47.2の騎士と王女殿下
理解していた。マリユスは己の役目を。
僅か六歳にして、マリユスの命は王女殿下、延いては国のためのモノとなった。顔合わせの前日は、緊張してよく眠れなかった。
「はじめまして。私はリル・イネス・ヴィノダエム。よろしく頼むよ、マリユス」
「は、はい! よろしくお願いいたします!」
自身の拙い挨拶に、優しい微笑みを浮かべたこの方を命に代えても守らねばならない。恐れがないなど無理な話であった。
しかし、王女殿下にこの身を捧げられる。騎士にとってこの上ない誉れなのだと、マリユスは己に言い聞かせた。
病弱でか弱い。世間知らずの箱入りお姫様。周囲で囁かれていた印象と、実際に関わったリルの印象はまったくといって良い程に違っていた。
確かに彼女は病弱ではあった。しかし、“か弱い”というよりも“逞しい”という表現が合うような方だった。熱が出ようとも快活に笑い。病み上がりだとて机に向かい勉学に励む。
マリユスはリルを立派な方だと思った。支えて差し上げたいと。必ずお守りしなければと。何処かで自分の方が強いのだからという自負は確かに存在していた。リルがこっそりと鍛えている現場を目撃するまでは。
「あっ」
「な、な、なにをされて」
「見つかってしまっては仕方がない。どうかな、マリユス。私と手合わ」
「うわぁあ!? お体に障ります、殿下!!」
「やはりこうなるか」
マリユスは必死に訴えリルを止めたが、リルは微笑むばかりで。完全に流されたなとマリユスは頭を抱えたのだった。
そして、マリユスはリルに“か弱い”などという言葉が如何に似合わないかを再認識する事となった。何が自分の方が強いだ。遅れを取るなどあってはならない。騎士の名折れだ。マリユスは一層鍛錬に勤しんだのだった。
その日もリルに振り回されつつ、いつも通りの何でもない午後を過ごしていた。だというのに、何故こんな事になってしまったのか。
複数のならず者達を前に、一歩も引かない堂々としたリルの背中にマリユスは歯噛みする。彼女も同じ十二歳なのに。どうして護衛騎士の自分の方が震えているのか、と。
「神妙にお縄につけ!!」
一応止めてはみたが、マリユスはこの六年で十分に理解していた。リルが止まる筈などないと。早々と諦めたマリユスは、勢いに任せて飛び出した。リルと背中合わせになり、剣を構える。
「背中は預けたからな、マリユス!」
「お任せを。全ては王女殿下の仰せの通りに!」
そこからは、無我夢中であまり覚えていない。ただ、震えは気付けば止まっていた。
ならず者達を全員捕縛出来たのは良かったが、リルは熱を出し倒れてしまった。マリユスは鍛錬が足りぬと、父に叱責されたのだった。
「何も知らないくせに……」
自室のベッドの上でマリユスは、不貞腐れたように丸まる。思わずそんな言葉を独りごちて、重々しく溜息を吐き出した。
自分はあの方に必要なのだろうか。マリユスは己の役目が分からなくなってきていた。今日の出来事がぐるぐると頭を回る。
ほの暗い感情に呑まれそうになった時だった。何処からともなくリルの“背中は預けたからな”という言葉が聞こえた気がした。それにマリユスは目を見開くと、弾かれたように起き上がる。
あぁ、そうか。あの方をお守りするなど畏れ多いことなのだ。寧ろ、足手まといになる可能性すらある。だが、それでも任された。任せてくださったのだ。半人前にすらなれていない自分に。
「お応えしなければ」
ぐだぐだと拗ねて止まっている暇などない。あっという間に置いていかれて、リルは見えなくなるだろう。
焦りにも似た何かに突き動かされて、マリユスは模擬刀を手に部屋を飛び出していた。迷いを振り払うように、ただひたすらに模擬刀を振った。
「すまなかったね、マリユス」
熱が下がり体調が落ち着いたリルと久方ぶりに会ったマリユスは、開口一番そう言われて固まった。リルは眉尻を下げながら自嘲を滲ませ微笑む。
