13.モブ令嬢と世話係
それにしても、ラザハルとは。通りで見るもの全てが見慣れない訳である。しかし妙ねと、シルヴィは部屋に置かれた調度品の数々へと視線を走らせた。
金が使われているものがない。ラザハルは“砂漠と黄金の国”と言われるだけあって、金の産出量が世界で一番だ。所有している金鉱山は、向こう千年は枯れないと言われている。
ここが何処なのかは知らないが、これだけしっかりとした部屋であれば純金の調度品が置かれているのが普通だと聞いたが……。まぁ、人伝に聞いた話の信憑性などないに等しいと思っておけと伯母が言っていたのでそんなものなのかもしれない。
「ナルジス様」
「…………」
「ナルジス様!」
「え?」
「大丈夫ですか?」
少女のエメラルドグリーンの瞳と目が合って、シルヴィはキョトンと目を瞬いた。どうやら少女は、シルヴィのことを呼んでいたらしい。
「えっと……?」
「夕食の準備が整っております」
「あぁ、そうなのね」
「支度しますね」
少女はそれだけ言うと、シルヴィから離れていく。所作や話し方、やり取り、その全てがシルヴィには辿々しく感じられた。
少女はモニクと違って、使用人の教育は受けていないようだ。いや、そもそもとしてこの少女は使用人でいいのだろうか。
衣装棚の中から煌びやかなラザハルのツーピースイブニングドレスを取り出している少女の背に向かって、シルヴィは「あの……」と声を掛けた。
「わたくしは、シルヴィというの。貴女のことを伺ってもよろしくて?」
「はい?」
少女は意味が分からないと言いたげに、眉を顰める。あからさまなそれに、シルヴィは思わず苦笑してしまった。
「……ぼくは、ザフラといいます。貴女の、“ナルジス様”のお世話を精霊王様より命じられておりますので。ぼくが世話係です」
ナルジス様を強調した少女、ザフラから微かに敵意に似た何かをシルヴィは確かに感じ取る。この場に“シルヴィ”という存在は、不要と言うことなのだろう。
しかし、なるほど。世話係かと、シルヴィは納得したように一つ頷く。使用人ではなかったらしい。
ただ、この恭しい態度からして“ナルジス”という女性は、ザフラよりも立場が上ではあるようだ。又は、精霊王がそのように命じたか。
そこまで考えてシルヴィは、はたと止まる。精霊王とは誰のことを指しているのだろう。まさか、あの男のことを言っているのか。
「そう、よろしくね」
どこかほっとしたような吐息を混ざらせ、シルヴィは考えていることとは違う言葉を口にする。
「ザフラと呼んでもいいかしら?」
「……どうぞお好きになさって下さい」
「では、ザフラ。晩食には、その……?」
「勿論、精霊王様がご一緒ですよ」
「そうなのね。分かったわ」
ふわっと完璧に微笑んだシルヴィに対して、ザフラはどことなく嫌そうに表情を歪めた。それがシルヴィにはイヴォンと重なって見えて、貴族にあまりよい印象を持っていないのかもしれないと感じた。
まぁ、ザフラがどのような出身なのかも何も知らないので何とも言えないが。当のシルヴィも貴族だから平民だからと区別するつもりはない。ただ貴族として、弁えてはいるだけだ。
それに嫌われていてもシルヴィは特に気にしない質をしている。まぁ、親しくなっておいて損はないと思ってはいたが。その辺りはひとまず、後で考えればいい。
それよりも問題は、急に登場した“精霊王”という存在について。バラ園でジャスミーヌ達が言っていた。人型の精霊がいるなどとは聞いたことがない、と。
そうだ。忘れてはいけない。ここは、“乙女ゲーム”の世界ではあるのだということを。
「南無三……」
シルヴィが静かになったので、ザフラは支度の準備を進めることにしたようだ。慌ただしく動き回る様子が、何故か今朝のモニクの無駄のない動きを思い出させた。
既にホームシックに成りかけている。それはそうだ。シルヴィは、強制的にこの場所に連れてこられたのだから。
泣きそうになるのを我慢して、シルヴィは深く息を吐き出した。無理矢理に思考を切り替える。
「ナルジス様、こちらに」
「……えぇ、任せるわ」
