トリスタンは何度も首を上下に振る。ルノーは二人のやり取りに、呆れたような溜息を吐くのだった。
船を碇泊させた港は、商人達で活気付いていた。それだけではない。ラザハルは精霊召喚師が主流の国だ。港にも精霊の姿が散見された。
つまり、魔法はもう使えないということ。魔断石の首飾りを付けたルノー達は、素直に縄梯子を降りラザハルの地に足をつけた。
「ふむ。あれが、精霊か」
「確かに、魔物とは雰囲気が違うわね~」
拳大の白い蝶のような見た目の精霊は、召喚師なのだろう主人の頭にリボンのように止まっている。魔力からして、風の精霊だろうか。
精霊はルノー達に気付いたのか、何処と無く抗議するように羽をバタつかせた。それがきっかけで、港にいた全ての精霊達からピリッとした空気が放たれる。
「おいおい、何でよりにもよって魔力持ちがいる?」
「ここを何処だと思ってんだか」
「とんだ世間知らずがいやがるな」
敵意や嘲笑がさざ波のように広がっていく。しかしそれに、ルノーやロラ、リルも反応を返すことはしなかった。最初から分かっていたことだ。
精霊達は、人間の魔力を嫌う。そのため、魔力持ちはラザハルでは歓迎されないのである。
「いや待て! あのてんとう虫を模した帆印は……。ジルマフェリス王国のスィエル商会だ」
「ということは、アッタール家の噂の正妻!?」
「やめとけ! ジャアファル様に睨まれたら、もうこの国で商売なんざ出来なくなる!」
港にいた者達の勢いが急激に削がれ、皆が慌ててルノー達から顔を背ける。それにロラ以外の奪還作戦の面々は、キョトンと目を瞬いた。
「いたっ!? 痛いって!!」
「勘弁してくれ、無理なもんは無理だ!」
召喚師達は、納得してくれなかった精霊達から文句を言われているらしい。中には羽や嘴で攻撃されている者までいる始末だ。
「文献で得た知識と実情のズレか。面白いね。主従というよりも対等、いや召喚師の方が下だと言われても納得出来る」
「確か……。精霊は召喚した者を主人と定め命に従うって聞きましたけど」
「そんな感じしねぇじゃん」
精霊を必死に宥めている召喚師達を眺めながら、「あら~?」とロラは不思議そうに首を傾げた。ゲームのイメージと違っていたからだ。
しかし、ゲームに出てくる召喚師は聖天女のヒロインとそのヒロインの先生であるイフラースのみだ。まぁ、モブが何名か出でくるがイフラースの教え子で優秀な者達ばかりだった筈。つまりは、そういうこと。
「僕は精霊に会ったことがなくてね。ただ、精霊と魔物は意志疎通が出来るらしい。ムーが鼻持ちならない種族だと非難していた」
「なるほどなぁ。精霊の言葉など人間には分からない。勝手に我々が精霊達は友好的だと勘違いしている可能性も大いにあり得るということか」
「まぁ、意志疎通が出来たとしても腹の底までは分からなかったりするからね」
皆の脳裏に伯爵の微笑みが浮かび、全員が何とも言えない顔になる。
「知らぬが仏~」
「その通りだ」
ロラとリルは小声でそんなやり取りをした。精霊達が何と言っているのか分からないからこそ、「も~、仕方がないなぁ」と召喚師達は笑えるのだろう。
「皆さん、こちらへ!」
何やら準備があるからと先に船を降りていったニノンが戻ってきたようだ。少し距離がある所からこちらに手を振っている。
ロラが前世の癖で「皆さん、お世話になりました」と船員達に頭を下げた。貴族らしくなかったかもと思ったが、今は商家のお嬢さんなので良いだろうと開き直る。
「いえいえ、そんな。詳しくは知らねぇが、お気を付けて。ニノンお嬢様のことを頼んます」
「勿論さ」
自信満々に答えたリルに、船員達は「豪快なお人だ!」と親しみを込めて笑う。まさか隣国の王女殿下だなんて夢にも思っていないのだろう。
当のリルが気にした素振りを見せなかったので、イヴォンは口を噤んだ。寧ろ輪の中で楽しげに笑っているのだから、本気で豪快なお方だと苦笑してしまう。
「では、参りましょうか。ルノー様、ロラ様」
「楽しみですね~、お兄様!」
ラザハルに入国した以上、ここからは設定通りにということらしい。役になりきっているリルとロラに、ルノーは深々と溜息を吐いた。
「そうだね」
ルノーとロラは兄妹設定で落ち着いた。他の候補が婚約者同士しか上がらなかったためである。その場では渋々であったルノーであるが、流石は公爵令息としての演技力が抜群なだけはある。
平然と優しげに微笑んでみせたルノーに、イヴォンが引いた顔をした。トリスタンが咳払いをしたため、イヴォンははっとした様子で直ぐに表情を取り繕う。
「暑くはございませんか、ロラ様」
「大丈夫よ、イヴ」
「ルノー様、日傘の用意がございますが如何いたしますか?」
「僕は必要ないよ」
そんな四人のやり取りを見て、黒幕の二人は然ることながら、ヒロインをやりきったロラも演技力抜群だなとリルは感嘆の息を吐いたのだった。