「どうにも、私には覚悟というものが足りないようだ」
広げた両手をじっと見つめるリルの表情には、苦悩が滲んでいた。覚悟。何の覚悟。マリユスの脳裏に“命を奪う覚悟”という言葉が浮かぶ。
時に必要になる冷徹な判断。リルは無茶苦茶であるが、心優しき王女であるのだ。そして、自分と同じ迷い悔いる人間。マリユスの覚悟が本当に決まったのは、その時だった。
お守りしたいと思った。王女殿下の手は、人々を守るためのもの。その綺麗で優しい手が血で赤黒く染まらぬために。
「それは、俺も同じです」
マリユスは恭しく片膝をつく。リルがキョトンと目を瞬いた。
「マリユス?」
「どうか俺をお使いください」
「使うなんて」
「俺は、貴方の剣なのですから」
無下にしないで欲しかった。マリユスの覚悟を。それは、主に対して我が儘であるのかもしれなかったが、マリユスはどうしても受け取って欲しかったのだ。
その気持ちが通じたのか、リルは「そうか」とだけ言葉にする。時期女王に相応しい、凛とした声だった。十分だった。王女殿下の翳りも迷いも全てを斬り伏せてみせよう。
それが、己に与えられた役目。いや、自分で決めた。望みであり、志であり、生きる指針。誰が何と言おうとも、揺らぐことのない誇り。
それから、マリユスとリルの関係は……。特に変わりはしなかった。相も変わらずリルに振り回されながら、マリユスは必死に剣と魔法の腕を磨く日々であった。
それが、アンブロワーズ魔法学校への入学が決まり日常は変化し出す。晴れて自由の身となってしまったリルの無茶苦茶具合にマリユスは胃を痛めることとなったのだ。
今日も今日とて女子生徒に黄色い声を送られているリルに、マリユスは現実逃避するように何処か遠くを見遣る。こんなに目立って大丈夫なのだろうか。
「リルさーん……」
「心配無用だよ、マリユス」
「何処からその自信が出てくるんです?」
「心の底から!」
「強い……」
平民として入学するにあたり、堅苦しいのはなし、気安い雰囲気を心掛けると取り決めたため、マリユスはそれを忠実に守っていた。
それもすっかり板に付き、もうずっとそれで良いよなどと困らせてくるリルを躱す方法を探す羽目になった二年生の始業式。事件は起きた。
魔物が乱入してきたのだ。それを皮切りに魔物達の動きが活発になっていく。しかし、リルが警戒したのは、イヴェットという平民の女子生徒とテオフィル・レノズワール伯爵令息であった。
レノズワール伯爵家は元々きな臭い噂が絶えず、マリユスも護衛騎士として警戒するよう通達はされていた。しかし、イヴェットという平民のことは何の情報もない。
まぁ、何であれマリユスはリルのために動くのみである。そして、マリユスが頼まれたのは、テオフィル・レノズワールの監視統括の方であった。
二学期になると、何故か隣国からの留学生がやって来た。魔物の動きが活発なこの時期に何故と思ったが、答えは単純であったらしい。
光の乙女の再来、ロラ・リュエルミ男爵令嬢がいらっしゃるというのだ。国の思惑が色々と混ざり合っているのだろう。マリユスは触れないことにした。
だというのに、リルは隣国のご令嬢方と親しくなり。リュエルミ男爵令嬢と双子の姉妹だとか何とか。マリユスの胃痛の原因は増える一方であった。
しかし、闇の魔力もちであるルノー・シャン・フルーレスト公爵令息とトリスタン・ルヴァンス侯爵令息のお陰で、マリユスの任務が動き出す。教会の過激派が校内に侵入したのだ。
逃げ足の早い連中であることは情報にあったが、これ程までとは。道理で捕縛できない訳である。何とか隣国からのお客人にバレる前に事を終わらせたかったが、手こずってしまった。
そのせいで、トリスタンが急襲されてしまったのだ。どうリルに報告しようかとマリユスは重い足取りでリルの元へと向かったのだった。