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望み


絶対に許せない奴がいる。


それは”父親”という集団だった。


もっと言うなら、ハーライン峡谷に、長きに渡ってまいつづける、残酷を極めた山賊集団だ。


クルトの母は、かつて田舎町から田舎町へと、嫁入りに向かう少女の侍女として、そこを回り込む街道を通りがかることになった。

馬車に乗ったあるじである娘は艶やかで、地方でも富豪の家に生まれ、これからもそう変わることのない豊かな未来を、一行は思い描いていたことだろう。


だが勿論、そんな子供のような絵図が完成することはなかった。


おごそかな道行きに射かけられた矢は、たった一本。


それで左右の見渡せる草原の馬上にいた護衛の男が落ちたとき、すでに残りの者や、女のたちの馬車下には、屈強で醜悪な男らが殺到していた。

その場では、女性が傷つけられることはなかったと、側頭部を強打され、片目の視力をなくした子供が町へと伝えている。

だが、その日さらわれた女たちは、短くない時間を峡谷で、知らぬ男たちの肌の下で過ごすことになった。



それからしばらくたって、さらわれた少女の嫁入り先に、吉報と訃報がもたらされることになる。


ハーライン峡谷から町まで、生きていることを知らせるために届けられた女たちは、ほとんどが途中で息を引き取っていた。


頭か足を、山賊たちの気まぐれで馬に繋がれ、引きずられてたどり着いた先では、もう秀麗だったあるじの娘さえ判別がつかなくなっていた。


クルトの母は、運が良かったのだろう。

土の街道のはし、草原寄りを走った馬に繋がれた彼女は、たった一人、まともに口がきける女性として、町の人間に保護されていた。


ただあちこち皮膚は露出し、数えきれないほど繰り返し男を受け入れた彼女は、ほとんど記憶を残すことはなく、父親の判別もつかないままに、クルトを産むことになった。






ーーーーーーーーー





「・・・うん? どうした、おぬし。いつもと違う、ずいぶん真面目な顔つきをしておるではないか」


街中を歩いていると、エノーラがそんな言葉をかけてきた。

彼女は今、黒い煙として姿を現しているわけではない。

そもそもあれは慣れていない者に自分を認識させるための仮の姿で、コンパクトの半径数メートル以内なら、どこにでも物体や声を出現させることができるらしかった。


「あんたは、ほんとにデタラメな存在だな・・・」

疲れたようにクルトは言うが、もはや彼女の本体、”蒼玉”の妖しい輝きを見てしまった後では、すべてがどうでもいいことのように思えた。


(俺がもしこんな仕事をしていなかったら、あれほどこの女に魅入られただろうか)

その日暮らしさえできればよく、大きな欲などは持っていないつもりだったが、モノが違う、という特別な存在はやはりあるらしい。


卑しい心なのか、それとも単純な”夢想”なのか、青年はエノーラを手放すことができなくなっていたのだ。

・・・たとえ、”寿命が激しく縮まる”、と聞いた後のことでも・・・。


「おっ、クルト。ここではないのか? お主が先ほどの店で、これから食べに行くと話していた食堂は。・・・なかなかに閑散としておるようじゃのう」

いつになくぼんやりしていると、青年は耳元の囁きで鳥肌が立ってしまった。


エノーラの声は、ただ普通に話していたとしても、とにかくなまめかしい。

「あんた、頼むから少し離れた場所からしゃべるようにしてくれよ。近すぎるとびっくりするんだ」


首元を撫でながら、クルトは店の看板を見上げた。

大通りにあるわけではないので、この『命を包む亭』は、いつもそこそこの客入りだ。

だが、出てくる品物がとにかくすべて包み料理、頼めば飲み物すら硬質ゼラチンや、果肉をくり抜いた果皮に入れてくるというクセの強い店なので、わりあいマニアに受けているのだ。


「まだ仕事を始めたばっかの十代前半の頃は、大漁でもうけた時は偉そうな店に入るのが嬉しかったがな・・・まあやっぱり、そんなことをくり返してると落ち着いて食べられる空間が一番になったよ」

・・・ふっ、根っからのしみったれじゃのう。

そろそろ彼女の軽口にも慣れてきたので、クルトはその言葉に、力を抜いて肩をすくめるだけで答えていた。

そして、今日は腹いっぱい食えるなと、久しぶりにうれしい気持ちできしむ押し戸に手をかけたのだった。





「おっ、それはタラのホイル焼きか?

まず儂によこすのじゃ! そのき肉 三種の夏葉包みも・・・あっ、アワビのパイ包み焼きじゃとおっ!?

