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感想受付停止しているエッセイや雑文達

不幸話と自慢話は本質的に同じなんだと思う。少なくとも、聞く側にとってすれば。

作者: あっちいけ

 


 私はひとから悩み相談を受けることが多かった。


 恋愛や仕事の愚痴なんて瑣末なものから、七股かけていて体も心も辛いだとか、付き合っていた彼氏が自殺しちゃって悲しいから旅がしたい東尋坊まで連れてってーなんて恐ろしい相談まで受けたことがある。


 不幸巻き込み体質なのか何なのか分からないけれど、やたらと重い(少なくとも、私の人生観では手に余るような)悩み事を受けることが多かった。


 そんなものを赤裸々に語られて、いやいや…そんな話聞かされても小説のネタにしか出来ないよ。そんな私が相談相手で本当にいいの?とか思いながらも、一応真面目くさって私はそれらに答えていく。


 大体の相手は、解決策とはいかないまでも方向性を見出したいと思って相談してくる。私に相談してくる相手は、最早悲劇のヒロインぶるのを通り越して、本当にどうしたらいいのか教えてほしいと困窮極まった相手が多かった。

 だから私も親身になって答えた。相手が同性だろうが異性だろうが、スタンスを変えずにズバズバ言う。相手が、自分の価値(価値観ではなく)を大切にできるまで寄り添ってあげる。


 ……というのが、大半の相談の結末だったのだが。そうもいかない相手もたまにいる。


 それが不幸話。大学在学中にはよくあったのだ、その手の話が。







 私は当時学内でそこそこ大きなコミュニティに所属しており、私に相談を持ちかけてくる相手は同じくそこに所属している部員がほとんどでした。

 普段から気心知れている間柄だからこそ、普段の彼ら彼女らの価値を知っている。その価値を相手が見失ってしまっているのであれば、それを教えてあげるのが私に出来る唯一のことでした。


 しかしある時、『何か悩みがあるんだったらこの人(私)に相談してみたらいいよ』なんて話が、私の目の前で繰り広げられ、『だったらしてみようかな』なんて軽いノリで相談を持ちかけられたのです。

 私は、相談事務所を開いたつもりはないぞと思いながらも、他人と話すこと自体は好きだったので話を受けました。


 ……結果、ただの不幸自慢だった、ということがありました。そしてそれ以外でも、普通にそういう話を持ちかけられることが社会人に出た後も度々ありました。


 その手の話の共通点は、答えを求めている悩みじゃなくて、ただ聞いてほしいというものでした。私を案山子として立たせ、ただ優しく頷くだけの機械に貶めようというものだったのです。


 まあ、私の方も、素性も知らない相手の相談になんかろくに乗れるわけがありません。本当に重い悩みを打ち明けられても真っ当に答えられていたかと問うと否でした。






 ……とまあ、ここまでが前置きで。


 不幸話をしてくる相手って私、自慢話してくるひとと本質変わらないんじゃないかって最近、ふと思ってしまったんです。

 もちろん、本人にそんなつもりはないと思うのですが、聞く側にとっては同じであると、少し悲しいことに思ってしまったんです。


 だって彼ら彼女らの話を聞いていても、『どうにかしたい』という思いが伝わってこないんです。不幸である現状に、満足しているようにしか見えなかったんです。


 やれ現状への不満、やれ理解してくれない世間や他人の冷たさ、辛かった過去への不平不満……そんなの、多かれ少なかれ誰でも持っているものだと思います。


 それが自身にとって、たとえ、どうしようもないものであったとしても、何かを『変えたい』だったり自分は『変わりたい』だったりという意思が、小指の爪の先ほども見えませんでした。


 彼ら彼女らの話に出てきた「ねぇ、わたしって不幸でしょう?」を全く別の言葉に変えても意味が通じると思ってしまったのです。例えば、「わたしってすごくない?」とか、「えらいでしょう?」とかです。


 何が言いたいんだ。何を言わせたいんだ。満たされている私側へは、それじゃ気持ちは伝わらんぞ。

 共感してもらえる相手だけに伝わればいいのであればそれでよし。ただ、それでは世界は何も変わらんぞ。そのままだと満たされた側と満たされない側の隔たりはいつまで経っても無くならないから、あなたの世界は不幸であり続けるだけだよ。


 何かを変えたいんだと、自分を変えたいんだ世界を変えたいんだという強い思いがあれば、文で人の心を動かせるでしょう。


 ただ意思なく泣くのであれば、意味なく愚痴をこぼすのであれば、私は意味を持って泣いている人の方へ寄り添います。


 誰かに意味を見つけてもらおうと思うな。自分から意思を持て。意味を作れ。自分の価値を見失おうとするな。へたってもいいが腐るな、人を貶すな。


 私は、自分から立ち上がろうと上を向く人にこそ、手を伸ばしたい。




 ……と、最近身の回りで起こった出来事を介して私が思ったことでした。件の方々はそれぞれに踏ん切りをつけ、新たなるステージを歩み始めたと聞きましたので私にできることはその背を見送ることだけです。


 なので、上の発言はその人達を見てて思ったことですが、その人達に対して当てたものではありません。悩める人、それでも地に腐らず上を向こうと食いしばっている人に向けての応援です。




 ……って、このエッセイの趣旨が行方不明になってしまった!!失礼しました。


 つまり、どういうことかというと…みんなに幸あれ!ってことで。


 はい、おしまいっ!



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