44.モブ令嬢と魔断石
こんな筋書きで、本当に大団円ハッピーエンドに辿り着けるのだろうか。シルヴィは段々と不安になってきた。
「んんっ、その……。リル嬢が何者であるのかを差し支えなければ教えて頂きたいのだが」
大体察しているのだろう。フレデリクが聞いても良いものなのかとリルに視線で問うた。リルは「んー……」と考えるように視線を上に遣る。
直ぐに視線はフレデリクへと戻ってきた。合った瞳が堂々としていて、フレデリクは自然と背筋が伸びる。
「私は、リル・イネス・ヴィノダエム。訳あって挨拶が遅れたこと、申し訳なく思っております」
「いえ、お気になさらないでください。俺は、フレデリク・リナン・ジルマフェリス。仲良くして頂けると幸甚です」
「こちらこそ。しかし、どうにも堅苦しいのは苦手でして。気軽に呼び捨て」
「殿下?」
「冗談だろう、マリユス」
「貴女は~……」
「眉間の皺が取れなくなるよ?」
「誰のせいだと?」
「あははっ、気軽にリルと呼んでください」
「では、リル王女と。俺のこともどうか気軽に」
「よろしいので? では、フレデリク王子と呼ばせて貰います」
リルの気安い雰囲気に場が和む。しかし、それはジルマフェリス側だけの話であった。
ヴィオレットが衝撃を受けた顔で固まっているのに気づいて、シルヴィが肩を跳ねさせる。まぁ、自国の王女にツンツンした態度を取っていたのだから、それはそうなる。
「ヴィオレット様、お気を確かに」
「あら~、戻ってきてくださ~い」
「駄目ですわね。ダメージが大き過ぎたようですわ」
「困ったな。この後も出来れば平民として通いたいのだが」
「正気ですか、殿下」
「正気も正気だよ、マリユス。だってその方が、とっても楽しいから!」
「しかしですね」
「大丈夫さ。必要なのは“王女殿下”の存在だけだ。私の名を出さずとも何とでもなる」
リルがシルヴィに同意を求めるように「ね?」とウインクする。それに、シルヴィはリルがそれで良いならと頷くことで答えた。
「直ぐに特定されるのではありません?」
「私が認めない限り、それは噂でしかないよ。ミステリアスで素敵だろう?」
「あ~……。更に人気が出そうではあるかも~」
「女子生徒の黄色い悲鳴が飛び交いそうですね」
「ふふっ。そういうことだから、マリユス頼むよ」
「左様ですか……」
マリユスは諦めたように、息を吐き出す。そうなると、この場で自分は正体を明かさずこのまま平民ということにした方が都合は良さそうだ。かなり無理があるのは理解しているが。
「なぁ、マリユス」
トリスタンが何か言いたげに、しかしフレデリクと同じく触れて良いものかと俯き加減にちらちらと、マリユスの様子を窺う。それにマリユスが困ったように笑って、立てた人差し指を唇に当てた。
トリスタンは全て解決したら教えてくれると約束したのにとは思ったが、マリユスにも立場というものがあるのだろうと口を引き結ぶ。そのまま陰鬱なものを背負って、完全に俯いてしまった。
これはまずいと、シルヴィとロラはジャスミーヌにジェスチャーを送る。慰めて! いけー! という思いを込めて。
「あっ、その……。トリスタン様」
ジャスミーヌは何と声を掛けようかと悩むような間のあと、トリスタンの名を呼んだ。
「何です?」
「人が多いですから。後で二人きりで聞いたら如何かしら。きっと、教えて下さいますわよ」
「……たしかに。そうかも。そうします」
どうやら病みは回避出来たらしい。情けない顔ではあるが、笑みを見せたトリスタンにシルヴィとロラは、よし! と心の中でガッツポーズした。
ジャスミーヌが小声で「尊い……」と言っているが、幸せそうなので突っ込むのは止めておく。トリスタンも流すことにしたようだ。
「さて、シルヴィ嬢の案だが。私は賛成だ。一票入れるよ。魔界との平和条約なんて、この機を逃せば一生結べないだろうからね」
リルが然も楽しいと言いたげに、ニンマリとした笑みを浮かべる。
「ふむ……。悪い話ではない、か。俺も一票入れよう」
フレデリクも賛成したため、皆はシルヴィの案でいくことが決まったのだと判断した。ならばと、この芝居を成功させるための自身の役割をそれぞれが考え出す。
シルヴィも不安を振り払って、出来ることを精一杯するしかないと腹をくくる。言い出したのは自分なのだから。
「イヴォンの光と闇の魔力は、どうにかしたい所だが」
「ジルマフェリス王国への手紙は、検閲されるかもしれない事を考えると送れていなくて……。詳しいことはまだ分からないんですよね」
「魔断石の情報が欲しいな」
リルとシルヴィの会話に、ルノーは大体のことを察する。イヴォンに興味の欠片もなくなっていたが、シルヴィの願いを叶えるために必要ならばいなくなられると困る。
魔断石か……。ルノーは何か良いのはあったかと、暇潰しに貯めた知識を探った。一つ、思い当たるものを見つけ視線をイヴォンへと向ける。
ルノーと目が合って、イヴォンは大袈裟に肩を跳ねさせた。凄い勢いで顔を背けると、更にソレイユを抱き締める。
「シルヴィ」
「ん?」
「魔断石なら、良い情報があるよ」
「……? ルノーくん、興味なくなったって言ってたのに?」
