3話
生きた心地がしない昨日を乗り越えた、晴天の本日。
無事朝日を拝めたことを、神に感謝しながら目覚めるなんて何年振りかしら。
供の頃に罹った流行りの夏風邪いらいね。
結果でいえば、お家断絶なんて事にはならなかった。
ならなかったけど、物事はめぐりめぐってあらぬ方向へと突き進んだ。
なんと、ブルーアイズ家のご当主様が義姉とエクイテ様との仲をお認めになったらしい。
仮、というかお試し期間とかそういう感じでらしいけど。
…仮として認めるってどういうことって思うけど、まぁそのおかげで我が家は今日も朝日を浴び、いつも通りの美味しい朝食を頂けているので文句などはない。
「ライナ、昨日説明した内容は分かっていますか?」
「勿論よ義母様!エクイテ様の婚約者として、正式に認めてもらえばいいのでしょう?私頑張るわ!」
朝食の食卓を囲んでの家族会議は続く。
昨日長々と説明された内容は、義姉の耳には簡略化されたものしか届いていないようで不安だ。
「その『認めてもらう』ことがどれほど大変なことか、わかっているのですか!?」
「大丈夫よ安心して!愛で何とかするわ!」
義姉の中の『愛の力』はすさまじいものらしい。『婚約者として認めてもらう』つまり《完全無欠のシャリアーナ様》と同等、いやそれ以上の女性にならないと認めてもらえないという事が、まったく分かっていない義姉の楽天的な会話に、朝からお母様は憤慨し、お父様は何度目かのため息をつき遠い目をしてお庭を眺めている。
「お母様…。そろそろ学園に向かわねば、遅刻してしまいます…。」
さすがにこれ以上休んでは授業内容についていけない。
私は天才や秀才じゃなくて凡人。努力を重ねても人並みなんだから、ほいほいと欠席なんてできないのよ。
「そうね…。マリアーナ、学園ではくれぐれも頼むわね。」
「努力してみるわ…。」
一昨日も言ったと思うけど、私が義姉を見張るだなんて無理なのよね。そんなこと心労が積もり積もったお母様とお父様に言えるわけない。倒れちゃうかもしれないし。
「さぁ、マリアーナ!学園に向かいましょう!久しぶりの学園でドキドキしちゃうわね!」
「そうね…」
義姉様とは別のドキドキだけど…。
久しぶりの学園生活は予想通りの針のむしろというか、身の置き場が無い有様。こちらをチラチラ見ては、ヒソヒソと内緒話されるなんてホント居心地が悪い。
授業を終えた私は、お昼のサンドイッチ片手に早々に憩いの場へと駆け込んだ。
その姿は、貴族令嬢に似つかわしくない、異国の真っ直ぐにしか走れないという鼻息が荒い毛むくじゃらの動物に酷似していたと風の噂で聞いたわ。知りたくなかったけど。
図書塔管理委員のための小さな休憩室は、今や私の唯一といっていい憩いの場所。
学園は広く、図書棟は学園の端に作られているから、面白半分で訪れる人はいない。
純粋に利用したい人だけが訪れる静かな場所。
利用者が少ない施設というのは、その施設に常時居る人の城となるのは世の常。
当然、図書棟は私が所属する図書委員の城となりつつあった。
図書棟の受付カウンター奥にある小さな部屋に、勝手に持ち込んだテーブルセットを囲んで
図書委員の先輩であるエアルデ先輩と、ハース先輩にこの短い数日の間に起きた出来事を説明する。
「お母様にはしっかり見張ってと言われたんですが、接点が何もないのにどうやれば良いのか…。」
「ずっとそばにいると余計に悪目立ちしそうだもんね。」
もぐもぐと私のランチボックスから勝手に食べ始めるエアルデ先輩。
そんなエアルデ先輩の横で、考え込んでいたハース先輩が唸りつつ口を開く。
「マリアーナ。君のお義姉さんは思い込みが強い…タイプなんだっけ?」
「私が見た感じはそうですね。私は主人公の生まれ変わりなのよ!ってことあるごとに言っていますし。」
「そうなんだ…。それならアドバイスという程でもないんだけど、彼女は思い込みが激しいようだから、彼女が信じているその愛読書を上手く利用できないかな?」
「どういうことですか?」
「そうだね…思い込み…、つまり彼女は妄想が止められない所まで進んでしまっているわけだから、
一種の病気と考えた方が早い。その場合、下手に否定してはさらにその妄想に固執し、より最悪な方向へ進む可能性が高いと思う。」
「病気ですか…?今朝も顔色も良かったですし、朝ごはんもしっかり食べていましたよ。」
「病気と言っても、心の病気ってやつよ。」
ハース先輩の説明を、エアルデ先輩が補足してくれた。
外見に現れることのない内側の病気で、完治がとても難しいこと。病気を患っていることは本人が分かっていない状態が多く、自覚させてしまうことが良いとはいえず治療には慎重にならざる負えないこと。
本当は、もっと専門的な内容だったんだけど、私には内容が難しすぎて、簡単なことしかわからなかった。
エアルデ先輩は3学年、ハース先輩は4学年ということもあり私が教わっていない知識を知っているが、それ以外にも詳しい。
二人はホイホイ入学できる貴族の私と違って、本当に選ばれた生徒である平民だ。
学園の入り口は開かれているとはいえ、基本的には王族や貴族は全員通うのだから、それに平民も全員通わせると流石に管理ができない。
そのため、平民の多くは市や町などにある大小さまざまな塾に通っている中、学園に通うことができる平民は抜きんでた知識や技術を持つ者だけなのだ。
