14.モブ令嬢と肖像画
やはりフラグを立ててしまったか。シルヴィは仁王立ちで辺りを見回してみるが、迷子になっている事実は今回も覆りそうになかった。最早お約束である。
ルノーの言う通り根拠のない自信は捨てようとは思っているのだが、人間なかなか変われないもので。シルヴィは結局、自信満々に思うのだ。
「まぁ、大丈夫。何とかなる」
このように。
ただ、逃げようとしたと勘違いされるのは不本意だ。どうしたものかとシルヴィは考えて、建物から出なければ良いかという結論に達した。
初めて訪れた場所とは思えない自信に満ちた足取りで、シルヴィは歩き出す。散策でもするかのように、ゆったりとした速度で。
「わぁ……っ!」
隠しきれない好奇心がシルヴィの黄緑色の瞳を煌めかせる。純金製のものは相変わらずなかったが、異国情緒溢れる調度品の数々にシルヴィは落ち着きなく顔をキョロキョロと動かしてしまった。
いつも“はしたない”と声を掛けてくれるのは、ジャスミーヌだ。ロラが“ま~ま~、ちょっとくらいなら良いと思うの~”とフォローを入れてくれる。
そして、ルノーが“危ないから手を繋ごうか”と優しく手を差し出してくれて――。
「う、ん……」
ルノーの手を取ろうとして、シルヴィの手は空を切った。何をしているのだろう。ここにルノーはいないのだから当たり前であるのに。
静まり返る廊下でシルヴィは独り、立ち竦んだ。半端な形で宙に浮く手をシルヴィは自嘲気味に見つめると、自身に引き寄せる。胸の前でその手を抱き締めると、再び歩き出した。
「大丈夫よ、きっと」
不安などない。何故なら、ルノーを信頼しているから。必ず迎えに来てくれる、と。
何処をどう歩いたのかは分からないが、気付けば大広間のような場所に辿り着いていた。真正面の壁には、誰かの肖像画が飾ってある。シルヴィはまるで誘われるように、その肖像画の前まで足を進めた。
「これ、は……」
近くで見上げたそれに描かれていた人物に、シルヴィは息を呑んだ。母親の若い頃に、そっくりであったからだ。そして、シルヴィはよく言われる。母親によく似ている、と。
ただ、髪色と瞳の色が違っていた。肖像画の人物は、漆黒の髪にエメラルドグリーンの瞳をしている。
シルヴィはどういう事なのかと、記憶を探った。そして、思い出す。母親の出自が少々特殊だったことを。
シルヴィの母、リゼット・アミファンスの祖母。つまり、シルヴィの曾祖母は異国の旅芸者であったそうだ。
それが侯爵に見初められ、後妻としてジルマフェルス王国へとやって来た。そこで、女の子を一人産んだ。
既に前妻との間に長男と長女がいたため、特に貴族同士の政略的な婚姻を結ぶ必要はなく。とある王宮勤めの騎士への報奨として、その子はお嫁に行くこととなった。
その二人の間に産まれた一人娘が、シルヴィの母親である。
「まさか……」
異国とは、ラザハルのことであったのだろうか。そこが繋がるのかと、シルヴィの肌が粟立った。ゾワゾワとした得体の知れない不安が背を撫でる。
母は、明るい茶色の髪をしており少し魔力を持っている。そのため、ファイエット学園の魔法科に通うことになり、白銀の髪をしている一学年上の父と出会うことになった。
可もなく不可もない実力のアミファンス伯爵家には、妙な噂があった。愛ある婚姻しか認めない一族である、などというものだ。
とある者は“あの一族は変わり者だからな”と失笑を滲ませ。
とある者は“あの一族は鈍感で話にならない”と憤りながら。
そして一握りの者は“あの一族とは関わらない方がよい”と弱みを握られているが故に戦々恐々と。
愛を勝ち得なかった周りの貴族の親達は、子らに言い聞かせるのだ。それでも、“伯爵の地位”か“真実の愛”か。何かを求めアプローチする者は大勢いた。
