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Hands-光腕の銀狼-  作者: AOH村
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第六章 失った左腕、宿る輝き

長い走馬灯から再び意識が戻り、眼前に広がる光景はまさに地獄絵図そのものだった。

荘厳な大理石の床も至るところで破砕され、罅が入り、ラウンジのエレガントな内装は見る影もなく、壁が崩れ落ちていて至るところで火の手が上がっている。

そして廃墟と化したホテル内の各所で曼殊沙華が咲いているように見えていたが、それは決して可憐な花などではないのだと瞬時に悟った。

炭化するほどに焦げたタンパク質、そして錆びた鉄のような臭いが充満して、嫌でもそれを理解した。

「……っ」

身体が自分のものではないというように、もう思いどおりに動かない。

加えて、指の先端から少しずつ体温が奪われていく感覚が脳に伝わってくる。

それでもなお正常に動作している臓器は、自分の身体を活かそうと懸命に働いてくれている。

肺が生命を繋ぎとめようと必死に酸素を確保しようとしているのがわかるが、空気で膨張するたび、引き千切られるような痛みが伴ってくる。

大方、爆炎に飲み込まれて吹き飛ばされたとき、煙を吸い込んで肺を焼かれたのだろう。

つまるところ、生命活動を維持させようと動作している臓器によって生じる痛みから逃れるため、楽になりたいと感じるようになるという、なんとも皮肉な状況に見舞われていた。

視界の隅に何かが蠢き、固い何かを壊された大理石の床の上を引き摺るような音が近くから聞こえてくる。

「グルルルル……」

それとともに、地の底から響くような唸り声が聞こえてくる。

聞こえてくる方向に目線を向けると、ホテルラウンジの窓ガラスが割られた場所から身を乗り出すようにして、廃墟内に侵入しようと試みる『それ』がいた。

影が自分を覆っているため、てっきりすぐそこまで近づかれているのではないかと思っていたが、外から入ってくる西日によって、『それ』の影が異様に伸びていただけで、まだ至近距離まで接近されていたわけじゃない、と分かった。

ここから走って逃げ出したいところだが、生憎身体が思うように動かない。

そして、床を踏みしめるようにして中に侵入を果たした『それ』は、身体の一部となっている岩石同士の摩擦によるものと床を踏み砕く音が混ざったような足音を鳴らして、一歩、また一歩と、緩慢にこちらのほうまで近づいてくるのが見える。

視界がぼやけてそれの正体がよく見えていなかったが、少しずつ焦点が合っていき、『それ』の全貌がはっきりと瞳孔に映った。

『それ』は、形状の細部が僅かに異なっているものの、夢の中でお爺さんを屠り、その屍肉を貪って、身体の糧とした岩の怪物であった。

自身の悪夢の中で見た怪物が目の前にいる。こんな馬鹿げたような状況はきっと夢に違いない、そうであってくれと心から懇願した。

だが、その願いは儚くも打ち砕かれた。

「フウゥゥゥゥゥ……」

怪物から放たれる生温かく、毒々しい異臭を伴った吐息が鼻孔まで届き、思わず眉間に皺を寄せる。

その生々しい体験が、これは現実なのだと残酷な真相を突き付けてくる。

「ゴウラ……」

学校で見た少女が発したこの名前と思しき単語を無意識のうちに口に出していた。

すると死神が羽織るローブのような岩の鎧を纏った怪物は、僕が発した単語に反応したのか、その隙間から覗く瞳と思しき光で横たわっている僕の姿を捉えた。

僕を見据えて足を引き摺るように近づいてくる。

横たわる肉の障害物を物ともせずに踏みつぶしていくたびに、僕の中で渦巻いていた恐怖が次第に怒りへと移り変わっていき、瞋恚の炎が煌々と燃え上がっていく。

だが、怒りを覚えても何もできない、果てしない無力感により、その怒りの矛先は自分自身にも向けられていた。

奥歯を食いしばり、唯一残った右手に僅かながら力が無意識のうちに込められ、拳を作る。

そして怪物は、仰向けに倒れている僕の横に立ってまじまじと見下ろしてくる。

「ウルルルル……」

先ほどとは変わって、その怪物の唸るような声には、覇気が感じられなかった。

まるで、想定外のことが起こり、どのような対処が有効かを検討するプログラムのようにこちらを見ている、といった印象を抱いた。

目の前の怪生物が一体どういう目的でこの惨状を作り出し、今この場にいるのか皆目検討が付かない。

人を殺すためというシンプルなものであるなら、こんなところで僕を『ただ見つめている』なんてことはしないはずだ。

言うなればもっと人が多い密集地を好むはずだろうに、なぜ息も絶え絶えの僕の前に立ち尽くしているのだろうか。

答えを導きだそうと考えあぐねるも、そう安易に出て来ない。

そして怪物は僕への興味が薄れたのか、ゆっくりと元来た道へと後ずさりをするように引き返していく。

僕は意識が朦朧とするなか、立ち去ろうとするその後ろ姿を、悔しくも呆然と眺めることしかできなかった。

だが、事態は一転する。

「お兄ちゃん!」

突如フロア全体に響き渡る叫び声が、鼓膜に届くのに時間はかからなかった。

力が入らない身体に鞭打って声がした方向に顔を向けると、逃げたはずの男の子が泣きべそをかいて、通路の一角から飛び出して、僕のもとへ駆け寄ろうとしてくる姿が目に映った。

