50.皇太子殿下と卒業記念パーティー
入学式の時のようにならなかったのは幸いだったな。あれから季節は過ぎ、まだまだ寒さの残る初春。今日、フレデリク達は卒業を迎えた。
式典は滞りなく終わり、今は王宮での卒業記念パーティーの最中である。フレデリクは一通りの挨拶を済ませ、ルノーを探していた。
フレデリクの目下の不安は、ルノーとシルヴィが離れ離れになることだ。そうは言っても、ルノーは問題なく魔導師試験に合格。魔塔に所属することになっている。
仕事に忙殺でもされてくれれば……。いや、ないな。ルノーのそのような姿は、一切想像が付かなかった。
フレデリクはどうしたものかと頭を痛める。その悩みの種であるルノーが壁に凭れているのが見えて、思わず溜息を吐き出した。当人はつまらなさそうにぼんやりとしているのだから、悩むだけ損な気がしてくるな、と。
「ルノー、こんな端で何をしている」
「殿下……。挨拶に辟易しましてね」
「まったくお前は。皆、卒業を祝ってくれているのだぞ」
「どうでしょうね」
ルノーが冷笑を浮かべたのに、フレデリクはそういう所は相変わらずかと視線を落とした。どうにも他者の嘘に敏感過ぎる。いや、悪意や敵意といった方が正しいだろうか。
「社交辞令は適度に受け取っておけ」
「ただの社交辞令ならばそうしていますよ」
「裏の含みは笑顔で流したらどうだ。ほら、アミファンス伯爵のように」
ちょうどアミファンス伯爵が侯爵と会話をしているのが見えて、フレデリクはそちらへ視線を遣る。釣られるようにしてルノーも顔を向けた。そして、嫌そうに眉根を寄せる。
「今もっとも会いたくない」
「何故だ?」
「魔導師試験の結果が散々だったんですよ。どれだけ笑顔で嫌みを言われたと?」
「あぁ……。そうか。それは大変だったな」
「僕は最善を尽くした筈なのに」
ルノーが悔しそうにムスッと口をへの字に曲げる。珍しいことだ。しかし、求められた結果の事を考えると、ルノーの言い分も分からないでもなかった。この男には酷であろう。
フレデリクは近くを通った使用人を呼び止めると、トレーに乗ったワイングラスを二つ手に取った。その一つをルノーに差し出す。ルノーはそれを素直に受け取った。
「まぁ、お互い無事に卒業できて何よりだ」
「これで一つ、シルヴィとの婚約に近付けましたからね」
「めでたいことだな」
優雅な所作で、グラスを鳴らす。初めて飲んだ赤ワインは、口の中に心地のよい風味の余韻を残した。良いワインなのだろうが、経験値がないため理解は出来そうにない。
ルノーは暫しの間のあと、「思ったよりも苦いのですね」と呟いた。口に合わなかったのだろうか。見た目によらず子どもっぽい嗜好をしているからなと、フレデリクはルノーを観察する。
しかし、再び口を付けたので嫌いではなかったようだ。それを確認して、ルノーの正面にいたフレデリクもルノーに倣って壁に凭れた。
「心配せずとも国のために尽くしますよ」
「よく言う。まぁ、期待はしておこう」
「えぇ、どうぞ。何せ“友”ですからね」
思いもよらない言葉に、フレデリクは危うく口に含んだ赤ワインを吹き出す所だった。間一髪で飲み込んだが、噎せてしまう。
何のつもりかとルノーを見遣ったが、正面を向いたままスンッ……といつも通りの澄ました顔をしていて、フレデリクは判断に迷った。感情が読めない。どういう心情なんだ、と。
問い詰めようと口を開きかけたフレデリクは、しかし「流石です!」という大声に遮られてしまい。騒がしさに眉をしかめる。
「今年の首席、おめでとうございます!!」
「いやぁ!! 当たり前だよ!!」
会場中に響き渡る程の高笑いに、フレデリクは深々と溜息を吐いた。どうやら、あれが今年の魔導師試験首席合格者であるらしい。
