37.モブ令嬢と一触即発
扉はどうなったんだろうか。段々と落ち着いてきたシルヴィは、惨状になっているであろう部屋を直視したくなくて、クローゼットから出られずにいた。
しかし状況的にも、そろそろ諦めて現実を見るべきであろう。シルヴィは重々しく溜息を吐くと、淑女らしからぬ居住いを正すところから始めた。
「シルヴィ様!!」
「ご無事ですの!?」
《魔王妃様ぁあ!!》
「うっわ!? 何これ泥棒でも入ったの!?」
「泥棒ではなくて悪漢ですわよ!!」
慌てすぎてよく分からなくなっているロラとジャスミーヌの会話に、シルヴィは苦笑する。というか、目眩ましの魔法はどうなっているのだろうか。解除方法が分からないのだが。
ひとまず、シルヴィはクローゼットから出てみた。二人だけではなくメェナにも気付いた様子はない。
「ロラ様、ジャスミーヌ様、メェナ」
「シルヴィ様!? 良かった、無事なのね~?」
「何処にいらっしゃるの!?」
「う~ん……」
これは、困った。いや、待てよとシルヴィは抱えたままだった兎の人形へと視線を遣った。もしかしてと、人形をそっとベッドへと置く。
「わぁあ!?」
「きゃぁあ!?」
《おや、そちらにいらっしゃいましたか》
二人の目にはシルヴィが急に現れたように見えたため、絶叫が部屋に響き渡った。メェナは平然としているが。
「私です!」
「えぇ!? シルヴィ様!?」
「驚くではありませんか!!」
まぁ、それはそうか。シルヴィは自分でも驚くなと思ったので「すみません」と謝っておいた。
シルヴィは恐る恐ると部屋の中を見回してみる。ロラが言っていた意味がよく分かった。荒らされて見るも無惨になってしまっている。
「ナディア様に申し訳ない」
「シルヴィ様のせいじゃないわよ~」
「ご自身の身の安全が第一ですわよ」
「ありがとうございます」
《ご無事で何よりでございます!》
「メェナもありがとう。約束したからね」
《はい!!》
シルヴィはメェナの頭を撫でながら、先程あった出来事を搔い摘んで二人に説明した。二人はシルヴィの話を聞き終わると、衝撃を受けた顔で兎の人形を見る。
「ウサミにまで?」
「何て抜かりのないこと……」
そこ? とは思ったが、それはシルヴィも否定はしないので何も言うまい。
「でも、お陰で無事に切り抜けられました」
「流石はルノー様よね~」
「外の様子はどうなってますか? やっぱり学園中に魔物がいます?」
シルヴィの質問に、ロラとジャスミーヌは顔を見合わせる。そして、何とも言えない顔をした。それに、シルヴィは首を傾げる。
「えっと、全勢力をルノー様に割いてると思われま~す」
「……え!?」
「おそらくですけれど、反魔王派の数はそれほど多くはないのではと」
「そういえば、ルノーくんも怖じ気づいた者がいるって言ってました」
「怖じ気づいた数が多かったのか。そもそもが少数の組織だったのか。詳しくは分からないけど、ゲームとは比べるまでもなくって感じよ~」
「ルノーくんの魔界での存在感みたいなのを垣間見た気がします」
《我らが魔王様ですので!!》
本人のやる気の有無に関わらず、彼はやはり魔王であるのだろう。改めてそう認識すると、やはりモブ令嬢の自身には荷が重いような。
「ですから、外に出ても問題はありませんわ」
ジャスミーヌの言葉に、シルヴィの思考が掻き消される。今はそんな事を考えている場合ではなかったのだった。
シルヴィはどう動くのが最善かと思考を巡らす。このまま無闇に動かないことが、最も安全ではあるだろう。しかし、大団円ハッピーエンドのための一手としては、悪手。
「勿論、シルヴィ様も行くでしょ?」
「わたくし達がおりましてよ」
頼もしい友達が二人、そして……。圧倒的ヒーローが手紙で駆け付けてくれるはず。そう、はずでしかない。不確定要素は多かった。
しかし、伯母もいつか言っていた。“思い切りが大事な時もあるのよ、シルちゃん。アミファンスの人間ならば、運でさえも読み切りなさい”、と。
