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6/16

(6/16)サトルの実家

 サトルの実家に呼ばれた。


「是也さん。月2回はうちに来てくれてたのに、最近全然来なくて『冷たいわ』って思ってたのよ。お付き合いされてる方がいらしたからなのね。今度は奥様もいらしゃい」


 とマリア……つまりサトルの母……つまり大里会の本部長に言われたのである。


 本当に驚いた。


 学校から徒歩5分のお屋敷だったからだ!!


 紫陽の母校は体育館のすぐ前が小さな森になっていて、門で学校と森が区切られていた。その森の奥がサトルの実家だったのである。


 この『お屋敷』はみな知っていた。が、サトルは通勤に1時間かけているわけで。まさか『実家』が学校の真隣だとは誰も思わなかったのだ。


 タカハシに連れられサトルの実家の門をくぐり紫陽はポカーンとした。


 庭に池がある……。

 しかも小さな橋がかかってる……。

 高そうな鯉が20匹ぐらい泳いでる……。


 これが! あの茶髪の! 『うるせーてめーっ』って言ってる男の生家か!?


「家の敷地の1部を女子高にしたのが始まりらしいよ」


 え? どこのお殿様出身!?


 玄関は1面の大理石で、金の線が1本引かれていた。たぶんこの線の『前』が靴を履くところで『後』が居住部分なのだろう。


「いらっしゃいませ」とメイド2人に並んでお辞儀された。

「お荷物お持ちします」


「はっいえっおっおっおかまいなくっっっ」荷物を両手でギューっと握りしめた。挙動不審になってしまう。


 なんだぁ。このスリッパ。たっかそうだな。フワッフワじゃん。

 紫陽の実家のスリッパ。サトルどんな気持ちではいてたの? あのスーパーの399円のやつをさぁ!!


