お題「きっとそれが、最後に見る夢だから」
長いスカートをふわりと風に揺らし、木下で人を待つ少女の名前はエナ。エナは木陰で両の手指を組みそっと目を閉じた。
ふと心地よい香りを感じた。よく知っている優しい香りだ。
エナが目を開けると、そこには背の高く健康的に日焼けした青年がにこやかに立っていて、エナは口元を緩めた。
「ジーク、待っていたわ」
「おまたせ」
ジークと呼ばれた青年は目を細めエナの頭にそっと手を置く。
エナは白い肌をほんのりと赤らめ、彼から目線を反らした。
「何を熱心にお祈りしていたんだ」
「世界が平和になりますようにって」
「そうか。エナらしいな」
ここ最近世界中で戦争が勃発している。この国も例に漏れず、西の方では国境を巡り激しい争いが起きている。この国の兵士はほとんどそちらへ駆り出され、その兵士たちも日々数を減らしている。
「そんなことよりジーク、こんなところに呼び出してどうしたの」
「ここからの景色は絶景なんだ」
「ええ、知っているわ」
小高い丘の上、遠くに海が見えるこの場所はジークのお気に入りの場所だった。小さい頃からよく訪れている。エナも度々連れて来られたため、お互いよく知る場所だ。
「急に見たくなってね」
「こんな時勢だもの、たまには美しい景色が見たくなるわよね」
ジークの気まぐれな理由を聞き、エナは少しの間を取り納得を示した。
「エナは、戦争が終わったら何がしたい」
「そうね。お隣の国へ行ってキレイな景色や、美味しい食べ物、色々なものを見て、感じて、そしてたくさんの人とお話してみたいわ」
「それはいい案だな」
未来を想像し、エナは目を輝かせ胸を踊らせる。
ジークは釣られて微笑み、遠くを見つめた。海の向こうでは日が沈み始め、空には橙色が広がっている。
「でも、それはいつになるのかしら。この戦争が終わってもきっとすぐに新しい戦いが始まるわ」
エナは悲しげに瞳を伏せ、想いを吐き出した。
この戦争も初めてのことではない。世界では長い歴史で何度も何度も争いが起き、犠牲になったものは少なくない。
「大きな単位で言えば、得ているものもあるのでしょうけれど」
「そんな顔をしないで、エナ。今日は楽しい話をしよう」
せっかく良い景色を見に来たんだ、と彼が続けると、エナは沈み行く太陽を眩しげに見やる。
そしてまた、ゆっくり目を伏せた。
それから静かな時間が二人を包み込んだ。音も感じない。風も感じない。そんな時間。
「行くのね」
静寂を破ったエナの一言に、ジークは諦めたように首をすくめた。
「よく、わかったね」
「そんな、顔をしていたわ」
「昔からエナには隠し事ができないね」
そうに違いないと分かっていながらも、そうではあってほしくないと願った。
その願いも虚しく、ジークはゆっくりと肯定した。
「明日、戦争に行くことになった」
「いつから知っていたの」
「昨夜、兵士から伝令があったんだ」
ジークの家には昨夜兵士が訪れ、彼が国の命により戦争に加わらなければならないということが伝えられた。近所でも数名が徴兵されている。
「今日は美しい夢が見たいんだ。この景色をともに見て笑う君の夢が見たい」
「そんなの、夢じゃなくたっていつでも」
「いいや。きっとそれが、最後に見る夢だから」
どうか無事で帰ってきてほしいと、またこの景色を一緒に見たいと。ジークはその思いから強く言葉を発したエナを制止し、その顔を脳裏に焼き付けるようにじっと見つめた。
やがてエナの瞳には水溜りができ、一筋、二筋と頬を伝う。
その背をそっと引き寄せ、強く抱きしめた。
「さあ。エナ、どうか笑って。楽しい話をしよう」
彼はとても優しい目でそう言ってくれたが、私は涙を止めることが出来なかった。
あれから50年。随分と世界は穏やかになった。彼はやはり、あれから戻ってくることはなかった。しばらくして終戦の知らせがあると、誰もが喜び、抱き合った。
あの頃の私には、あの戦いが何をもたらしたのか分からなかった。
それでも今こうして、当時争っていた隣国へ訪れている。それくらいには私たちは平和に近付いたのだ。
「ジーク、あなたには今の私がどう見えるかしら」
彼の最期の夢が、きっと美しい夢でありましたように。
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