勿論、アミファンス伯爵家は目立たないが故に、噂話含め全く興味のない者も多数いる。
シルヴィは恋愛のれの字も知らなかったし理解できる気もしなかったので、勝手に政略結婚も已む無しなどと思っていただけで。両親は政略結婚しなさいとは、一言も言ってはいなかった。
母親の出自や妙な噂のある伯爵家。フルーレスト公爵がシルヴィにいい顔をしなかった理由は、髪色だけの問題ではなかったということだ。
「他人の空似という可能性も……」
捨てたくない。というのが、シルヴィの本音だった。まだ確定した訳ではないが、この肖像画の人物は“ナルジス”なのだろうとは思う。
「そうなると……」
シルヴィの家系図を遡った先に、彼女がいるのかもしれなかった。自然と肖像画を見つめるシルヴィの顔が険しくなる。
それにしても、この目の覚めるようなエメラルドグリーンの瞳。どこかで見たような気がするとシルヴィは顎に手を当てた。あぁ、そうだ。ザフラの――。
「ここにいたのか」
不意に背後からした声に、シルヴィは驚いて肩を跳ねさせる。振り向いた先には、憎きあの男が立っていた。
「お前は本当に、直ぐ迷子になる」
仕方がない子だと言いたげに、しかし愛おしさを乗せて男の瞳が弧を描く。それに、シルヴィは戸惑う演技をしてみせた。
「ええと……」
「ザフラが大慌てでダイニングルームに飛び込んできたものだから、何があったのかと心配してしまったよ」
「申し訳ありません……」
「謝る必要などない。お前のそれは、今に始まったことではないのだから」
嬉しそうな声音であった。それに、シルヴィは逃げ出したい気持ちをぐっと耐える。あと、殴りたい気持ちも。
「あぁ、これを見ていたのか。お前の絵だ」
いや、違うが? と、口に出しそうになってシルヴィは何とか飲み込む。曖昧に小首を傾げるにとどめた。やはり、ナルジスの絵であったらしい。
「絵に比べると……。今のお前は少々幼いな。しかし、あと三年もすれば出会った時と同じになる」
絵を見上げる男の横顔に、淋しさのようなものが滲んだ。それからシルヴィは、目を背ける。どこまでいっても、シルヴィはシルヴィでしかないのだから。
「お初に、お目にかかります」
シルヴィは伯爵令嬢らしく、挨拶から始めることにした。名乗ろうとして、ザフラとのやり取りを思い出す。
「……貴方様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「それは、思い出してくれ」
「え?」
「ナルジス、お前がつけてくれた名だ」
「左様、ですか……」
これは困ったことになった。年齢当てクイズよりも難解なものがこの世に存在するとは。年齢は当て推量で何とか誤魔化せても、名前は無理がある。しかも、外しても軽い感じで答えを教えてくれる雰囲気ではなかった。
一生思い出せる気はしないが、それでも大丈夫かと確認しておいた方がいいだろうか。いや、発狂されては困るので止めよう。
「初対面のあの日を想起させる」
「……?」
「敬語などなくてよい」
「それは、その……」
「いや、すまない。事を急くものではないな」
男は軽く頭を振りながら、「ゆっくりと思い出していけばいい」と呟く。まるで自分に言い聞かせるように。
「さぁ、晩食にしよう。お前の好きなものを用意させた」
男がシルヴィに手を差し出す。シルヴィは逡巡するようにその手を暫し見つめたが、取る他ないかと手を重ねた。
「精霊王様とお呼びしてもよろしいですか?」
「好きにしなさい」
「……はい」
歩き出した男、精霊王に合わせシルヴィも足を踏み出す。完璧にやってみせる。シルヴィのナルジスとしての生活が始まった。