(4/16)無駄、無駄!全て無駄!!
何がなんでもサトルにお金を使わせてはならない。タカハシ夫婦は心に誓った。
が。
無駄なのである。
「よーカブラギィ。お前そろそろ誕生日だよなぁ?」
『キターッッ』紫陽はダイニングルームでギューっと目をつぶった。
「どこのレストランにするかぁ!?」サトルが心なしか浮き浮きしている。そうはいくか。
「私の誕生日は餃子パーティーの予定ですっっ」アンタこれ以上お金使わせないからね。
「シソ入りとかっ。チーズ入りとか。ホットプレートでデザート餃子も作っちゃうっ!!」
実家でな! 紫陽の実家でなっっ!!!
「サトルもきていーよー。プレゼントはお断りしまーすっ」緊張で声がうわずった。
紫陽。カタイ! その笑顔カタイ!!
「バーカ。土曜にやれ」
スマホ操作してんぞ。何考えてんだコイツ。
「誕生日の29日はレストランだからなー」
「着ていく服がありませんっっ」
言ってやったぜ!!!!
「どーせアンタの連れていくレストランとか。こう……わけのわからない横文字のレストランでしょっ!? 銀座とかのっ」
「代官山だ」
「もう決めてるんかいっ」
ネギを刻んでいたタカハシがアイコンタクトで『かんばれ! がんばれ紫陽!!』と言っている。
『俺の妻になった以上、サトルの誘いを全力で断る女になれっ』
土曜日のお昼だった。コイツ金曜夜に来て泊まっていきやがったからね。新婚をなんだと思ってるんだナメてんのか。
しかも夕飯も紫陽の家で食べていくとかぬかしやがってほんとナメてんのか。ちなみに母親は大喜びである。
「サトルが来るの〜!? お母さん張り切って唐揚げにしちゃうっ♡」
サトルが婿に入ると思い込んでたからね……。この人……。
「とにかく私たちっ。お金持ちでもないですし分相応のお祝いをさせていただきますっ。何度も言いますけど着ていく服もありませんしっ」
「タカハシはあるだろーがー」
まだスマホいじってるよ! こっち見ろよ!
「私の誕生日是也さんと2人きりでレストラン行く気か! アホかっっ!!!」
サトルはそのままスマホから目を離しニヤニヤと黙った。『勝ったぁぁ!!!』と内心紫陽はガッツポーズした。
3人でざるそばと簡単な天ぷらを食べホッとした瞬間にである。
バタンっと車のドアが開く音がした。
◇
ピンポーン。
ん? 宅配便? タカハシの顔を見ると「あ……Amazonかな?」と言った。どーせまた本買ったんだろーよ。
外は大雨だった。
「はいはーい」と紫陽は玄関に向かった。ムフッ♡新妻っぽい。宅配便のおにーさんいつもと違う人がでてびっくりするかなぁ。『奥さんですけど何か?』って顔してやれ!
ガラッと開けると黒いスーツの女性が立っていた。
「総丸商事外商部の青池でございます。本日はご用命いただき誠にありがとうございます」
にこやかに名刺を差し出された。
雨の音が家に入って『ザァァァァ……』と音がする。
紫陽は思わず首元の平たいパールのネックレスに目を落とした。
ん? ガイショウブって何?
「どーもどーも青池さん!」サトルが片手を上げてやってきた。
青池がパーフェクトな笑みを浮かべる。
「これは悟坊っちゃま。いつもお引き立てありがとうございます」
え? サトルボッチャマ?
「はいはい。雨の中ごくろーさまー入ってー」
「失礼いたします!」
なんか! なんか荷物を抱えた人間が4人入ってきたよ!?
◇
たくさんのドレスを前にソファに座り込む紫陽がいた。タカハシが『あっちゃー』って顔をして右手をおでこに当てている。
「外商を……スマホで呼んだのか…………」
サトルがニヤニヤと両手の平を腰に当てた。
「青池ちゃんとオレはLINEで繋がっているんだもんねー♡」
「ねー♡」
2人同方向に小首傾げたよ。クッッソむかつく。
5分だった。
「失礼します!」と青池+4名がさささ〜っとサトルを先頭にリビングまで行くと、簡易ラックを組み立て始めた。
ガシャン! ガシャン! ガシャン!
