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Hands-光腕の銀狼-  作者: AOH村
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序章 嵐が来る

何事にも『前兆』というものはある。

歩行者信号の点滅やバッテリー残量が残り少ないことを教えてくれるスマホ携帯の警告ウィンドウのように、大小さまざまな形や方法で『前兆』を人々に伝えようとしている。

だが、それらが僕たちに知らせようとしたところで、見る人、聞く人すべてがその意味合いを認識できると言ったらそうではない。

ましてや気付かずに、素通りしてしまうことが多いのではないだろうか。

最新のテクノロジーを普段に詰め込んだ自家用車が警告灯を点灯していても、その警告灯が一体何を伝えようとしているのか、ドライバーが理解できていなければ意味がない。

震度7を超える大地震を予期したナマズがそれを警鐘するように、ご自慢の朦々たる髭を震わせようにもその姿を誰も認識されていなかったり、さらに理解できるものがいなければ『前兆』として見なされていないのだ。

だからこそ絶体絶命のピンチを迎えたとしても、それを理不尽と直結させるのは道理が通っているとは言えない。

その知らせを理解、存在に気づくことができなかった自業自得であり、単に運が悪かっただけなのだと。

僕はそう思っていた……、ついさっきまでは。

今、僕の目の前に地獄を想起するような現場が広がっている。

それは『前兆』とやらに気付くことが出来なかった自分の運が悪かったから、そのようなことになってしまったのか?

冗談じゃない!

さっきまでありふれた平和そのものの日常風景が前触れもわからずに崩れ去って、代わりに世紀末のような世界が広がっていたなんて、そんな理不尽なことがあってたまるか。

半壊したビル、瓦礫の下から見上げて広がった光景は煉獄。

街の至るところで燻ぶっている火から立ち昇る黒煙が澄み渡った青空を犯していく。

漂ってくる肉が焦げ付いたような鼻につく異臭に対して目元に皺を寄せて嘔吐きそうになるのを堪える。

人気スポットであった並木通りに目を向けると、そこはもう観光名所として見る影もなくなっている。

辺り一帯のビル群から落ちてきたガラス片、コンクリート片などのビル材で押しつぶされて誰のものかわからないピンク色の肉片が飛び散っている。

「お母さん!どこいっちゃったの!」

視界の片隅から聞こえてくる叫び声に気付き、紙やすりで擦り付けられているのではないかと思えるほどの激痛を伴いながら、声の方向に顔を向ける。

フロアの休憩スペースとして設けられた所々生地が破れて綿がはみ出しているソファの近くに、5歳ごろの男の子が目元を擦りつけながら地べたに膝をつけて咽び泣いていた。

痛みでチカチカする眼でその姿を捉える。

そして男の子の頭上にある天井に亀裂が入っていること、パラパラと流砂のように塵芥が重力に従って落ちてきて、今にも天井が崩壊寸前であると気づくのに、時間はかからなかった。

助けなきゃ!

焼かれるような痛みに耐えながら、腰回りを押しつぶしている瓦礫をどけるため、力が入りづらい両腕を無理やりにでも動かして瓦礫を掴もうとするが、スルッと左腕が空を切った。

「えっ?」

思わず間抜けな声が口から出てしまう。

目を背けたい一心を隅に押しやって、ゆっくりと自分の左腕に目線を向ける。

そこにあるはずの自分の左腕が、肘から指先までがごっそりと無くなっていた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

絶叫がフロア一帯に響き渡る。

数秒前までに当たり前にあると思っていた物が無くなっていることに対する絶望感が押し上げてくる。

なんとか現実を否定しようと必死に状況を理解しようと思考を巡らせると、身体を覆っていた痛みが無いはずの左腕を象っていくような感覚に陥ってくる。

しかし何度その場所を見ても、自分の腕が元通りになっているなんて都合のいいことは起こらなかった。

傷口がジュクジュクと痛み、流れ出てくる血が周りに広がっていくさまを見つめていると全身から脂汗が滲み出てくるとともに息遣いが荒くなっていく。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