その男の子の声に反応したのは、僕だけではなかった。

怪物の眼光が、駆け寄ってくる男の子を捉えた。

「グルルアアアアアアアアアアアア!」

突如現れた男の子に威嚇するよう、高らかに咆哮を店内に轟かせ、思わず僕たちは身を震わせて、委縮してしまう。

怪物は目の前にいる男の子を見定め、身体を向ける。

そして、怪物の腹部を構成する岩石がひしめき合うような不協和音を立てながら、渦を巻くようにしてその形状を変えていった。

その形は錐、反時計回りに捻れ、その先端が極限までに鋭く尖っていくとともに、回転していく様は電動ドリルそのものであった。

そしてドリルは男の子の身の丈より、大きいサイズへと徐々に変貌を遂げていく。

毎秒、より凶悪な姿へと成長していくそれは、身が竦んで動けなくなっている男の子へと向けられつつあった。

怪物のその禍々しいドリルによってミンチにされる凄惨な男の子の末路を想像したその瞬間、ビリッと後頭部に電気が走るように記憶がフラッシュバックした。

忘れていた夢の中の記憶、目の前の岩の怪物が会ったこともないお爺さんとの死闘を繰り広げ、そしてそのお爺さんを喰うまでの一部始終の記憶が甦り、そして戦慄した。

目の前の岩塊生物にとって、男の子は取るに足らない虫けらのように見ているはずだ、お爺さんや飼い犬のように岩塊生物の命を脅かすほどの脅威でも、なんでもないはずなんだ。

なのにも関わらず『念のため』という陳腐な理由で、幼く、無垢な命を惨たらしく散らした後、岩塊生物は自分の身体の糧にしようと思案している、と悟ったからだ。

「あっ、あ……」

嗚咽のような声が男の子の口から漏れ出し、再び恐怖で思考が麻痺したように、ただ茫然と自身を殺すための凶器が形を変えていくのを眺めていた。

あまりに非現実的、そして自分が死に直面しているという事実に、まだ幼い男の子の思考は追い付いていなかった。

ただ無情に刻々と、その男の子の寿命リミットをカウントダウンする時計のように、不協和音が怪物の腹部からキリキリと発せられている。

「……早く、……逃げろ!」

コヒュー、コヒューと擦れたような呼吸をしながら、男の子に声をかけるが、彼の耳に一切届いていない。

何とかしてあの子だけでも助けなきゃ、というたった一つの最後の意思、僅かに残った力を振り絞って立ち上がるためには、十分な動機であった。

目の前の岩塊生物の意識は今、完全に男の子の方に向けられている。

奴の意識をこちらに向けさせるにはどうしたらいいのか。

コツン、と足元に何かが当たったような感覚がして目線を落として、思わずニヤリと口角が上がった。

今の奴の意識を男の子から逸らすのに、十分なモノが足元に転がってるのが、落とした目線の先にあったからだ。

足元に転がっているモノを気付かれないように、そっと片手で持ち上げる。

正直それを片手で持ち上げるほどの余力があるのか不安だったが、なんとか両手で構えるまでに至ったため、その時点でホッとひと息吐いた。

少しでも目前の怪物の不意を突けるほどのスピードを出すために、助走を付けようと腰を低く落とす。

右足のアキレス腱をバネのように縮ませ、怪物の死角になるような位置になるようにそれを構える。

深呼吸を一回、狙うは進行形でドリルのように回転させて練り上げている腹部。

そして使う武器は両手に持っているラウンジ内のバーカウンター用に採用されている椅子。

肺に取り込んだ酸素を一気に使い切るように、怪物の左横合いに身を乗り出した。

「これでも喰らえぇぇぇぇ!」

振り子のように自分の身体を軸にして放物線を描きながら、怪物の腹部から作り出しているドリルの左側面に向けて椅子を叩きつける。

禍々しい形をしたドリルと椅子の金属部分が削り合う摩擦音が悪魔の叫び声のようで、フロア中に鳴り響くとともに四方に火花が出る。

「!?」

ようやく異常に気付いたのか、怪物の視線が僕の方に移って降り注いでいるのが伝わってくる。

それでもなお全体重を込めるように椅子をドリルに押し当てると、削れている音に一段と深みが出るような感覚が肌身に伝わり、加えて形状を変え続けていたせいか腹部のドリルは案外脆いようで、罅が入るとともに細かい破片が飛び散っていく。

