長身先輩(♂)と低身長後輩(♀)の胎内回帰ごっこ
「頼む! 俺のママになってくれ!」
文学部の狭い部室で先輩の声が響いた。
放課後、窓の外からは陸上部の掛け声が聞こえてくる。
私は読んでいた本から目をあげ、先輩の姿を見た。
自分より、頭ひとつ分くらい背の高い男の子。
それがピシッと腰を折り曲げて頭を下げ、
座っている私につむじを向けている。
「いつもいつも変なお願いをしてくる先輩ですが」
私はメガネの位置を指で直しながら言った。
「今日はとびっきりの変なお願いですね。この前の『靴下を脱いだ素足のスケッチをさせてくれ』や『お馬さんになるから背中に乗ってカウガールになってくれ』を軽々と乗り越えてキモイお願いランキングワースト1位更新ですよ。先輩のキモさは1日ごとに成長していってるんですか?」
「えへへ……」
「ほめてません」
先輩は顔をあげて、私の目を見た。
真剣な目をしていた。
そんな目をして『ママになって』と言われても困る。
「頼むー! これはただのおふざけじゃなくて、ちゃんとした理由があるんだ!」
「理由?」
先輩はその理由とやらを語り始めた。
「俺と彩ちゃんは最近付き合いはじめたわけだが、なんか、周りからは『恋人同士』というより、『兄と妹』って感じで見られてるだろ?」
「むっ……」
否定したいところだが、実際心当たりがある。
背の高い先輩と背の低い私が並ぶと、一歳しか違わないのに大人と小学生が並んでるように見えてしまう。
先輩が世話焼きというか、妙におせっかい焼きな性格なのもあいまって、恋人同士というより兄妹、いや、最悪親子に見えてしまうかも……
「……先輩も、私と並んでお兄ちゃんみたいに見られるのっていやですか?」
「おふっ……」
何故か先輩が前屈みになった。
「先輩? どうしたんですか?」
「い、いや……突然女の子に呼ばれたい呼び名ランキング第二位が飛び出してきたものだからつい……」
何を言ってるんだろうこの人。
「ご、ゴホン! と、とにかく! 別に俺は彩ちゃんからお兄ちゃんと呼ばれて慕われるのもやぶさかではない!」
先輩は拳を握りしめながら熱弁を続けた。
「しかし! お兄ちゃんと呼ばれるのが好きだからといって、恋人同士の関係を捨てたいと思っているわけじゃない! もっと普通にいちゃいちゃしたい! 先輩とか後輩とか、兄とか妹とかの関係を超えて互いに愛し合いたい!」
聞いているうちに、顔が熱くなってくるのを感じた。
「せ、先輩! もういいですから、結局何が言いたいんですか?」
「つまりだな……普段の関係をおもいきり逆転させてやれば、バランスがとれて、気兼ねなく対等な恋人としてイチャイチャできるんじゃないかと思うんだよーッ!」
「それで、ママになってくれと……」
「その通り!」
うーん……。私は腕を組んで考えた。先輩の言うことはアホ丸出しだけど、全く分からないということもない。
確かに最近は私も、まわりから恋人同士扱いされていないことにイライラして、必要以上に先輩につっかかっていくことが増えていた気がする。
先輩に世話を焼かれるだけじゃない、対等な関係なんだと言いたくて、先輩のおせっかいを邪見にしすぎたこともある。
先輩に世話を焼かれるだけでなく、先輩に頼られたいという思いもある。
「でも……」
『ママになってくれ』か……
うーん……。
さすがにそれはないな、と思い、断ろうとしたとき、まるで私が迷うタイミングを待っていたかのように先輩が口を開いた。
「頼むーッ! 今度ダークソウル無印のリマスター版買ってやるからーッ!」
私の脳に電流が走った。ダークソウル無印といえば、その凶悪な難易度と独特のオンラインプレイでマニアを中心に人気を博したダークファンタジーアクションRPG。 そのシリーズ一作目が、今度次世代機でリマスターされるという話がこの前出たばかりだったのだ。
「くっ……ダークソウルの名を出されてはしかたないですね……わかりました。私が先輩のママになってあげます」
「やったー!」
先輩は両手をあげて喜んだ。子供みたいだ。
「で、そうは言っても『ママになる』って具体的に何をすればいいんですか?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれた。やりながら説明するから、まずは体操服に着替えてくれるかな?」
「は? 体操服?」
◆
数分後、私は体操服を着て先輩の前に立っていた。