荒々しい獣のような咆吼をあげた自分を心配してか、目尻に涙を寄せながら男の子が近付いてきた。

だが今の僕には、その子に気を遣って返答するほどの余裕は無かった。

「……うぅあ」

「あっ!お兄ちゃん、それ!」

血、とその後に続くはずの言葉が途中で途切れた。

突然言葉が途切れた男の子のことが気になって、苦渋に滲ませながらゆっくりとその子の方に顔を向ける。

薄っすらと開いた自分の目に入ってきた男の子の顔は怯えに満ちていて、それはまるで寒さに必死に耐えるように肩を竦めながら身震いしているのが分かる。

その怯えの理由は、すぐにわかった。

「っ⁉」

思わずハッ、と息を飲み込む。

生唾が乾ききった喉に張り付いてきて、不快感が襲ってくる。

しかし、それを圧倒するほどの恐怖と絶望が気持ちを上書きして、不快さなんて気にする余裕なんて無くなっていた。

本能的な恐怖で焼かれるような痛みも忘れ、萎縮してしまう自分の身体に驚愕を覚える。

自分の叫びで呼び寄せたのは、無垢な子どもだけではなかった。

殺気、威圧、ひっくるめて殺威とも呼ぶべきそれを放っているモノの視線が肌身に突き刺さるような感覚を抱いた。

殺威を放っている『それ』はこの惨状を作り出したモノ、自分たちが信じていた盤石の上にあると思っていた日常をいとも簡単に壊した張本人、未知の『何か』が絶望を携え

こちらに近付いているのがわかる。

戦慄が痛みで鈍っていた頭を冷やしてくれる。

こちらに向かってくる『それ』は桜並木通りがあった場所の方向にいる。

『それ』がいる方向と子どもを交互に見やりながら、一つの決断をした。

「早く逃げろ!」

「……えっ?」

振り絞った叫びで男の子の意識を無理やりにでもこちらに向けさせる。

「せめて君だけでも逃げるんだ、早く!」

「でも、お母さんがいないの……」

「君のお母さんは僕が探すから!ほら、早く行くんだ!」

「お兄ちゃん、動けないのに……?」

不安に押しつぶされそうな時でも、誰かを気遣うこの子の優しさが伝わってくる。

この子を絶対に助けてあげたい、だからこそ自分は大丈夫であることを証明するため

最後の力を無理にでも振り絞らなければいけない。

唯一残っている右腕を振り上げる。

神経が通っているところが所々悲鳴を上げ、電気で痺れたように震える腕を瓦礫の下から押し当てて力を込めるがビクともしない。

心配そうに様子を見てくる男の子の顔色が、さらに青ざめていくのが伝わってくる。

脅威が近づいてくるのを肌身に感じつつも、確実に瓦礫から抜け出すために頭を真っ白にして、冷静になれるよう努める。

「すぅ……、はぁ……」

大きく深呼吸して周りの酸素を肺に取り入れ、活力に変える。

多少は右手の指の細部まで動くようになり、再度腕全体に力を入れて押し上げる。

ガガッと瓦礫と床が擦れる音とともに僅かに隙間が生まれる。

体を瓦礫の下から乗り上げるように出して、腰から足まで抜け出すことができた。

「はぁ……、はぁ……」

ドッとあふれ出る汗を気にする余裕が無いほどもう状態が芳しくないことを自覚する。

それを悟られないよう、必死さを隠すために口角を両端いっぱいに上げて笑いかけると

男の子は多少安堵の表情になった。

だが、もう時間は無い。

「さぁ早く!僕はもう大丈夫だから、君は早く逃げろ!」

「うん……。お兄ちゃん、お母さんをおねがい」

「あぁ、あっちの方は安全そうだから……、早く!」

瓦礫も比較的少ないフロアに繋がる廊下らしきところが崩落の恐れもないだろうと判断し、そちらに向かうように促す。

男の子は僕の最期の『嘘』を信じ切ったようで示した方向に真っ直ぐに走っていき、後ろ姿が見えなくなるのにそう時間はかからなかった。

「ごめん……な……」

息が絶え絶えの謝罪の声は、掠れて吐息とともに空気に溶けて消えていった。

男の子が見えなくなったのを確認して心身ともに安心したのか、僕はガクッと崩れるように倒れ込む。

冷や汗と痙攣が尋常ではない、代謝の働きが目まぐるしい。

失った左腕を止血していないためか、流れ出た血液が多すぎてか、身体全体の体温が干上がるように下がっていくような気がする。

そして段々と瞼が重くなってくるとともに意識が薄れていくのを知覚しつつ、視界が徐々に暗くなってくるのがわかった。

それは意識低下によるものではないと気付くのに時間を要さなかった。

決して人のカタチではない大きな影が、僕の身体に覆い被さるように伸びていたのだとわかり、体が鉛のように重くなり硬直する。

この事態を引き起こした『それ』は変わらない殺威とともに動けない自分の様子を見つめている。

もう自分の手足が動くことはないが、頭だけは深い底に落ちていくような感覚がする。

あぁ、最後までついていない人生だったなぁ、と深く心の中で嘆きを呟く。

キリキリと投影機が動き出すような音とともに、映像が脳裏に映し出される。

映し出される映像に意識を向けると、時間が遡っていくような浮遊感に僕は包まれていった。


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