49.モブ令嬢とご褒美
やはり、伯母様は凄かった。シルヴィは怒涛の日々を思い出し、改めてそう思った。此度の件が上手く進んだのは伯母の策略が大きかったからだ。
まぁ、伯母には“私はただ、シルちゃんの骨組みに具体的な肉付けをしただけよ”と誉められた訳だが。その肉付けの方が重要なのではないのかとシルヴィは考えていた。
とは言えここは隣国、社交界は伯母の遊び場。自由に動いてくれる手駒と言葉巧みに操った人間と。イレギュラーも全て上手く転がすのだから、流石と言うしかない。
まぁ、まだ二国間の国交回復や魔界との平和条約は正式に結ばれてはいない。しかし、後の微調整は大人達の仕事だろう。少しでも自国が有利になるようにと慎重を期さなければ、条約を結ぶ意味は大人達にはなくなってしまう。
「いや、私は正直ビックリしている」
「……? 何がですか?」
「というか、自分の人を見る目に自信がなくなりかけている」
「あら~。アミファンス伯爵家が特殊なだけよ~」
「この一族は、“普通”を装うのがお上手ですもの。こんな事でもない限り、見破るのは不可能でしてよ」
「そうだろうか」
リルが組んだ手の上に額を乗せて項垂れる。それに、シルヴィは苦笑いを浮かべるしかなかった。リルにとって、大公夫人は血の繋がりこそないが家系図上で伯母なのだ。
伯父と共にお見舞いなどにも来てくれていたらしい。とても奥ゆかしくて心優しい伯母だとリルは思っていたそうだ。
「奥ゆかしいかどうかは分かりませんが、心優しいのは確かですよ。身内に限るかもしれませんが」
「……私は、身内だよな?」
「伯父様の姪ですからね。不安なら確認してみますか?」
「そ、れは……」
顔を上げたリルが、深刻そうな顔で考え込んでしまった。そこまでの衝撃だったのだなぁとシルヴィはちょっと申し訳なくなった。隠し通した方がよかっただろうか。
「大丈夫よ~。シルヴィ様の友人って事で私達によくしてくださったし。ただ、リル様の姉妹とはいえ私には聞く勇気なんてないけど~」
「だよね。私は今のままの関係を続ける努力をすることにしよう」
「そうですか? 絶対に大丈夫だと思いますけど」
「そうだと良いな。伯母上のことは、私も大好きだからね」
リルは本心だと分かる優しい顔で微笑む。そして、気分を変えるためか紅茶に口を付けた。
ここはディオルドレン大公の本邸。手入れの行き届いた庭園である。そこでシルヴィ達は、お茶会をゆったりと楽しんでいた。
今日が留学最終日。明日にはジルマフェリス王国に帰ることになっている。元々が秋の舞踏会を考慮した短期の予定であった。それが、イヴォンの件があり、今日まで延びた形になる。
「まぁ、伯母上のお陰で上手くいったというのは、私も全面的に賛同するよ」
「凄まじい手際だったわ~」
「わたくしは、特にイヴェットについてが印象的ですわね。まさかイヴェットをイヴォンの双子の姉、しかも滅茶苦茶な女に仕立て上げるなんて……」
「イヴェットさんを此度の事件の黒幕にして、非難の目を全てそちらに向けるなんて私も驚きました」
「だがまぁ、伯母上の言っていた“目に触れなくとも目に見える罰を受けた悪は必要”という言葉は真理だとは思うよ」
詰めが甘かったというのか。平和な世界で生きてきたシルヴィ達には、考えが及ばなかったというのか。
しかし、言われてみれば去年の事件もその悪に魔王がなってくれたから、トリスタンは処罰を受けずに済んだのかもしれない。ルノーは分かっていて、何も言わなかったのだろうか。
「伯母様に“学校に噂好きの口の軽い子はいる?”って聞かれた時は何かと思いましたけど」
「教えた次の日には、学校中にヤバイ姉イヴェットと苦労させられてきた弟イヴォンの噂が広がってたのよね~」
「衝撃が凄すぎて、わたしくは一生忘れられませんわ」
「私もだ」
「あはは……。まぁ、伯母様ですから」
「それで流せるシルヴィ様は、人生何周目なのよ~」
「二回目? です」
「我々もなんだがなぁ」
リルの言葉にロラが「ね~」と同意しながら目の前にあったマドレーヌを手に取る。そのまま口に頬張った。
「ちょっとロラ様、はしたなくってよ」
「普段我慢してるんだから見逃してよ~。口一杯に甘いものがある幸せ~」
ジャスミーヌの注意など気にせずに、ロラは再び大きく口を開けてマドレーヌを食べた。ロラは所謂、一杯食べる君なのである。
本人の言い分通り、普段はマナー通りに小さな口で行儀よく食べている。しかし、本心では物足りな~いと嘆いているのだろう。
「まぁまぁ、そんな堅苦しい場ではないんだから、無礼講だよ。どうか可愛い妹を許してやってはくれないかな?」
「キラキラが凄いです」
「分かっててやっていらっしゃいますよね?」
「バレた?」
「お姉様しか勝たんから~」
「この姉妹は!!」
目を吊り上げたジャスミーヌに、リルもロラもニコニコと笑うだけ。大人の余裕というやつか。まぁ、多少は体の年齢に引っ張られているからこんな会話が成り立つのだろうとは思うが。