「だから、彼女を否定するのではなく彼女に上手く合わしながら、良い方向へ誘導していく形が良いと思うんだ。難しいことだけどね。」
私が、先輩方の凄さを改めて感じている中、私よりも雲の上の知識や努力を怠らないお二人は、私を置いてきぼりにしながら解決策を考えてくれる。
この学園に在籍している平民出の生徒や教師、研究者はそれだけで多くの期待を寄せられる存在なのだが、やはり真っ黒な社交界を生き抜いている貴族も真っ黒になるもので。
地位が高い貴族の自分よりも詳しい知識や、高い志を持っている平民を難く思っている者が多いが、それを表に出すことは常識的に考えてしない。
この学園に在籍する者たちは王族が認めた者ということは、この国に生きる誰もが知っていることで、それを口に出すことは、王族への不満に等しいからだ。
しかし、誰もが口を閉ざしているその事に大声や態度で不満を表し、平民は自分達よりも劣る人種だ。なんて吹聴する者が定期的に出現するのも事実。
そういうことを言っちゃうような者は、将来的に社交界で一生笑い話として話題にされるか、嫌味の相手の対象として話題にされると決まっているので
卒業後が楽しみで、皆ソワソワしてしまうのも暗黙の了解ってやつなんだけど、今回はその対象が我が家になりそうで楽しみなんて言ってられない状況なのよね。
「誘導、ですか?」
「そうだよ。エアルデと話したけどやっぱり穏便に事を進めるには、それがいいだろうね。」
「あの、そう言われてもどうしたら?」
「そうね。例えばこのシーンを引用してみるとか。」
そういってエアルデ先輩が私の目の前に差し出したのは、最近嫌って程に見聞きした『真実の愛』物語。
「このシーンは、平民のヒロインが貴族として歩みだす、お辞儀の練習をする有名なシーンの一つだから、お義姉さんも当然知っていると思うわ。」
エアルデ先輩が指した文章を読み進めれば、平民であるヒロインが社交界用の布を何枚を重ねたドレープは美しいが、絶対に重いと分かる布量のドレスを着てカーテシーを繰り返し練習しているシーンであった。
「思ったよりも説明が細かいんですね…。」
そのシーンは、物語全体でみればそんなに細かく描写しなくても良いのではないかと思うほどの、令嬢にとってはありふれた日常生活だった。
カーテシーを行う際の手順も含め、ヒロインが足を下げすぎて背中を曲げ、美しい姿勢を保てなくなっているとか、スカート部分がうまくつかめず、力任せに掴んだせいで
皺がよってしまいドレスがみっともないシルエットになっているとか、ドレスを着用する際に足りない慎重を補う為と、淑やかに見られるよう歩く速度を遅らせるために、あえて高く細い
ヒールの靴を履いているのだと説明され、その靴に慣れるために連日靴連れを起こして出血するとか、軽く曲げた足先のヒールに体重が乗ってふらつくとか、貴族の令嬢であれば誰しもが
小さな頃から経験したような内容が細かく丁寧に書かれている。
ちなみに、私は未だに苦手である。
姿勢が良くないのもあるが、腹筋が弱いせいでなかなか姿勢を支えられず、背中や腰への負担が大きいたため、ドレスを着た翌日は体中全てが筋肉痛で動けない程だ。
「マリアーナ、貴方このシリーズを読んだことがなかったの?」
「はい、有名すぎると読みたくなくなっちゃうといいますか…。エアルデ先輩は読んだことあるんですか?」
「あるわよ。物語はその時代を研究するためには、とても良い資料なのよ。使われている紙やインクの材質や原材料もとても良い資料だし、当時の娯楽内容から
人間性や当時の時代背景までわかるのよ?」
「へー。|スゴイデスネ~。」
「…興味ないってバレバレね。」
そういってエアルデ先輩は、『真実の愛』について説明してくれた。
正直、真実の愛が大まかに分けると2部制となっているとか初めて知った。
平民に人気なのは、出会いから婚約するまでの恋人編と呼ばれる部分で、貴族から人気なのは婚約から結婚するまでの婚約者編らしい。
恋人編は、山あり谷ありの試練を二人の愛が乗り越えるという、ドラマチックな内容となっているらしいが、婚約者編については貴族の跡取りであるヒーローに
相応しい女性となるため、ヒロインが貴族らしさを身に着けていく成長記録と、恋人編では激しい愛を深めていた二人が身も心も大人や責任ある立場になるにつれて
生じる不安やその中で固く深くなっていく愛を描いている内容となっているらしい。
私には話が壮大すぎて想像がつかない。
「でも改めて読み返すと、貴方のお義姉さんは凄いわね。本当に物語と似たような出来事をおこしているわ。
もともと思い込みが強い性格だったのもあって、平民から貴族の養子となってしまったのがキッカケで、深く信じ込んでしまったのかもしれないわね。」
「そうなんですかね…。それで、あの、誘導の方法なんですけど…そんなに思い込みが強い人と上手に会話できる気がしません…。どうしたら?」
「そうね、まずは褒めるとこからスタートかしらね。誰だって自分を否定する人より、肯定してくれる人の方が心を開いてくれるし、話を聞いてくれるものじゃない。」
「確かに。」
思いのほか真剣に相談に乗ってくれたエアルデ先輩にはありがたいのだが、今朝ですらまともに会話ができなかった私ができるわけないんですけど…。