「フルーレスト公爵家も落ちたな!!」
「三位であったとか!」
「二位にもなれなかったとは!!」
父親だろう男が鼻高々といった様子で嘲っている。酒が入っているのもあるのかもしれないが、それにしても品がないことだ。
「フルーレスト公爵がいらっしゃるというのに」
「とは言え、ねぇ?」
「まぁ、白金色なのにとは思ってしまうな」
ひそひそと囁き合う声がいつもより耳に付く。隣のルノーが何も言わないので、フレデリクも溜息を吐くにとどめておくことにした。
「これは、フルーレスト公爵。よい夜ですなぁ」
渦中の人物を呼ぶ声が耳に入ってきて、フレデリクは視線だけをそちらへと向ける。眉間の皺が凄まじいことになっている公爵に、アミファンス伯爵がニコニコと近付いていくのが見えて、一気に冷や汗が出た。
盗み聞きは良くないとは分かっているが、時と場合による。そう自分に言い聞かして、耳をそばだてた。
「いやはや、今年の魔導師達は不作ですかな?」
「いきなり何だね?」
「首席の彼の周りにいるのも試験に合格した者達でしょう? 次世代の教育も大変ですな」
遠回しに首席含め使えなさそうですねと言っているアミファンス伯爵に、フルーレスト公爵は唖然とした顔をした。
「それにしても、実に滑稽で面白い状況だとは思いませんか」
「……趣味の悪いことを」
公爵が呆れたように溜息を吐き出す。それを伯爵は、人の良さそうな微笑みで受け流したようであった。
「おい! やめとけって!」
「死に急ぐなよぉ……」
「うるせぇ!!」
次から次に何なのか。今度は平民の卒業生が仲間の制止を振り切って、ルノーへと大股で歩いてくる。真正面で立ち止まると、仁王立ちでルノーを不躾に指差した。
「ルノー・シャン・フルーレスト!!」
ルノーは特に返事をせずに、ワイングラスの中を回る赤ワインを眺めている。それに、平民の卒業生は更に目を吊り上げた。
「っざけんなよ!! 何でお前が三位なんだよ!!」
「知らない。そんなの僕が聞きたい」
「はぁ!? すかしてんなよ!! お前、手ぇ抜きやがったな!!」
その言葉に、会場が水を打ったように静まり返る。やっと顔を上げたルノーが、その卒業生を真っ直ぐに見た。そして、愉快そうに目を細める。
「へぇ? どうしてそう思うの?」
「……っ!! 魔法科で学ぶことなどないとか言って、筆記も実技も満点とった奴が首席じゃないわけねぇだろ!!」
正論である。誰でも気付きそうなものであるが、先ほどの首席とその取り巻き達は目を点にしているのでそうでもないようだ。
「試験の日、僕の体調が悪かったのかもしれないとは考えないの?」
「一瞬、考えたよ。でも、それなら魔力は不安定になる筈だろ」
「少なからずね」
「でも、俺は覚えてたんだよ。実技試験の控え室で、緊張から周りが大なり小なり魔力を乱す中。お前の魔力だけは、まるで凪いだ水面みたいに安定してたって」
ルノーはゆったりとした調子で、「ふぅん」とだけ返した。そして、何事かを考えるように目を伏せる。そう長くない時間であったが、やけにたっぷりと間が空いた気がしたのはこの静寂のせいだろうか。
「そうか。緊張はまるで念頭になかったな」
「は、はぁ?」
「こちらの話だよ。それで? 君は何がそんなに気に食わないの?」
「俺は! この試験にかけてたんだ!」
「……? 落ちたの?」
「落ちてねぇよ! 二位のユーグだ!! 覚えとけ!!」
どうやら彼はルノーの一つ上、二位の成績で魔導師試験に通ったようだ。そうなると、この苦情の理由にフレデリクはおおよその検討がついた。
「でもなぁ……。こんな二位なんにも嬉しくねぇんだよ!! 皆、本気でやってんのに! ふざけやがって!!」