「騒がしいね」
不意に入ってきた第三者の声に、全員の視線がそちらへと向く。そこには、どこか疲れた顔をしたルノーが立っていた。何があったのかとシルヴィが首を傾げる。
「殿下が口煩くて限界だ」
「えぇ……? それは、お疲れ様です」
「ごめんね、シルヴィ。邪魔はしないから匿って」
ふらふらとシルヴィに近付いてくるルノーに、そんなに大変だったのかとシルヴィは困ったような笑みを浮かべた。
流石にシルヴィの一存では決められないため、シルヴィは三人に確認しようと視線を向ける。その視線を受けて、三人は顔を見合わせ頷いた。
「構わないよ、シルヴィ嬢」
「そうですか? では、お言葉に甘えて。ルノーくん、匿ってもいいって」
「……感謝いたしますよ、王女殿下」
貴族らしく微笑んだルノーに、リルは何とも言えない顔になる。初見の食堂では、この演技にまんまと騙されたのを思い出したのだ。
「いやいや、伯父の本邸が吹っ飛んでは事だからね」
「…………」
いい笑顔でそう言ったリルに、ルノーは渋い顔をしたものの言い返す元気もないのか、溜息を吐いただけであった。
随分とお疲れだ。まぁ、普段ご令嬢だけのお茶会にこうして割り込んでくる事などないので、余程なのだろう。
そう判断したシルヴィは席を譲ろうかと思ったが、立ち上がる前に「シルヴィが座ってて」と制されてしまった。
「いいよ。ルノーくんが座りなよ」
「じゃあ、代わりにそれ頂戴」
「うん? カヌレ?」
「そう」
相も変わらず甘いものが好きなルノーに、それで良いならとシルヴィは了承の返事をする。フォークでカヌレを取ってあげた。
そのままフォークを渡すつもりだったのだが、ルノーはシルヴィの手をフォークごと持つ。流れるようにしれっとカヌレを口へと持っていった。
まぁ、いつもの事なのでシルヴィは特に気にしない。ジャスミーヌがはしたない云々と嗜めていたが、ルノーは完全に聞き流していた。
「美味しいよね」
「うん。大公家のお抱えなだけはある」
ルノーの機嫌が分かりやすく回復する。良かったと、シルヴィは頬を緩めた。
「フレデリク様に、何をそんなに煩く言われたんですか?」
聞くなら今だと思ったのか、ロラがすかさずそう問いかけた。ルノーは思い出したのか、嫌そうに眉根を寄せる。
「ジルマフェリス王国に帰っても、喧嘩は買うな。やれば出来るのなら、爆発も我慢しなさい。他にも色々。まだ聞こえてくる気がする」
「あら~……」
「ルノーくん、フィナンシェいる?」
「いる」
ルノーにここまで口煩く出来る人も貴重なので、是非フレデリクには今のままでいて欲しいとシルヴィは思っている。口には絶対に出さないが。
それにしてもと、シルヴィはルノーは見上げた。目の前でフィナンシェを幸せそうにもぐもぐしている人物と、魔界で岩山を消し飛ばした人物とが一緒だなんて誰が想像できよう。
しかも、メェナに教えて貰ったのだが、岩山を消し飛ばした序でに“喧嘩を売りたい者はかかってくると良い。特別に機会を設けよう”とルノーが言い出し。魔界王者決定戦が開幕したらしい。
ルノーは挑んできた魔物達をきっちりノックダウンで全員返り討ちにしたそうで。魔界はお祭り騒ぎ、終わった後も宴で楽しかったとメェナが言っていた。宴にルノーが珍しく参加したのもあり、他の魔物達も喜んでいたとのこと。
「ルノーくん、頑張ったのにね」
一瞬ルノーは何の話かと目を瞬いたが、直ぐに察したのか嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、ご褒美くれる?」
「ご褒美?」
「うん。くれるの?」
「ん~……。いいよ」
少し考えるような素振りはあったものの、シルヴィは軽い調子で了承する。ルノーは良いんだとは思ったが、くれるのなら欲しい。
「何がいい? 何でもいいよ」
「なんでも……?」
「私に出来ることならだけど」
何にも思っていなさそうな純粋な瞳に見つめられて、ルノーは固まる。どうしてそう的確に心を乱すようなことを言ってくるのか。
「うん」
「うん?」
「すこし、かんがえるね。じかんをくれる?」
「分かった。決まったら言ってね」
ルノーは心ここに有らずといった風に頷くと、ふらふら歩き出す。それに、「え? ルノーくん?」とシルヴィが怪訝そうに声を出した。
少し行った所で足を止めたルノーは、いつものように指を鳴らす。すると、上から大量の水がルノー目掛けて落ちてきた。
「何で!?」
驚いたシルヴィが、弾かれたように席を立つ。慌ててルノーに駆け寄っていった。
「セルフで心頭を滅却してるわ~」
「煩悩を消し去るには、滝行がいいのだろうか」
「ルノー様も大変よね~」
「ぼ、煩悩? 今の会話のどこにそんな要素がありまして??」
「トリスタン卿も苦労するな」
「お嬢様をここで発揮してくるのね~」
「……??」
不思議そうな顔をするジャスミーヌに、リルとロラは暖かい眼差しを送っておいた。