ある種の初恋
「可愛い」
心の底から出た言葉だった。
頬っぺたはもちもちで、顔は小さく目は大きい。
先ほどの天使なんかよりもよっぽど綺麗な顔立ちで、まさしく「人形」だ
金色の髪も華やかさをより際立たせ、私の将来が楽しみでしかない。
しかしこんなキャラはゲーム内にいなかった。出てくる人物は全て高校生ぐらいの年だったはず…
「ねっねぇ、今カイルは何歳?」
アイゼア・カイル
その名の彼は攻略対象の一人でもあり、最も女性人気が高い王道正統派イケメン。
確かヒロインがいる国の王子だった…
「(国の名前とか聞き飛ばしていたから覚えていないんだよなぁ)」
しかし、彼は作中内で17歳であったことは覚えている。
年齢さえ分かってしまえば、今いる時間軸が分かるはずだ。
「…カイル殿下ですか?確か今は12歳だったかと思いますが」
しかし呼び捨てはよくありませんよと、小さく小言を発したかと思えば、彼はあっという間に消えてしまい、床にひらりと白い羽が一枚落ちた。
「12歳…」
つまりここはゲームより5、6年前の世界なのだろう。
ベッドから飛び降り、羽を掴む。
「…そういえばあの天使に私の名前聞いてなかったな」
何か今の手がかりを探すため小さな体でひょこひょこと歩き始めたその時、地響きさえ感じるような慌ただしい足音が聞こえてきた。
カツカツと複数で轟き鳴り響く音は何かの演奏かのようだ。
異様な音に恐れをなした私は、ベッドの下に隠れようとするも、遅かったらしく勢いよくドアが開かれてしまった。
「エルお嬢様!まぁなんてこと!」
メイド服を着た女性数人が、床に這いつくばる私を見て悲鳴を上げた。
1人の後ろに虎でも従えてるかのような迫力を持つ女性が私を抱きあげる。
抵抗しようものなら折角のこの命が無下にされてしまい兼ねないので、
ここは大人しく為されるがままにベッドに運ばれることにした。
「あっあの」
震える声で声をかけるが、気にも留めず他の女性たちに何かを命じている。
そして、彼女たちはここから走り去ってしまった。
「お嬢様一体どうなさったのですか?体調は大丈夫ですか?」
女性は風格に似合わぬ弱々しい震えた声を出す。
今の私は、相当おかしいのかもしれない。
「あの…私の名前って」
恐る恐る気になっていたことを聞くと、女性は鬼気迫る表情で詰め寄る。
「お嬢様はシャーレット・エル。シャーレット伯爵の一粒種でございますよ!」
シャーレット・エル…聞いたことがあった。
ヒロインだ。この乙女ゲームの。
後ろ姿しか見たことが無かったが、そうか、こんな顔をしていたのか。
ある意味、特典スチルだな…と妙な感覚に陥る。
「(ヒロインか…)」
私は悪役令嬢でもなければ、ひっそりと生きていきたいわけでもない。
むしろ攻略対象のイケメン王子と結婚出来ればこれほどの幸福は無いだろう。
現世に未練もない…。
「(あれっめっちゃ好物件じゃない?これ)」
「(変な盗賊ルートとかに行かなければ、王妃様安泰だし…)」
野望と邪な考えがポップコーンの様に頭の中で弾けていた。
「(決めた!)」
心の中でガッツポーズを掲げ、自分自身に宣言をする。
「(私 小川茜ことシャーレット・エルはイケメン王子様ルートを目指します!)」
気付かぬ間に笑いがこみ上げていたようで、隣の女性がぎょっとした顔をしていた。
「ねっねぇ、貴女」
コホンと咳ばらいをし取り繕った笑みを浮かべて、柔らかい声を出す。
「私もう大丈夫よ。心配してくれて有難うね」
確か主人公は淑女の中の淑女といった立ち位置で、元の私よりもっと丁寧な言葉使いをしていた。
「(そんな淑女が床に這いつくばってたらそれは心配だよなぁ…)」
ストーリー進行に沿うということは、自身がキャラに沿うということだ。
絶対に、何が何でもやり遂げて見せる。私の巨大な野望のためにも!
