据え膳の恥
その日、人々の喧騒が落ちつきを見せ、それでも蒸し暑さのために、寝苦しかった夜更けのことである。
クルトは、宿の寝台で丸くなり、いつもは後ろ腰に隠している鋭利な短剣を、手元に引き寄せていた。
(・・・物音か・・・。さて、一体どこから話が漏れたのやら。まさか古物商のクライドがヘマをするはずもないしーー)
青年は、自分の背が低いことを気にしている。
なので、金があっても普段から人の印象に残りそうな高級店ではなく、出入りが雑な安宿を利用しているのだが、今夜は少し勝手が違っていた。
通路の一番奥から、一つ手前の部屋で、かすかに床を軋ませていた足音が止まる。
・・・クルトにとっては、闇が濃さを増していくこれからこそが、最も意識が冴え渡る時間だ。
通路の一番奥がすでに取られていたのは痛かったが、幸い二階より高い場所にある部屋でもなく、窓から逃げる用意はしっかりと整えている。
(・・・なんだ、コイツ? 躊躇ってるのか? もしかして、自分は物盗りじゃないとでもいうのかーー)
そんな風に、身構えていた時である。
コン、コン。
ややためらいがちに扉を叩かれ、青年はさらに目の鋭さを増した。
「はい。どうぞ」
そう答えはしたが、勿論こんな夜半に訪ねてくるものなど、尋常ではない。
もし知り合いだったとしても、自分がその日寝泊まりする場所など、明かすはずがないのだ。
(ーー女?)
扉の開き方は、ぎこちないものだった。
静かにドアを開け締めし、それに続いて、クルトが目にしたことのないシルエットが闇に浮かび上がっていく。
「あ、あの・・・あたし、人に呼ばれてこういうこと、してはいけないと思うのですが。でもーー今日の昼間から、ずっと胸が痛くて・・・。きっと、罰を受けねばならないのですねーー」
「はあ!?」
思わず声を裏返らせていると、その十代だと思しき少女は、薄い上着を脱いで、肩ひもをスリップのように滑らせて夜着を落とし、下履きだけの姿になっていた。
ちょっ、ちょっと! 何やってんの? ていうかアンタ誰!?
シーツの裾をまくり、「失礼します」と入ってきた女の肩を、クルトはがしいっ、とつかんで止めていた。
「いや、ちょっと待とうね。ものすごくいい匂いがしてるんだけど」
まるで夜に似合わない、瑞々しく朝露をはじく花のような香りをさせて、少女は顔を赤らめていた。
「なんじゃあ、うるさいのう・・・」
むき出しの肩は華奢で、そのままクルトのされるがままにーーって!
「おいエノーラ! この娘、あんたの仕業だろう!!」
無神経な女がしゃべり出したのを聞いて、思わずクルトは叫んでいた。
「・・・うん? ああ、何じゃ。そやつ今ごろ来おったのか。これまで迷っていた時間を考えるに、そいつは間違いなく処女じゃな。腰はあまり使ってやるなよ」
下品な言葉を言い捨てて、またエノーラは眠りにかかっていった。
こら・・・。
そんな話を聞いて、「やった、まだ硬さの残る処女の体を、柔らかくしてやるぞ!」なんてことになるわけがないだろう。
青年はあまりのことに上がってしまった息を、一人整えていった。
しばらく暗い中で濡れたように煌めく目と向き合ったが、そこはすでに場末の女で何度も失敗してきた身。
どうにか悟りの境地に、己を昇天させていった。
(コイツはたぶん、昼に露店かどこかで二度見してしまった子だな。信じられないほど無頓着なくせに、エノーラの奴。こんなしょうもない欲望にまで反応するのか?)
実のところ、それは”彼女”のプレゼントであり、予想外に美味しかった昼食の礼だったのだが、もちろんクルトは死期を早めるための もの だと信じた。
「ーーどうした、お主? 男というものは、やはり恥ずかしがり屋なヤツばかりなのか? 儂がいっしょにいると自慰もできぬ故、これまでの経験上、熱い場所を用意してやったまでじゃぞ」
そう言って気配を消したエノーラに、青年はポツンと取り残されていた。
「・・・」
後に聞こえてくるのは、名も知らぬ少女の温かい吐息だけである。
・・・何が恥ずかしがり屋だよ。
クルトはそこで、誰に聞かせるでもない呟きをもらす。
男には、据え膳でも抱いていい女とそうじゃない女がいるだけさ。
特に意味もない義侠心を持ち合わせている彼は、むろん少女を夜更けに追い出すこともできず、悶々としながら死期についてせまい寝袋で考えたのだった。