「なくても、シルヴィが知りたいなら何でも教えてあげるよ。それに、調べてもあげる」
「えぇ? でも、それって大変なのでは?」
「シルヴィが求めてくれるなら、それは苦ではなくなるからね」
「どういうこと?」
「そういうこと」
いや、分からん。シルヴィは難しい顔で首を捻る。つまり、他の人に興味がないことを聞かれたら面倒ってなるが、シルヴィだとならないということだろうか。
「それは所謂、“惚れた弱み”??」
純粋な疑問が乗った声音に、ルノーは目を瞬く。特別な意味などないのだろう。ある種、悪い女であるのかもしれない。
「そうだよ」
だからこそ、ルノーは素直に肯定する。喜んで欲しい。笑って欲しい。求めて欲しい。褒めて欲しい。そんな下心を多分に含んでいるのだと意識して貰うために。
それにシルヴィは、じわじわと頬を赤らめる。ルノーが気付くよりも先に「えっと、じょ、冗談」と逃げようとした。
「に、してしまうの?」
しかし、ルノーの何処か縋るような響きを孕んだ問いに遮られ、シルヴィは顔をルノーへと向ける。真っ直ぐに目を合わせたシルヴィは首を左右に振った。
「しないよ」
「……うん」
「ごめんね」
申し訳なさそうに下がったシルヴィの眉尻に、ルノーのそれも釣られるように下がる。しかし、どこかその表情には喜色が滲み出ていた。抑えることが出来なかったらしい。
ルノーは我ながら狡いものだと他人事のようにそう思った。シルヴィがルノーの気持ちを否定しないことを知っていて、聞いたのだから。「……ふっ」と穏やかに空気が揺れる。
「もっと、“惚れた弱み”に付け込んでよ。ねぇ、シルヴィ。いいだろ?」
「それは……。いや、うん。考えるね、ちゃんと」
どうなんだろうとか、言い方よとか、色々と思うところはある。しかし、ルノーの気持ちを冗談にしないと決めたのはシルヴィだ。しっかりと受け止め、考えることにした。
期せずして手応えのある答えが返ってきたことに、ルノーは目を丸める。次いで、陶酔したように目尻を下げた。
「魔断石の情報はいる?」
「うん、いる」
「分かった。じゃあ、そうだな……。今でも魔塔では魔断石の有用な使い方の研究がされているんだけど。中には使い道がなく大々的に発表されていないものもあってね」
「普及しなかったってこと?」
「そうだよ。その一つに『魔断石で特定の魔力を断つ加工方』という研究がある。実験も成功したようだけど、態々特定の魔力のみを断たねばならない場面などないだろ?」
「確かに」
「だからこの研究は、ジルマフェリス王国では隅に追いやられた。しかし、彼には役に立つ研究ではないかな」
ルノーの情報はまさにシルヴィが求めていたものであった。もはや最終手段は闇魔法で魔力を“隠す”しかないかと思っていたのだが。
流石はルノーである。シルヴィはこの喜びと感謝をどう伝えようかと考えて、ルノーの片手を取り両手で包み込んだ。
「ありがとう、ルノーくん。やっぱり知識は嵩張らないのね!!」
シルヴィの喜びを宿した瞳と目が合って、ルノーはクラクラとした目眩にも似た優越感を抱いた。煌めきの中には、ルノーしかいない。シルヴィの瞳を独占している。その事実が毒々しい愉悦をもたらすのだ。
堪らないな。ルノーの心情を表すかのように、再び木が爆発する。一度は目を瞑ったフレデリクであったが、今回は「ルノー!」といつものように叱っていた。
それに、シルヴィの視線がルノーから逸れる。しかしルノーはそれを許さなかった。シルヴィの頬に優しく触れると、目が合うように元の位置へと戻す。
「えっ」
「好きだよ、シルヴィ」
「急に」
「急じゃないよ。ずっと好き」
心底幸せそうな甘ったるい低音が耳朶に触れる。シルヴィは再び頬を赤らめながら、「う、ん……」としか言えなかった。
「後でにしてくださる?」
「やだ~! ラブラブ~!」
「ロラさんもふざけないでくださいませ!」
「えっと、き、木が燃えてるから」
「トリスタンが消すから大丈夫だよ」
「俺ですか!?」
名指しされたトリスタンが慌てふためく。しかし、“彼”でも“君”でもなく“トリスタン”と呼ばれたことに気付き、衝撃にトリスタンの時が一瞬止まった。
「水魔法ならわたくしも使えましてよ」
「あっ! そっ、俺がやります、よ?」
「え? 一緒にやってくださるの?」
「そんなことは言ってな……。まぁ、はい。やりますか? 一緒に」
「勿論ですわ!!」
ラブラブは後でにしてと言っていたジャスミーヌであるが、推しへの愛に屈服したらしい。目がハートマークになって見えた。
「物の見事な棚上げ~」
「まぁまぁ、幸せそうなのでそっとしておこうじゃないか。私達が話を進めれば問題ないさ」
「も~。しょうがないんだから~」
シルヴィはこの状況がとても恥ずかしいので助けて欲しかったのだが、リルにもロラにもその気はないらしい。頼みの綱のジャスミーヌもトリスタンに取られてしまった。
「る、ルノーくん」
「なに?」
何故こうなったのか。シルヴィはソワソワと落ち着かなくて、視線を地面へと下げる。そんなシルヴィの反応をルノーは堪能するようにうっとりと見つめるのだった。