 皮張りのソファに座っていたサトルが立ち上がった。ニヤニヤしている。

「よぉ〜。カブラギ。借りてきたネコみたいだなぁ〜」


 もうタカハシですっ……という返し刀が振れなかった。



 さらにウエルカムシャンパンとカナッペである。クリームチーズにサーモンですか。横のやつキャビアですか? あー。もう帰りたいー。


「サトルさぁ」

「なんだ」

「アンタなんで実家から通勤しないのよ。7時20分に起きて7時30分には学校につけるじゃん」

「通勤してみたかったからだ」


 なんかもうがっくりですよ。毎朝必死に電車に揺られる(しかも痴漢に合う)紫陽となんたる違いよ。


 タカハシはニコニコ笑って静かに座っている。何年も通っているのだろう。家族の一員みたいにくつろいでいた。


 月4回も飲んで、うち2回はタカハシの家にサトルが泊まって、さらに2回はサトルの家ですか。


 そんな仲良かったんですか。


 結婚して初めて知りました。


 タカハシとの結婚にこんなオプションがついてくるとはねー。してみないとわからないもんだなぁ。


 暖炉がソファの横にあり、壁1面が家族写真だった。


「うわぁ〜」


 7歳くらいの女の子と3歳くらいの男の子が写っていた。邸宅庭で砂のお城を作っているようだ。


「かわい〜♡ 男の子がサトル?」


 7、3分けの黒い髪。目がクルクルしている。

 フニャフニャした一面アップリケの長ズボンをはいていた。


「そーだぞー」

「こんな可愛かったのになんで今そんなんなの?」

「あ? 何だてめぇ。聞こえてんぞ」


「女の子は?」

「長生子だー」

「チョーコ?」

「『長い』に『生きる』に『子供の子』俺のアネキだぞー」


 へー。お姉さんいたんだ〜。

 目も細いし口も細い。やはり黒髪で右側を白い花飾りでとめている。ワンピースだ。


 さらに目を移すと赤ちゃんのフォトフレームだった。

 幸せそうなお母さんとお父さん。真ん中の帽子をかぶされた赤ちゃん。丸々と太っている。

 生まれてまもなくだろう。病室で撮っている感じだ。真横に水色のベット。

 特に母親マリアの愛おしそうな視線が印象的だった。


「可愛い〜。ポチャポチャしてる! え? これどっち? サトル? お姉さん?」

「くううだぞー」


 ギョッとした。『くうう』。『久保空羽』。1984年4月29日出産予定。しかしその10日前に死産。


 じゃ……じゃあこの子……もうこの時には……。


「紫陽」

 タカハシの静かな声がした。

「赤ちゃんとお別れする前にね。ご夫婦で写真を撮られたんだよ」

「………………」

「この間ね。俺たちのウエディングフォト撮ってくれた写真館のオーナーさん。あの方が出張してくれたそうだよ」


 サトルの明るい声がした。

「かわいーだろ? オレの空羽」


 パッとサトルを見るとソファの背もたれに両腕を乗せてこちらを見ていた。ニカッとしている。なんの曇りもない笑顔だった。


「可愛い! すごく可愛い!」紫陽ははしゃいだ「サトルに全く似てなくて可愛い!!」

「何だてめぇ。聞こえてんぞ」


「お待たせ〜」と言ってサトルの父母が入ってきた。マリアは薄紫のシフォン素材のワンピースに透けるスカーフをしている。「紫陽さんいらっしゃ〜い」


…………果たして。お土産。バームクーヘンでよかったのか。この家にとっては『金魚のエサ』レベルじゃないか。内心焦った。



 ダイニングテーブルでランチである。またもや大理石。メイドがパンを1人1人にサーブする。なんかよくわかんない魚のソテーになんかよくわかんないハーブがのっている。

 紫陽は心から思った。


 サトルが予約してくれた『テーブルマナー教室』真面目に通おうと。


 壁の写真から自然に名前の由来になった。

「私は『紫陽花あじさい』という意味です」紫陽がいう。


「ステキ!」サトルの母マリアが両手をパチンと合わせる。


「本当は6月10日が予定日だったんですけど、13日も早く産気づいてしまって。あ。母は看護師なんですけど、当事者になると慌ててしまったらしくて」

「まぁ〜。空羽くううみたいだわ!」


 あ……確かに……。


「ま、まあ正産期ではあったんですけど。2400gで。ちょっと保育器に入りました」


「そうなの〜。何よりだったわ! うちの空羽は3100gだったのよ! 体重は十分だったんだけどねぇ」

「はぁ……」反応に困る。


「チョーコは逆に1週間遅れたんだよなぁ。あと1日遅かったら帝王切開だったんだろ?」

「そうよ〜。むしろ『先生もうバッサリ切ってください!』ってお願いしてたくらいなのよ〜」


 マリアはおっとり笑ってるが、どれほど辛い1週間だったか。何度も空羽のことが頭をよぎったろう。


 それで……長女の名前が『長生子ちょうこ』なのだ。生きる以上に願うことなどなかったに違いない。


 魚の後はワゴンに乗せられた様々な種類のチーズが運ばれてきた。赤ワインと合わせるのだという。

 何だここ。毎日がレストランかい。


「そういえば是也さんは?」とマリアが笑顔を傾けた。この人はタカハシをどんな気持ちで見てきたのだろうか。死産した息子と同じ出産予定日に生まれてきた子。もう38年前になる。


「僕は『般若心経』です」

 タカハシがチーズを手に言った。


「父が割と熱心な信徒だったんです。『色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき』という部分がありますね。そこから1字いただいたそうです。本当は『空也』とつけたかったらしいのですが、平安時代に同じ名前の偉大なお坊さまがいらっしゃいますし……父が遠慮しまして……」


 へえええ〜。この人と出会って5年になるけど知らなかったわ!

 百人一首の蝉丸じゃなかったんかい!(そんなわけないだろ)


「まああ! ますます空羽に似てるわ! ねえあなた!」とマリアがサトル父の腕に手を添えた。「空羽の予定日に生まれて来てるし! 運命感じるわ〜」


 タカハシはちょっと困った顔で会釈した。


「あっ。そういえばサトルさんはっ」紫陽が慌て気味に話題を変えた。久保一家はヘーキで空羽について語るが周りはやや気まずい。


「オレー? オヤジが『桂悟けいごだからだぞー」ニヤニヤ赤ワインを揺らしている。


「本当は『空羽』が『悟』だったんだ。それが生まれてこなかったからよー。オレにとんだお鉢が回ってきたよ。姉貴に『サトル』とはつけられないからなぁ」



 食事が終わるとサトルとタカハシとサトルの父親で別室に行ってしまった。仕事の話だという。タカハシはこれからますますサトルの家に通うことになるだろう。

 すでに『本部勤務』は始まっているのだ。


 紫陽はマリアとソファで並んでケーキを食べた。後で調べたらワンホール6800円のケーキだった。心臓止まるわ。

 フランボワーズがいっぱいに乗ってて美味しい。


「あのね。紫陽さん。その……あんまり深く考えず笑い話として聞いて欲しいんだけれど」

「あっはい」

「実は私たち。あなたがサトルと結婚すると思ってたの」

「はい!?」


 サトルに取っ替え引っ替え彼女がいるらしいことは両親とも気づいていたが、誰の話もしてこなかったのだという。


「それがねぇ……。1年前くらいからかしら。ひんぱんに紫陽さんの名前がでるようになって。いつも『オレのシヨウが、オレのシヨウが』って楽しそうに話すものだからてっきり……」


 えええええ!?


「い……いえ……あの……サトルさん絶対『紫陽』って呼んでくれないんですよ。いつも『カブラギ』か『元カブラギ』で」


「あら? そう? 私たちの前だと『シヨウ』って言うのよ。それでね。ある日『シヨウがタカハシの嫁になる』って言われてびっくりして。『え? お付き合いしてるんでしょ?』て

 聞いたら『そもそも彼女じゃない』ってわけわからなかったわ」


『ほほほほ』マリアが紅茶カップを手に笑った。


「まあ是也さんも私たちにとっては息子みたいなものだから。なんだか是也さんがうちの長男でサトルが次男みたいな気がするのよ。だってサトル全然長男らしくないんだもの」


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[気になる点] うちのスリッパ100均出身。 しかもあるだけ。客すら履かない。 999円スリッパは文明人の道具ですね。 ふかふかスリッパはなんだろう。 想像もつかないです。
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