宝の中身
「はあっ、はあっ」
「お主・・・いつもはヒョコヒョコと卑屈な歩き方をしておるが、それなりにふざけた運動能力をしておったのだな・・・」
「はあっ、はあっ」
「おう、そうじゃ。クルト、ありがちな願望も飽きてきたし、儂の専属『運び屋』にならんか? それはこうじゃ! 別の持ち主をまず用意してーー」
「いいから、そんなことは! 魔法を使うなら、早くここでやってくれ!! なかなか悪くないポイントになってるだろう」
野盗たちの洞穴に向かう前に、なんとなく近辺の地形は見回しておいた。
青年がいま立っているのは、ややなだらかな岩壁の上、敵のアジトの入り口が眼下にうかがえる場所である。
まさか猛烈な逃走を見せた相手がすぐ上に戻ってくるなどとは、ヤツらも考えてはいないだろう。
あいつらは、自分を恐れない人間はいないと思っているのだから。
「・・・お主もあまいのう、クルトよ」
そこで、青年が先ほどから急かしているにもかかわらず、エノーラはいつものような調子に戻ってしまっていた。
「『矢毒蛙』を飛刀に用いるのはいいが・・・かなり神経毒をうすめておるか、弱毒種を使っておるな。ーー”父親”候補の一人が、もう動き出しておるぞ」
「!?」
そう言われてクルトも下をのぞいてみたが、確かに仲間に介抱されていた小男が、首をもみながら何かを叫んでいる。
どうやら、母に”当たり”をつけた親父様は、そこそこの立場の人間なのだろうか。
「こちらを追いかけているせいで、奴らの勢力の大半は分散している。ここで根城を破壊しても、あまり意味があるとは思えんが・・・」
「いいんだ!!」
それでもクルトは、迷いなく答えていた。
「以前言ったように、俺は親殺しがしたいわけじゃない。ただ、何かしなけりゃこれからもずっと真っ直ぐに生きられない気がしてるだけだ。ーーそれに、あんたもポロッと洩らしてたろう。どんなに欲望を持った人間でも、予想を超えた災厄に見舞われたとき、その思いを失念することはあると。・・・奴らが、いくらかまともな神経を持っていることを祈るよ」
そう言って、背中のコンパクトを、バッグごと握りしめていく。
「ーーふむ。新たなる、儂の主よ」
静かに、じっと耳をすませていたエノーラは、どこかもの珍しそうな、ニヤけたような声音で返事をしていた。
「お主とは、そこそこ長い付き合いができるかもしれんな。下賤の出でありながら、どこでそんな甘っちょろい品性を身につけたのか知らんが、そういう奴は願望が薄く、変わりに多彩じゃ。スルメくらいには長持ちするかもしれん」
そう告げるや、彼女は先ほどの姿に戻っていた。
クルトの見た、その後ろ姿は。
「・・・お前、それ・・・?」
敵が迫っていたときは気も動転していたが、あらためて今、青年はエノーラの肉体の顕現に、言葉を失う。
「うん? 何かおかしいか? よく人間どもは儂を見て絶句したり、恐怖に固まったりするのだが・・・どこが失敗しておるのか分からん」
そうぼやいて、彼女は魔術の詠唱に集中していった。
いやーー失敗とか、そういう次元ではなく。
『我は凍土の深淵にて、命全能たる者なり』
その、エノーラの身体は。
『我の言葉にて宙は波長し、その音にして種は遠雷を知る』
目は透きとおった群青ーー漆黒の絹服に、映えるような長身。
『今ここに、森羅の導きあり。そのすべてを新たにせんとし、我ふたたび目に陽と暗黒を生む』
彼女の燐光する髪は、水流の深蒼ーー
「少しサービスしておいてやる! 山賊どもが、腰をぬかして人生を考察してみるようにな!」
ーー ”万象崩壊”!!
ごぉん!
