15.モブ令嬢と時の止まった街
既に笑顔が保てなくなりそう。見知らぬ場所で一夜を過ごした今朝。
シルヴィは、朝食の席で何とか微笑を浮かべながら精霊王の話に相槌を打っていた。話題は昨日の晩食の時からずっと、ナルジスのことばかり。
ナルジスは、これそれが好きだった。だから、用意した。
ナルジスが、あれそれをした。懐かしいな。
ナルジスに、どれそれを貰った。覚えているだろうか。
「そのようなことがありましたでしょうか」
シルヴィは至極楽しげな声を出したが、心の中では鬼の形相を浮かべていた。誰よ、その女ぁ……っ!! と。
精霊王は、完全にシルヴィをナルジスとして接していた。本人は楽しいのだろうが、シルヴィからしてみれば面白くはない。知らない女性の話を永遠に聞かされているだけなのだから。
しかも、常にシルヴィのやる事なす事をナルジスと比較するのだ。どこか否定的な目で見てくる精霊王に、シルヴィの苛々は募っていくばかりだった。
「そうだ。お前は、散策が好きだったな。朝食後は外を歩こう」
「まぁ、よろしいのですか? 嬉しいです」
「そうだろうとも。日傘を用意させよう」
外の様子が知りたかったシルヴィは、この件に関しては心の底から喜んだ。実際に、シルヴィが散策を好きなのもある。
完全に一致している訳ではないが、精霊王の話に出てくるナルジスとの共通点は所々あった。とはいえ、同一人物というには少ない。
「特に、私と歩くのが好きだったな。よく頬を赤らめていた」
「ははっ……」
思わず乾いた笑いが出てしまった。シルヴィは、よくないと咳払いで誤魔化す。
ナルジスとの惚気話というだけなら幾らでも聞くのだが、精霊王の言葉の端々に見え隠れする圧が嫌なのだ。“だから、お前も同じだろう”、という。
そこでふとシルヴィは、ロラの恋バナという名のヤバい男体験談を思い出した。ひたすら元カノと比べてくる彼氏がいたらしい。最後は、そんなに元カノが良いならその子と復縁したら~? と吐き捨てて別れてやったと言っていた。
なるほど。こんな気持ちになるんだなと、シルヴィはやっとロラに共感できたのだった。これは別れる。
シルヴィはこの地獄のような朝食を早く終わらせようと、はしたなくならない程度に素早く食べ進めた。
何故地獄なのかというと、精霊王は何も食べないからだ。ずっと話している。もう聞いていられなかった。
ルノーとの食事はあんなにも楽しいのに。そんな不満がシルヴィの胸中に渦巻いたのだった。
何とか朝食を完食し、シルヴィは待ちきれないと精霊王を急かしてエントランスまで辿り着いていた。精霊王は特に気分を害した様子もなく、寧ろ嬉しそうに瞳を細めている。
それをシルヴィは微笑みで流しつつ、エントランスまでの道のりを頭の中で繰り返した。いざという時、迷子になるのは避けたい。
次いでシルヴィは、真白な石造りのエントランスにさっと視線を巡らせた。相変わらず派手な調度品は置かれていない。そのため、扉の辺りに身を隠す場所はなさそうだ。
ザフラが扉の前で日傘を持って立っているのを視界に捉えて、シルヴィははてと首を捻る。この建物の中で、シルヴィは精霊王とザフラしかまだ見てはいなかった。
しかし、ことあるごとに精霊王は口にしている。“用意させた”だの“用意させよう”だのと。つまり、使用人のような者が沢山いるのだとシルヴィは勝手に思っていたのだが……。
もしかしなくとも、全てザフラが一人でこなしているのだろうか。いや、そもそもとしてシルヴィはここに誘拐されてきたのだ。大人数が加担している可能性の方が少ないか。
「精霊王様、こちらを」
「あぁ、ご苦労。さぁ、行こうかナルジス」
「はい。楽しみですわ」
ザフラはシルヴィをちらと見て、直ぐに精霊王へと視線を戻す。扉を開けると、恭しく頭を垂れた。
「いってらっしゃいませ」
「えぇ、いってくるわね」
精霊王はシルヴィとは違いザフラに声を掛けることなく、日傘を開くと魔法で浮かせる。そのまま精霊王が腕を差し出してきたので、シルヴィはマナー通りに腕を組んだ。
扉を潜った瞬間、肌を撫でた熱風にシルヴィは目を瞬く。そこで初めてシルヴィは、建物内は精霊王によって心地好く保たれていたという事実に気付いた。