やはりそうかと、フレデリクはその卒業生が憐れになった。何故なら、そんな苦情を言った所でルノーが反省などする筈もないのだから。そもそもとして、ルノーとこの卒業生ユーグとでは試験に対するスタンスがまるで違っている。
「試験の点数が良かったからといって、何になるの?」
「……は?」
「僕は首席に興味ないよ。寧ろ、もっと中間くらいで合格する予定だったのに。何で三位なのか? 僕が教えて欲しいくらいだ」
ルノーが不満そうに眉根を寄せる。ユーグはというと、口をポカンと開けて固まってしまった。つまりこの男は、真ん中くらいの位置で合格できるレベルまで手を抜いたつもりなのに、三位になってしまったというのか。
「首席になったから何? あぁ、そう言えば上位三位以内に入れば配属先を好きに選べるんだったかな。でも、それだけだろう」
「ま、負け惜しみは見苦しいですぞ!!」
我慢ならなかったのか首席の者が割り込んでくる。あれは確か、侯爵家の令息だったか。
「僕の話を聞いていた? 同じことを言わせないで欲しいな。興味ない。試験の点数が良かっただけで、何か功績を上げた訳でもないのに」
「そ、それは……」
「君達の価値観を押し付けないで欲しいな。それと、このように騒ぐような事ではないよ。僕にとってそれは、何の価値もないというだけの話でしかないのだから」
それが、大問題なのだ。しかし、目立つなというのはアミファンス伯爵からの注文であるのだから、首席に価値がないのはそういう理由からであろうとは思う。まぁ、首席に興味がないのは間違いなく本心だろうが。
「話は終わり?」
「あ、はい」
「じゃあ、君」
「何でしょうか」
「首席の君じゃないよ。そっちの君」
「俺?」
「うん。僕は新設される魔法道具の研究班に入るんだけど、君も来なよ」
「は??」
何がどうなってそうなった。ユーグを含め、展開に付いていけなかった周りがざわめきだす。それを意にも介さず、ルノーは機嫌良さげにゆるりと笑んだ。
「ガーランドが入ってくるのは来年だろう。ちょうど優秀なのを探していてね。首席の彼よりも断然、君の方がよさそうだ」
「え……。えぇ!?」
「どうかな?」
「そ、え、か、考えさせてください……」
「構わないよ。いい返事を期待しておこう」
「えっと……。失礼します」
「うん。またね」
ユーグは放心したようにヨロヨロと来た道を戻っていく。高笑いしていた首席の者は、膝から崩れ落ちていた。
「ユーグ!!」
「おれ、え? 俺、生きてんの?」
「しっかりしろー!!」
「しかも、なに? え? 引き抜き? 俺、あのルノー・シャン・フルーレストに優秀って言われたの? え? やっぱり今日死ぬのか?」
「それは……」
「死なないでくれ、ユーグ!!」
「お前のことは忘れないからな!!」
いや、死なん死なん。フレデリクはルノーをどういう目で見ているのかと頬を引きつらせる。しかし直ぐ、日頃の行いを考えると致し方ないのかもしれないと考えを改めた。
「さて、フルーレスト公爵。あの首席、んんふっ……!」
「笑うんじゃない。流石に失礼だぞ」
「これは失敬。首席の父親。目障りなのでしょう?」
「……は?」
「先ほど誰とは言えませんが、彼とは別の侯爵に興味深い話を聞きましてね。ことを荒立てずにあの侯爵に大人しくして欲しいというのなら、どうぞ我がタウンハウスへお越しください」
「な、にを」
「シーズン中は基本おりますので。いつでも、お待ちしていますよ。では、引き続きよい夜を」
「伯爵!?」
アミファンス伯爵は公爵の制止には反応せず、そのまま人が込み合っている場所へ自然に溶け込み姿が見えなくなる。その場には、混乱した様子のフルーレスト公爵だけが残された。
フレデリクは深々と溜息を吐き出す。次期国王である俺がしっかりせねば。もっと、励もう。そう心に決めると、疲れから目を瞑り天を仰いだのだった。