いつからこんな辺鄙な店で、これほどの魚介が手に入るようになったのじゃ!!」


全くけしからん! と次々にテーブルの上の料理を消していくのは、無論エノーラだった。

青年はバレないように、皿をかちゃかちゃと一人で片づけるが、さっきから飲み物しかろくにれていない。


(おい! あんたそんなに食べて、大丈夫なのか? 栄養を取るってことは、つまり・・・出す方も・・・)

「!」

どすっ、と鳩尾みぞおちに衝撃がとんできて、クルトは黙ってしまった。


女神(レディー)に何を言っておる! そんなものは天使の雲と一緒にどこかへ飛んでいってしまうわ!!

やはり耳元でけたたましく怒られるが、さっぱり話は聞き取れなかった。

青年は胸元のダメージから立ち直ると、メニューを手にとり、今度はちゃんと自分の注文を頼んでいく。


・・・ったく、この女は・・・。”持ち主の欲望” を叶える存在ではなかったのだろうか。

いま見ている限りでは、ただの寄生虫(パラサイト)として、自分の人生を謳歌しているように思えるのだが・・・。


青年はそう感じながら、あらかた片付いてしまった料理を見て、一息ついていた。

「ーー」

ふう。店内がいているうちにさっさと食べ終わるつもりだったけど、日が昇り切っちまったかーー。


こちらの街外れにある食堂街にも、少しずつ人通りが増えてきたようである。

いくらかは自分たちがいる店もやかましくなって、クルトも周りに遠慮することがなくなっていた。


「なあエノーラ。あの”契約書”のことなんだけど」

それは、突然の話だった。

彼は忌まわしい感情とともに、その”願望”を語りだしている。

「あんた、誰かを『殺しても』欲望が回収できるって書いてたぞ」

「・・・ふぅん?」


ピリッ、と。

声が一段低くなり、逆に周囲の音は、いきなり二人から遠くなったような気がした。

「お主、そういう男だったのか? わしはまた、今回はのんびりしたあるじに行き当たったと思っていたのだが・・・」


「茶化すなよ。あんたの契約書、あれは今までの持ち主が解ったことを書き連ねてきたものだろう? 『エノーラに誰かを殺させて、その相手の解放された欲望を集めることで、寿命を縮めずに生きられる』と書いてあったぞ。ほんとにそれは可能なのか? なぜ今までの持ち主は、それをやらなかったんだ?」


やけに死ぬことに怯えていたという、前回の主の魔術師。

そして、本来なら自分で考えなければいけないような”裏技”まがいのことまで、明記してある書類。

クルトにとっては、あってはならないようなお膳立てばかりだった。


「まあ、お主が望むなら、儂はいくらでも人を殺してやろう」

そう言いながら、エノーラはまた耳裏で囁いた。


「じゃが勘違いするなよ? この世に”殺されるべき人間”という確かな根拠が、どれくらいあると思う? ーーそれにあたいしない者をあやめ続けて、お主は本当に長生きできると思うか? 人間とは、本来『こう生きてやる!』と強く決めていても、どうしても心が無防備になる瞬間というものがある。・・・全部返ってくるぞ? 自分の持っていた”願望”がバラバラになってしまうような、苦しみと土下座しても救われたいと思う、命の終わりが」


まるで虚無に包まれているような感覚の中、クルトはその言葉を聞いていた。

だが、そこから時間が経ち、笑顔が生まれていったのは、エノーラにも想像がつかなかったことだった。


「何じゃ、お主? もしかして、狂っておるのか?」

自分と契約を結ぶことができた主が、まともではないはずがない。

そういう心の持ち主にだけは敏感なエノーラだったが、思わず自分の感覚を疑っていた。


「・・・いや、たぶん俺はまともだよ」

クルトは、強く拳を握りしめながら言う。

「別に命を奪わなくたっていい。ただ、どうしようもなくーーあんたの契約書の逃げ道にもあったようにーーその人間の欲望が根こそぎ折れるほど、ぶっとばして解放して欲しい奴らがいるんだ」


「・・・ふむ」

エノーラは、やや納得したように呟いていた。

けれど、真面目な目をしてテーブルを見つめていた青年は、なぜかその時、この願いを叶えてはいけないような気になっていたのである。

しかしーー


「分かった。お主の願いは叶えてやろう。・・・だが忘れるなよ? 憎しみを生きる力に変えるのではなく、それを元凶に返そうとしたとき、お主は自分の未来を一つ失うのだ」

彼女が言った言葉に、クルトはふたたび薄い酷薄な笑みを浮かべていた。






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