この時分のラザハルは、ジルマフェルス王国よりも気温が数段に高い。そういえば、ショールは日除けだとザフラが説明してくれていた。
まだ朝方だからか、陽光はそれほど照り付けてはいない。又、湿度がないため日陰は涼しさを感じた。これならば、苦にはならないだろう。
「さて、どこを見て回ろうか」
「わたくしは、当てなく歩くのが好きですわ」
「……そうか。まぁ、この辺りには名の知れたものもないからな」
妙な間は気になったが、特にシルヴィは言及しなかった。それよりもと、こっそり振り返り先程までいた建物を確認する。
そこには、立派な神殿が聳え立っていた。荘厳さに、シルヴィは息を呑む。
「ナルジス?」
「え? あぁ、いえ、何でもありませんわ」
「そうか?」
「はい」
シルヴィは慌てて視線を前へと戻した。あのような目立つ建物を拠点にしていたとは、流石に想像していなかった。
しかし、そうなると先程の疑問が再び湧き上がる。その答えは、割合すぐに分かることとなった。
神殿は最後に建てられたのか、広大な砂漠を背にしている。どうやらここは、オアシスを中心にして栄えた小さな街であったらしい。
ならば、やはり逃げるのは得策ではないだろう。砂漠を往く知識は流石に持ち合わせていない。シルヴィは街人を探して、精霊王と共に住宅街へと足を踏み入れた。
暫く歩いていて分かったことは二つ。
一つは、精霊王がエスコートに不馴れなのかド下手くそであるということ。歩くペースが速い。腕が引っ張られて、シルヴィは何度も精霊王の足を踏みそうになった。必死に踏ん張って耐えたが。
ナルジスは何も言わなかったのだろうか。それとも、ナルジスも歩く速度が速かったというのか。
ルノーであれば、もっと気を遣ってゆったりと歩いてくれるというのに。そんな不満がシルヴィの胸中に募っていく。
「……? ナルジス、どうかしたか?」
「いいえ、何でもございませんわ」
精霊王が不思議そうに首を傾げるのを見て、シルヴィは吐き出しそうになった溜息を飲み込んだ。私なら出来ると、シルヴィは代わりに楽しそうな笑みを浮かべる。
それに、精霊王は満足したようだ。無表情がデフォルトなので、表情の変化が分かりやすい。まぁ、ルノー程は表情が豊かな訳ではないが。そこまで考えて、いやとシルヴィは思い直す。
ルノーであれば、無表情でも何となく考えていることが分かる。もちろん分からないこともあるが、そのうち分かるようになる気がしている。それだけ、同じ時を過ごしてきたのだ。
あぁ、駄目だ。また、だ。シルヴィは気付けばルノーと精霊王を比べてしまっている自分に、渋い顔をする。これでは、精霊王のことを非難できない気がした。
しかし今は、このモヤモヤとする感情と向き合っている場合ではない。考えるのは後にして、目の前のことに集中することにした。
分かったことのもう一つは、街が閑散としているということ。街に人が誰もいないのならば、あの神殿を拠点にしても何ら問題ないだろう。
しかし、おかしいのだ。まるでつい今しがたまで、そこに、確かに、人がいた気配がそこかしこに残っているのを感じた。
どうしてなのだろうかと、シルヴィは気持ち悪さに眉を顰める。そしてはたと気付いた。民家の前に置かれた丸机の上、珈琲だろうか。カップから立ち上る暖かな湯気に。
「……っ!?」
誰もいない。この街には、誰もいないのだ。では、あの珈琲は誰が淹れたのだろうか。その異様な風景に、シルヴィは得体の知れない恐怖を感じてぶるりと震えた。
「何も変わらないだろう?」
「そう、なのですか?」
「……あぁ、お前はこの景色を愛していた。だから、残したのだ」
まるで、数秒前に街人が全て転移でもしたかのようだと思っていたが……。違ったらしい。精霊王の言い方からして、街の時が止まっているのだとシルヴィは当たりを付ける。
――何百年とお前を求め続けたのだから。
ふと、そんな言葉が脳裏を掠めた。
シルヴィはゆっくりと街を見渡す。建物の造りが少々古めかしい気はしていた。しかし、まさか、本当に?
シルヴィは、ゾワッとしたものが足を登ってくる感覚に唾を呑んだ。一体どれだけの年月、この街はこの姿を保ち続けているのだろうか、と。