その言葉が手の平とともに下へふり下ろされると、クルトは我を失った。
「うおっ! うおおおっ!!」
見渡す限りの大地に裂溝が走り、足場が数十センチはへこんだと感じるような衝撃に、彼は襲われた。
そしてすぐに、一番始めの落ちる縦揺れから、マントルに達するほどの五十㎞級の亀裂に林立することになった大地が、お互いに横揺れで崩壊を始めてゆく。
それは世界の終わりに思えた。
「エノーラ・・・! 死ぬ! 俺たちは死んでしまうー!!」
ゆっさゆっさと不気味にふられる大地の上に倒れ、クルトは彼女の足にしがみついていた。
「あっ、お主!・・・あっ」
そこに、不敵な笑みを浮かべて立っていたエノーラは、己のスカートに巻き付いてきた青年に両手をとらされる。
「な、何をしておるのじゃクルト! 淑女の肌に触れるなど・・・ええい、なっ・・・」
無様にもそのまま前のめりに倒れ、術の制御を失ってしまった。
しばらくもがいた後、
「ちょっとお主、静かにしておれい!! 儂らの足元には、何の変化もないではないか。周囲の緩衝材になって、すこし揺れておるだけじゃ!」
取り乱しながらそう伝えて、彼女は頬を赤らめたまま立ち上がった。
この痴漢でチキンな主め。
頭を何度か叩いてやりたかったのだが、彼女はどうにか自分の目線をまた山賊たちに向けていったのだった。
・・・さすがに、一人くらいは落ちると思っていたが・・・。
(しぶといのう。いや、これでこそ、というような悪党の集まりなのかもな)
変な部分に感心して、エノーラはまだ林立するわずかな地表にしがみついている男たちを眺めていた。
しかし、まだこの魔術は終わりを迎えたわけではない。
ーー ふっ。
そう力を込めて、彼女は眼下に突き出しかけた右手を反転させていた。
「ぬっ!?」
「なんっ、ぐおっ!!」
いきなり崩れかけていた地表が砂礫と化し、今度こそ山賊集団は大地へと飲み込まれていく。
・・・それは、実のところ底の浅い皿のような地面の変化だったのだが、そんな経験などまるでない人間にとっては、阿鼻叫喚の地獄絵図である。
その場にいた幾人かは、砂漠で手足をバタつかせていた。
ほかには、どうにか泳ぐような動きを見せる者、斬新な泳法をあみだしてしまいそうな者などもいた。
彼らを観察しながら、エノーラたち二人は、陸の孤島の上で固まったように突っ立っていた。
「・・・」
「くっくっ」
「おい、エノーラ」
それなりに時間を費やしてしまったが、青年は美しい絹服の背中を見せている女性に、やっと話しかけることができた。
「?」
くるりと振り向いた彼女は、勝ち気な眉に、驚くほど澄んだ瞳を向けてくる。
(コイツ・・・まともでは考えられんほどの高貴さを持っていたんだな・・・。身体は自分で作ったのか、本当に生まれついての”宝”なのかは知らんが)
「で、どうだった? ・・・アイツらの欲望がいくらかでも潰えたのなら、あんたはそれを回収できるんだろう? さっき起こった破壊に衝撃を受けて、身の程を知ったような奴はいたのか?」
「・・・む。んっふっふ」
気持ちの悪い笑みを浮かべながら、彼女はふたたび腕を空に向かって広げていた。
「そうじゃなあ。お主が言っていた通り、確かにここまで思い上がった雑念を抱いている奴らは、そうおらんじゃろうよ」
今まさに、解き放たれた欲望をエネルギーとして吸収しているのか、ほのかに身体が魔力光に覆われ、エノーラは至福の表情を見せている。
それを見て、どこかクルトはほっとしたような態度になっていた。
(そうか・・・。悪を懲らしめる敵討ちなんて、同類の罪を犯してきた人間がやっていいのか迷ったけど、これで野盗がいくらか減るのなら、間違ってはなかったんだよな・・・)
青年の母親は、きっと意趣返しなど望まなかっただろう。
彼女は、父親などとは別に、ちゃんとクルトを愛してくれたのだ。
でも世の中は、それだけで渡っていけるほど、甘いものじゃなかっただけ。
ーー 娼婦が、この世界で未来に何かを望むなんて・・・。
だからクルトも、一人で生きるためだけの欲望しか持たないと、彼女が死んだ時にそう決めたのだった。
「ク~ル~トぉ~」
どこか晴れ晴れとした顔で、白みはじめた山の稜線を見つめていた青年に、そこで声がかけられていた。
「先ほどのことじゃが・・・儂の足を抱いたこと、ちゃんと憶えておるんじゃろうの~? この”氷獄の女神”の素肌に触れるなど、どれほど罪深いことをやらかしたのか・・・」
まるでヘビのようにねちこい語り口で、エノーラはクルトに近づいていた。
その割には、もう肉体はとっくに消し去っており、いつものふよふよとした黒い塊が彼の周りを飛んでいるだけだ。
「長く一緒にやっていけると感じた矢先だったのじゃが・・・。とてもではないが、破廉恥な男と旅が出来るとは思えん。儂は、クルトの願いを次々と叶えてやることにしたぞ。パッと気持ちよくなって、その短命なる命を差し出すがよいわあ!」
どこか演技がかったように、彼女はそう宣言していた。
クルトはしかし、どこか無理をしているエノーラの話し方には、とっくに気付いている。
「いや、すまん。だってあんた美人だし。誰だって欲情すると思うよ」
「ぴっ!?」
そこで、突然エノーラの声に勢いがなくなっていた。
・・・やはりか。
「あんた、これまでの持ち主が、『絶句したり怯えたりする』って言ってたろ。それはおそらく、魔術師はあんたの力に恐れをなしたんだろう。でも絶句した奴らはーー」
そんな姿を見るまでもなく欲望を叶えてもらっていた人間は、もはや彼女の力にひれ伏し、逆転した主人を望むことなんてできなくなっていただろう。
クルトは、慌てふためくように首のまわりを飛んでいた彼女をじっとにらむ。
そして、止めとばかりに、きっちりと彼女のデレ配合過多を見抜き、ストレートな申し込みをしたのだった。
「ーー 俺にも今日、たった一つの欲望が生まれた。
あんたが欲しい。それが叶えられるなら、たぶんずっと俺はあんたに欲情しつづけるだろう」