こちらには、前作ヒロインと今作ヒロイン。ハッピーエンドのフラグは揃っている。ハッピーエンドの世界線で、運がヒロインを裏切ることなど有りはしない。
「行きましょう。目指すは大団円ハッピーエンドのみ!」
前を見据えたシルヴィに、二人は「おー!!」とお約束で拳を上に突き上げる。それに、いい感じに肩の力が抜けたシルヴィは、二人に倣って「おー!」と笑んだ。
三人とメェナは女子寮から出ると、迷うことなく騒ぎの中心へと走っていく。メェナは見つかると騒ぎになる恐れはあったが、姿形は小さな羊なので誤魔化せる方に賭けた。
シルヴィはちらっと白銀のドラゴンを見遣る。想定よりも小柄に見えるのは何故なのか。上空から落下してきたルノーが、もっと大きく見えたからだろうか。
「白銀のドラゴンとイヴォンは兄弟のように育ったのよね~。大団円ハッピーエンドなら、白銀のドラゴンも無事じゃないと」
「ルノー様はシルヴィ様の制止しか聞きませんわよ!!」
「そこは、殿下の言うこと聞いて欲しい!!」
「この状況を考えるとフレデリク様も制止するかどうかビミョ~」
「まぁ、止める理由はありませんわよね。『やりすぎるなよ』くらいならばあるかもしれませんけれど」
「確かに!!」
それはそうだ。何とか最終決戦の火蓋が切られる前に辿り着きたいところである。
そう、シルヴィ達は思っていたというのに。
「シルヴィ・アミファンス!!」
後ろからのその声に、立ち止まってしまったのは何故なのか。しかもそれは、シルヴィだけではなかった。ロラもジャスミーヌも足を止め、後ろを振り返ってしまう。
そこには、どれだけ走り回ったのか、酷く息を切らしたイヴェットが立っていた。
「逃がさねぇぞ! 絶対一緒に来て貰う!!」
もはや手段は選ばないつもりらしい。イヴェットがシルヴィに向かって杖を構える。その顔には、焦燥が滲んでいた。
「シルヴィ様さがって!」
前に出たのは、ロラであった。腰に吊るした聖なる剣を抜いたロラは、迷いなくそれを構える。そこには、ヒロインが立っていた。
「舐めないでよね。私だって、ヒロインなんだから!!」
「意味分かんねぇこと言ってんなよ! 邪魔するなら、容赦しねぇぞ!!」
一触即発の雰囲気に、シルヴィが息を呑んだ。その時であった。腕輪がキィン……と不穏な音を立て光り出したのは。
「えっ」
それに気付いたシルヴィは、目を点にした。隣にいたジャスミーヌも驚いた声を出している所を見るに、シルヴィの見間違いとかではないようだ。
「待って!? まだ攻撃されてないから!!」
思わず大きな声を出したシルヴィに、ロラとイヴェットの視線も向く。事情を知っているロラの顔色がさっと変わった。
「なんで!?」
「分かりません!!」
「何に反応したと言うのです!?」
「それも分かりません!!」
意味がないのは分かりつつもシルヴィは、腕輪をしている方の腕を伸ばし上下左右に振ってみる。深い紺色の光は消えるどころかどんどんと強くなっていった。
「キャンセル! キャンセルしてくださいませ!!」
「どうやってですか!?」
「ひとまず、声に出してみて!」
「キャンセル!! キャンセルしてお願い!!」
必死に訴えたが、腕輪は光り続ける。どうやらキャンセルは不可のようだ。しかし、攻撃魔法はまだ発動していない。ということは、このままイヴェットさえ魔法を放たなければ。
「クソッ!! 何する気か知らないが、舐めるなはこっちのセリフなんだよ!!」
イヴェットの持つ杖が深紅に煌めく。シルヴィの脳が瞬時に危険を知らせた。イヴェットは勘違いをしたらしい。先手必勝だったのだろうが、この腕輪はその攻撃をカウンターで迎え撃つもの。
「だめ!!」
「“ルミフェール”!!」
イヴェットが呪文を唱えた声を耳が拾った瞬間、シルヴィはロラよりも前に飛び出した。このままでは、ロラが危ないと判断したからだ。
真っ直ぐにシルヴィに向かってくる光の玉を容易く掻き消す。凄まじい威力の炎魔法が全てを飲み込み、爆音を響かせた。