くらいで組み立て終わると流れるようにドレスをラックにかけた。テーブルの上に音もなくスーツケースが置かれ、カシャっという音とともにアクセサリーが姿を見せた。
「どれから試着なさいますかぁ〜?」
紫陽はそのまま青池の姿を通り越したベランダに視線をやった。大雨である。目の前には肩を濡らした大人が5人。
まさか……『帰ってくれ』とは言えない……。
「あっあの……」小さな声で紫陽が聞いた「すみません……その『総丸商事』さんということはその……デパートの……」
「ソーマルでございまぁぁす!」
うっわぁぁぁぁ。デパート、家に来たよ。『レストランに行く服がない』と言ったら服から紫陽んとこ来たよ。
ハタチの小娘にここを乗り切る胆力はなかった。
「そ……そうですね……選んでいただけると……」
うつむいてしまった。
◇
ブルーのラメラメのドレスに決まった。ストールは同色のラメラメ。針金が細かく入った真珠の(きっと偽物だ!!そう信じたい!!)アクセサリーに白のパンプス。似合いのストッキングまで用意されていた。
ほんとーに恐ろしいのだが『ソーマルデパート』の提携美容院にメイクとヘアセットの予約までさせられた。
「それでは失礼いたしまぁぁす!」と去ろうとする青池ほか4名を前に慌ててサトルを引き止める。
耳にささやいた「ねぇ! 支払いは!?」
サトルがニヤニヤする。
「バーカ。ツケだよ」
ツケってなんじゃ!!
タカハシがそっと「あのね。後でサトルの実家に請求が行くんだよ。クレジットカードで自動引き落としだからもしかすると買ったことにすら誰も気づかないかもしれないけど」教えてくれた。
ヘナヘナと座ってしまう。
サトルに肩をもまれた「でー? 何? カブラギ」紫陽はゆっくりサトルの顔を見上げる。ニヤニヤしてるぞ!!
「着ていく服がなんだ?」
ドレス買ってもらってなんだが! お前ブッッッッ殺す!!!!
◇
しかもサトル「用がある」とかって帰りやがった(タクシーで)
速攻タカハシに突っかかる。
「是也さん何ですかこれ説明してくださいーっ!!!」
「いや……あの……俺もまさかデパートの外商を呼ぶとは……」
「そうじゃないっっ。サトルだよっっ。なんだあいつドバイの王子様かよっっ」
「紫陽……目上の男性に『アイツ』は」
「クッッッッソサトルがっっっっ」
「落ち着いて……落ち着いてちょっと……」
「おかしいでしょうが! アイツ『サトル坊っちゃま』ってガラじゃあないでしょうがっ! 髪の毛色ないし! え? は? 何? あんな金持ち多岐川くん以来なんだけどっっ」
「ああ……昔紫陽がデートした多岐川コンチェルンの息子さんね……自家用フェリーに乗せてくれた……」
タカハシが遠い目をした。
「紫陽ごめんね」
「え?」
「その……サトルの家のことは口止めされてて……俺の口からは…………」
はぁ!? なんで!? 何アイツほんとドバイの王子なの!?
雨上がりにタカハシと2人で紫陽の実家に行ったらすでにサトルがいた。
しかもサトルのやつ。せっせと唐揚げの粉まぶしてるよ!?
紫陽の母と親子のように笑いあってる。
タカハシのうちじゃあ何もしないくせに!!!
サトルが昔言った冗談の『(紫陽の)お母さんなんならオレと結婚する?』を思い出してしまった。
ブルッとする。冗談じゃない、冗談じゃない。こいつが継父とか冗談じゃないっっ。
◇
レストランは最高であった。
格式ある店内。二重になっているお皿。1度で噛み切れてしまうほど柔らかくて分厚いお肉。凝りに凝ったソース。給仕が椅子を引いてくれる世界。
最初のサラダから最後のデザートまで夢のように美味しい。
ほーっと紫陽は食後のエスプレッソを飲みながら吐息をもらした。
目の前には夫と。実は、密かに、夫の次に好きな男がいるのであった。2人ともスーツをビシッと決めている。スーツフェチの紫陽にとっては天国である。
『サトルと結婚してたら毎月こんなお店来れたのかなぁ……』と思ってしまう。
ダメダメ。私が好きなのは是也さん。是也さんは国語教師だし。お父さんもお母さんもいないし。私もお父さんはいないし。分相応に生きていかないと。
一瞬でもタカハシとサトルで悩めた時期は終わった! もう高橋紫陽は人妻なのだった。
代官山の美容院で高く揚げられた髪をそっと触った。夜会巻っていうの?
耳元にはパールの細長いピアスが揺れている。
紫陽は顔を上げた「サトル。今日は本当にありがとう」
「全然いいぞー」
軽い口当たりのクッキーをつまみながらサトルが言った。
「あ……でも来年からは止めてね? 私の誕生日は何もしなくていいからね?」
「何言ってんだカブラギ。お前のためじゃないぞ」
「は?」
ナプキン落とした。
「お前がよー。レストランに行き慣れてないとタカハシが恥かくの? わかる? タカハシのヨメがよー。テーブルマナーも知らないとかサイテーだろーが。お前アレだからな。『テーブルマナー講習会』の予約取っといたから通えよ! 来年もマナーチェックしてやるからな!!」
「はっ!? え? じゃ何? この会の趣旨って」
「『タカハシのヨメにレストランとは何かを教えてやる会』だバーカ!」
紫陽は開いた口が塞がらなかった。