付け刃の物まね口調でも効果はあったようで、強張った顔が緩み始めてきている。
「一応、見てもらうだけ見て頂きましょう。」
髪を優しく撫でられるも、嫌な気はしない。
「(…きっと周りから大事にされてきたんだな)」
彼女の手つきで分かる。
思えば、この少女自身は何処に行ったのだろうか。
「(…茜の記憶が前世のもので、今世はこの少女として生きているのだろうか)」
目を瞑り、ゆっくりと息をし、記憶の奥底を叩く。
もし、生まれ変わりだとするならば、
何かの拍子で前世の記憶が目覚めたのなら、今世の記憶がどこかにあるはずだ。
…今ある情報を整理しよう
私はシャーレット・エル、12歳の伯爵令嬢だ。
…他に何か…何か…
『夜会』
ある単語が頭を叩く。
ああそうだ。夜会がもうすぐ開催されるはずで、私はそれに参加する手筈だった。
昨日もその準備で…いや昨日私は何をしていたのだろう。
思いだせない。
「(昨日の私がしたことで、前世の記憶が呼び起こされた…?)」
入れ替わりではない。一度落ち着けば次々と少女及び私の記憶が蘇ってくる。
確かその夜会は例のカレル殿下もいたはず…!
つまり夜会で彼と出会えばイベント回収…!
勝利の美酒に酔いしれるように、口角を上げる。
「(これは私の完全しょ…)」
その時、心臓がドクンと波打った。
虫の予感だと言うのだろうか、私は何かの気を扉の向こうから感じ取った。
それから数刻も経たず粗暴に扉が開かれ、微かな埃が舞い上がる中一人の男が無遠慮に部屋の中に入ってくる。
その男は、礼も挨拶も何も無しにずかずかと早足で私の所に向かってくるが、その態度に尊敬も愛情も何一つ感じ取れず、貴族と接する態度としては悪手中の悪手だろう。
そして、ベッドの上に躊躇いも無く座ったかと思えば、よくわからない道具を大量に取り出し雑に私の頬を片手で掴んだ。
周りのメイドが小さな悲鳴を上げるも、止めるどころかより顔を近づける彼。
ほのかに煙草の匂いが香っている。
「元気そうじゃねェかクソ餓鬼」
目がパチリと合う。
電流が走ったかのように、頭が痺れ、私の頬は途端に真っ赤に染まる。
これは”私”じゃない少女の感情だ。
件の彼は、モノクルについている幾つかの歯車を回しながら杖をこちらに向ける。
その杖の先端には琥珀色に輝く宝石がつけられいて、思わずため息が出てしまうほどに綺麗だ。
彼の髪と同じ色に輝く宝石だからだろうか。
しかし幾ら褒め称えようが、それら全てを以てしても彼の眼の魅力に敵うことは無い。
どこまでも深い、ルビーの様に煌めく赤。
その他の造形ももちろん美しいが、何よりも私は彼の眼が好きらしく胸の高鳴りがずっと収まらなかった。
眼前の杖が適当に動いたかと思うと、模様のついた円が空に浮き出て私を囲う。
「(こっこれは魔法陣というやつなのだろうか)」
そういえばあの乙女ゲームには魔法などの設定があったような気がしなくもない。
周りの魔法陣が月光のような光を放ち、私を照らす。
同じく照らされた彼の姿はこの世のものではないかのような麗しさを纏っており、恐ろしささえ感じてしまう。
「…」
一瞬顔を顰め、すぐにまたヘラヘラとした笑みを浮かべ掴んでいた手を離す。
少し名残惜しいと思ってしまうのは致し方ないことだろう。
周りの魔法陣も呼応するように、忽ちに消えていきほのかに温かい光だけが残った。
「それでお嬢様は…」
周りの言葉が頭に入ってこず、心が浮足立って落ち着かない。
彼に触れられた頬が未だに熱を保っていた、
「(まっ間違いない。)」
「(私、あの人のこと好きなんだ)」
「(だけど)」
ただ一つ問題がある。
「(私こんなキャラ見たことも聞いたことも無い!!)」