ソラ
小さいころから、気がつくと空を見上げているということが多かった。
深い意味は無いだろう、と思う。しいて挙げられるなら空が好きだからという無難なものくらいだろう。
そういえば自分の思い出にはいつも空が付きまとっている。
例えば、毎日のように友達と遊んでいたとき帰る合図となっていたまるでそれ自体が燃えているかのように真っ赤にきらめく夕日や、忘れた傘を持ってきてくれた祖母と手をつないで家を目指すときに雲間から見えた橋を架けた虹、初めての彼氏と寄り添いながら一生懸命目を凝らして探した流れ星、煙となって溶け込んでいった母を受け入れた澄み切った青空・・・それらは未だに自分の心に残るかけがえのない宝物だ。
楽しいことも辛いことも空が全部受け取ってくれる、何の根拠も無いのにそんな風に思えてしまうのはいつも傍に居てくれる、そんな誰かの存在がすべての人に必要なように、空もまた人にとってそんな存在に等しいからかもしれない。
言葉は無いけれど、表情をころころ変えて、幸せや優しさ、時に厳しさを垣間見せる彼を見ていると不思議と明日も頑張ろうって思えるのは何故だろう。
吸っていたタバコを地面に投げ捨て、踏み潰す。今日この場所で吸った10本目の煙草。
そしてポケットから取り出した箱から、再び煙草を取り出して火をつける・・・もう何度同じ動作を繰り返しただろうか。
煙は風に乗ってたなびいては消えることを飽きることなく繰り返していた。
少し寒くなってきたように感じる・・・口から出てくる白いもやは必ずしも煙草のせいだけではないと思った。
遠くで、がたんがたんという電車が走る音がする。もう始発が運行し始めたようだ。
いつの間にか空からは星が消え、定番色である薄水色が顔を出しはじめている。
その時背にしているドアがばたんと開く音がした。
この場所に来る人間はそういない。だからこそ自分の名を呼んだ彼が誰かを予想するのもたやすいことだった。
彼女は振りかえったが、その先にあったのはむくれたような仏頂面で。
あまりにも想像通りで思わず笑ってしまうのをこらえることに努力が必要だった。
そんな努力に彼が気づくわけも無く、その表情を崩すことなく彼女との距離を近づける。
「探したんですよ。どこにもいないから、ここかなと思ってきてみれば。」
当たりでしたね、とこの場所で初めて笑顔を見せた。とはいっても苦笑ではあるが・・・。
「いいじゃない、とりあえず入稿には間に合ったわけだし。私だって息抜きしたいのよ。」
「息抜きは結構ですけど・・・社内は禁煙ですよ。」
「だからここに来てるんじゃないの。で、何か用なの。」
「貴方のことだから、煙草ばっかり吸って何も食べてないんじゃないかなと思って。」
言葉の後に差し出されたのはビニール袋。中には焼きそばパンと500mlのお茶・・・また、なんとも定番な。
・・・などとは自分を気遣ってくれている彼に言うことは出来ず、素直に「ありがとう。」と言って受け取った。
「また当たりでしたね・・・今回はハズレて欲しかったんですけど。もう中に入ったらどうですか。風邪引きますよ。」
心配そうに彼は言う。本当に彼は良い後輩だと、こういうときに実感する。よく気が効くというかなんというか・・・きっと女だったら模範的おくさんになりえる。
「う〜ん・・・まだ、ここにいようかな。後もうちょっとしたらさ、朝日が昇りそうなんだよね。」
ここからの景色は最高に良い。高層ビルなんて何で高くしているのか意味が分からないとか普段は考えているけれど、ここの屋上に来るとこの景色を見れるなら高層ビルも悪くないように思えるから自分はつくづく単純な奴だと思う。
「だったら・・・。」
そう言いかけて、彼は彼女の隣に立った。
「だったら僕もここにいます。先輩と見たら、今まで見たことないくらいすごく綺麗な朝日が見れそうな気がするから。」
それにほら・・・と彼が持っていたもう1つのビニール袋を彼女に手渡す。
中を見て、彼女は思わず笑ってしまった。
「何真似してるのよ。」
「だって一緒に食べるならやっぱこれかな、と思って。実は最初から一緒に食べるつもりだったんです。」
同じものを食べたがるなんて、あんたは子供か・・・と思いながらも、彼のそういう可愛らしいところは嫌いではなかったりする。
「一緒に食べても良いですか。」
ほら、また空の下、1つ嬉しい思い出が増えた。
だから私は空が好き。きっとまた明日も私は空を見上げる。これは予測でなく、根拠のある過程。
「良いよ。・・・一緒に食べよう。」