本業
「あいつは・・・」
そこは森深くの絶壁にある、うつろな穴の一つだった。
”その男”を見た瞬間、青年の目は驚くように開かれ、動きはピタリと崖岩に張りついたままになった。
別に、確証があったわけではない。
ただどことなく、背格好が自分に似ているな、という気がしただけである。
洞穴の前に盛大な焚き火が燃えさかり、二十人は超えると思われる男たちの中で、そいつだけが特別にクルトの目を惹いた。
(なあ! お主、気を付けろよ! 焚き火の明かりは、こちらにまで届いておる。岩陰におったとて、髪でもチラつけば一発で見つかってしまうぞ!!)
めずらしくエノーラが主を気遣ったが、当の本人には聞こえていないようである。
彼の本領ーー いや、”業”が発揮されたのは、その瞬間だった。
「あっ!」
止めようなどと、思うこともできず。
『ぐっ!?』
神経毒が塗られた飛刀が、かすかな風音とともに小男の背中に突き立っていた。
投げたクルト自身にも、それは理解できていなかった。
呆然としたまま彼は、小刻みにふるえている己の右手を見下ろしていた。
『なんだあっ!?』
『どこから飛んできやがった!!』
下卑た男たちはがなり合いながら辺りを探り出すが、今、一番の問題はエノーラが抱えていた。
「こら、クルト! 何をしておる、早く逃げろ!! この人数が相手で、ここまで近づいては儂の魔法は使えん! 自分が強固なぶん、儂は防御魔法がからっきしなんじゃ。距離をあけねばお主も巻き込まれるぞ! 」
いきなり霧のように女性が現れ、目の前に立って肩をがくがくと揺するが、青年はまだ放心したように呟いていた。
「な、何だ・・・? あんた、エノーラ、なのか?
オレは・・・”あいつじゃないかもしれない”って・・・。でも、あの男が腰の後ろの短剣を、ベルトごとそのズレを直した時、『ああ、俺とそっくりだな』ってーー」
ばぁん! と思いきり頬をたたかれ、クルトは横殴りによろめいていた。
「そんなことはどうでもいい! 走れ、クルト!! お主はここに命を捨てに来たのか!」
また自分の両肩に手を置いた女性を見て、青年は一度頭をふり、ぎりっと歯をかみしめていた。
腕をどけさせると、痛みと熱にこわばった口をぬぐい、かついだバッグの紐を引き絞る。
「どれくらいだ!?」
「・・・!?」
「距離は! どれくらい開ければいいんだ!!」
「追ってくるならば、呪文詠唱を入れて二百米」
ふん、と鼻を鳴らして自身の装備をもう一度点検する。
良い発破にはなった・・・けど、俺を何だと思ってるんだよ。
彼は、ふてくされたまま闇夜に走り出していた。
ーー 音もなく、そこにはただ全てが速さに繋がるように、後ろに何も残さない。
身の毛も縮むような野盗たちの怒号は、すでに唸りをあげていた。
・・・青年には、この地方でも有数の凶悪な男たちが、すぐさま迫ろうとしていた。
しかし、たとえそこが森の奥深くだろうと、栄華を極めた王城だろうと、同業者にすら負けたことがないクルトの足に、勝る者などこの場所にはいなかったのである。