ザフラの指示通りに衣服を着ていく。ラザハルは絹織物も有名だ。自国のドレスにも使われることのある高品質なそれと同じ手触りがした。つまりは、かなりの高級品。
軽い着心地だった服が、急激に重く感じた。やめて欲しい。気づかなければ良かったと、シルヴィは思わず溜息を溢してしまった。
「お気に召しませんか」
「え? いえ、何だか緊張してしまって」
困った顔で笑んだシルヴィに、ザフラは不機嫌そうだった顔をパッと明るくさせた。どうやら誤魔化せたようだ。
「まぁ、精霊王様ですからね。緊張されるのは当然です」
「大丈夫かしら」
「それ、は……」
「ザフラ?」
一変してザフラが微かに顔を俯かせる。それにシルヴィは、怪訝そうに眉根を寄せた。
「精霊王様は、ナルジス様を大切に思われておりますので」
「そうなの?」
「やはり記憶が……」
「え?」
「大丈夫ですよ。貴女なら」
ザフラはこの話は終わりと言わんばかりに、シルヴィから離れていく。鏡台の方へと向かっているので、髪を整えてくれるらしい。
シルヴィはその背から視線を目の前にある姿見へと移す。ラザハルでは、鮮やかな色彩の服が主流だとは聞いていたが。
「異国情緒とはこのことか」
臙脂色の見慣れないドレスを着た自分を映す鏡に、シルヴィはしっくりきていない顔をした。これは似合っているのだろうか。
「ナルジス様!」
「えぇ、今行くわ」
精霊王を待たせているのか急かしてくるザフラに、シルヴィはゆったりとそう返した。
ルノーならば、“何時間でも待つからゆっくりで構わないよ”とそう言ってくれる。それが、シルヴィの当たり前になっていた。
だから精霊王の言う“愛しい”が嘘ではないのならば、待ってくれるし怒らないのではとシルヴィは思ったのである。
そもそも約束していた訳でもないのに。待たせているという表現は適切ではないだろう。勝手に待っているのだ、向こうが。
刺々しい思考回路になりつつもシルヴィは、ザフラが叱られては事なので言う通りにはしてあげる。優雅な所作で椅子に腰掛けたシルヴィに、ザフラはイライラと足を鳴らした。
「ザフラ?」
「……いえ、何でもありません」
ザフラは無自覚だったのか、シルヴィが窘めるように名を呼ぶと、ハッとした顔をして姿勢を正す。鏡越しに見たザフラの顔には、分かりやすく『ヤバい』と書いてあった。
目が合った気がしたので、シルヴィはニコッと微笑んでおく。ザフラは気まずそうに視線をシルヴィの髪へと落としてしまった。別に脅した訳ではないのだが。
思わず癖で窘めてしまったが、あまり良くなかっただろうか。しかし、精霊王の前でもこの調子だった場合、先行きが不安になってしまう。
「聞いてたのと違う……」
ボソリとそうザフラが呟く。独り言だったのだろうが、距離が近かったせいでシルヴィにもしっかりと聞こえてしまった。
それにシルヴィは、スッと目を細めた。どうやら“ナルジス”に、貴族令嬢らしさはなかったようだ。もっと気安い雰囲気の方だったのだろうか。
まぁ、だから何だという話で。シルヴィはこのまま淑女らしい態度を貫き通してやると心に決めた。私はナルジスじゃなくて、シルヴィだからなぁ! と。
「出来ました」
暫くして、ザフラが達成感の籠った声でそう言った。特にヘアアレンジ等はされていない。花冠のような金の髪飾りにベールが付いていた。まるで踊り子のようだ。
仕上げに魔除けの腕輪だの耳飾りだのと、全て純金で作られているであろうそれらで飾り立てられた。様々な意味で重い。
「こちらのショールを羽織ってください。昼は日差し避けで、夜は冷えるので」
「分かったわ」
衣服と同じ臙脂色のそれを羽織る。これで衣服がもっと踊り子のようであったならば、完全にそうにしか見えないであろう仕上がりになった。
ラザハルには来たことがなかったので、これが普通なのかよく分からない。しかし、可笑しくないのなら良いかと、シルヴィはあまり気にしないことにした。
「では、ダイニングルームに向かいましょうか」
「よろしくね」
「こちらです。ちゃんと付いてきて下さいね」
「勿論よ、任せて頂戴」
いつも通りにシルヴィは、自信満々にそう答えたのだった。