だが、怪物がこのままおとなしくしているはずもなかった。

「グルルァ!」

「なっ!?」

その岩で構成された身体を左に捩るように向きを変え、その腹部にある巨大なドリルを振り回した。

それにより、椅子と錐の間に生まれて蓄積され続けた運動エネルギーが制御できなくなって暴走し、はじき返されるとともに吹き飛ばされて背中を瓦礫に強打してしまった。

「カハッ!」

肺から息を絞り出されるような不快感とともに、頭が揺さぶられて意識が途絶えそうになりながら、うつぶせに倒れ込む。

怪物がこちらに向き直り、僕のことを最優先の警戒対象として認識したのか、怒気を込めて猛然と唸る。

だが、これで僕の目的は達成された。

倒れる直前、こちらを見ている男の子に目配せをした。

僕は大丈夫だ、今度こそ早く逃げてくれ、と。

あの子が僕の心意を完璧に理解できたかどうかはわからない、だけどハッと息を飲むような表情に変わったのを最後にハッキリと目に捉えた。

もう力が入らない、冷たくなる身体の感覚は薄れていき、意識が遠のいていく。

それでも最期は自分の目的を達成できた、まだこれから希望がある男の子を救うことができた、という充足感に満たされていた。

短く、憂いばかりある人生だったけど最期は胸が張れることができたかな、と心象の母に問い掛ける。

心の中の母は、ただ儚げに微笑を浮かべて僕を見つめるばかりで、何も語りかけてはくれない。

そんな母に手を伸ばそうとするも、僕のその想いを拒むかのように障壁が立ちはだかって、届くことはない。

ならば、と彼女を呼び掛けようとするも声が出ず、その壁を破ろうとする気力ももう残されていなくて、ただ母を見つめることしかできなかった。

何も語らない母は僕に背を向け、徐に右腕を上げて、何かを指し示す。

「お願い……。まだ頑張って、優太」

そう最後に言葉を告げ、陽炎のように母が視界から消える。

意識が現実へと戻るとともに目の前に映った光景に、驚愕せざるを得なかった。

逃げるよう、時間稼ぎをしたにも関わらず、男の子が岩塊生物の前で両手を広げ、僕を守るように立ちはだかっていた。

「……バカ。なん……で……」

なんてバカなことをしているんだ、死にたいのか、と怒号を浴びせたい一心ではあるが、残念ながら僅かな言葉しか発することしかできない。

聞こえていないのか、僕の問い掛けに答えることない。

死の恐怖で足だけでなく身体全体を震わせながらも、身を挺して僕を守ろうとするその子には、小さな身体であるにも関わらず、溢れんばかりの勇気が感じられた。

僕を狙っている怪物は、好都合だと嘲笑うかの如く、顔を醜悪に歪ませたように見えた。

嘲笑するような怪物の顔を見ただけで、再び瞋恚の炎が滾るように燃え上がった。

「優太、立って……」

そこにいないはずの母の声が直接脳内に響くように聞こえた。

その声を聞いて、闘志と呼べるものが体中を駆け巡るように漲ってくる。

もう一度立ち上がるためには、それだけで十分過ぎるほどだった。

僕は両手を広げている男の子の肩に右腕を乗せて、退くように促す。

男の子は恐怖で涙と鼻水が氾濫したようにぐちゃぐちゃになった顔から、一縷の希望を抱いたようなそれへと変わった。

怪物の眼前に立ち、見上げるようにその瞳と思しき光に視線を合わせる。

岩塊生物は腹部のドリルの回転数を上げていき、僕たちの風前の灯のような命を根こそぎ奪いとるかというような破壊兵器へと変えていく。

僕にはそんな絶望的な盤上を覆すほどの手段など無い、あるのは永遠に焦がし続ける太陽のような闘志だけだ。

身体に有り余るほどの戦意が脳内でアドレナリンを分泌し、満たしていく。

それだけに留まらず、心と身体、右腕、右足、左足、そして失ったはずの左腕を形作るように、体内を循環していった。

この絶望的な状況下で何を思ったのか、無いはずの左腕が『ある』ように知覚するとともに、それを使って全身全霊を掛けた堅牢な拳骨を編み出す。

なぜ無いはずの左腕に力を込められるのか、感覚があるのか、疑問に感じないと言えば嘘になるが、今の僕にとっては些末な出来事に過ぎなかった。

意識の全てを左腕に注ぎ込むと、凝縮された光の暖かさに包まれていくような心地になるとともに、光の左腕が出来ていた。

それは比喩表現などではなく、本当に左腕を形成するよう、光がそこに宿っていた。

怪物が僕の突然の変化に困惑を隠しけれないといったように、その瞳に戸惑いの色が滲み出ているのが見て取れた。

だが、怪物はただ目の前の矮小な2つの命を摘み取るだけ、ただそれだけを為せれば本懐は遂げられると悟った。

だからこのまま腹部のドリルを矮小な生物に目掛けて打ち出せばいい、と怪物は勝利を確信していた。

そして腹部の鋭さは最高潮に達し、敵の変化など気にする必要性を排他して、ついに怪物は強大で邪悪に満ちたドリルを腹部から放った。

あらゆるものを破壊せんと迫りくるドリルがぶつかる刹那、ただ心に従うように、光を宿した左の石拳にありったけの力を込めて、その凶器に向かって殴り付けた。

一つの惑星が砕け、無数の破片が流れ星となって四散するように、集束した眩い光が広がっていく。

光は周囲を包み込むように広がっていき、そして僕たちのボロボロの身体もまた、その中に飲み込まれていった。


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