先輩は地面に膝をついている。
ちょうど先輩の頭が私のお腹くらいの位置にある。
「よし……それじゃあ体操服のすそを持ち上げてくれ」
「あの……先輩……そろそろ何をするか教えてほしいんですけど……まさかエッチなことするつもりじゃないですよね? それに体操服に着替えた意味もわかんないですけど」
「体操服に着替えないと服が伸びちゃうからしょうがないだろう」
「意味がわかんないです。っていうかエッチなことをするつもりなのかって質問に答えてないんですけど」
「……エッチかどうかは、見方による」
先輩は目をそらしながら答えた。
「……やっぱエッチなことするつもりなんじゃないですか」
「い、いや、本当にエッチなことをするつもりはない。おっぱいも触らないし、お尻にも触れない。パンツも見ない たのむ! 信じてくれ」
私はため息をついた。
「はぁ……しょうがないですね……。分かりましたよ。先輩を信じます。……先輩なら、別にちょっとくらいエッチなことされてもいいですし……」
「ん? 最後なんて言った? よく聞こえなかった」
「べーつにー」
私は顔をぷいっと背けて、体操服をめくった。
私のおへそが、先輩の目の前に露出された形になる。
……やばい。なんだか今更恥ずかしい。というか太ったりしてないよね? 最近あんまり運動してないから肉がついてるかも……。
「おぉ……これが、ママのおへそ……」
先輩は私のお腹を見て感嘆するようにつぶやいた。
「そ、それで……これからどうするんですか?」
「あ、あぁそうだな。説明しておこう。俺が今から、彩のお腹の中に頭を突っ込んで、赤ん坊になる」
「は?」
は? 思わず声が出た。
ママって妊婦かよ。
「や、やっぱりダメ……かな……そうだよな、さすがにキモすぎるというのは自分でも分かってる……」
と言いながら、私のお腹の辺りで、上目遣いで見上げてくる先輩。
「はぁ……分かりましたよ。別に、エッチなことしないんだったら、いいですよ」
「わーい、ありがとう! じゃ、じゃあ彩ちゃん……逆出産るよ……」
「んっ……」
先輩が私の体操服の内側に潜り込み始めた。
髪の毛がお腹にあたってくすぐったかった。
「おじゃまします」
「い、いらっしゃい」
なぜ挨拶をする必要があるのか分からなかったが、思わず返してしまった。
「はふぅ……ママの胎内、あったかいなりぃ……ばぶぅ……」
先輩はすでに赤ん坊ロールプレイを始めていた。
私の腰に手を回して、お腹に抱き着くような体勢になり、ばぶばぶ言ってる。
正直もうちょっと猶予が欲しかった。テンションを先輩に合わせる猶予が。
というか胎児のくせにしゃべってるんじゃねえよ。
「はぁ……で、センパイ、私はこのままじっとしてればいいんですか?」
「やだっ! ぼくがおっきく、成長できるようにはげましたり、いつくしんだりしてほしい……」
「えぇ……」
ちょっと迷った結果、とりあえず体操服の上から頭をなでなですることにした。
「ばぶぅ……ママのおてて、あったかい……」
どうやらパーフェクトコミュニケーションだったようだ。
それにしても、こうしてふくらんお腹をなでていると、なんだか本当に妊婦になったような気持ちになってくる。
……いかん。客観的にみたらこれメチャクチャ恥ずかしいぞ。エッチなことはしないと言っていたが、むしろエッチなことより恥ずかしいんじゃないかこれ。
はやくテンションを先輩に同調させなくては。シラフだと逆にキツイものがある。私は本格的に妊婦ロールプレイをはじめる決意をした。
「よ、よーしよし……お腹の中ですくすく育つんですよ~」
「ばぶぅーっ! ばぁぶぅーっ!」(歓喜)
「あはっ、お腹の中で動いた。わんぱくな赤ちゃんですね~」
「キャッキャッ! ばぁぶ、ばぁぶ!」(大歓喜)
「しっかり大きくなって、パパとママに元気な姿見せてくださいね~」
「ばぶぅーっ!」(憤怒)
先輩が怒りながら突然私のおへそを舌で舐めた。
おかげで「んひゃあっ!?」と変な声が出た。
「な、何するんですか先輩!」
「ママ、僕が胎内の中にいるのに他の男のお話しちゃやっ!」
「えぇ……もう、ワガママな子ですね……」
とりあえず、おへそを舐められた仕返しに服の上から側頭部にデコピンを放っておいた。
「い、いたっ! ママ痛い! DV反対!」
「ママのおへそを急に舐めたりするからです。胎教ですよ胎教。心配しなくても私は先輩以外の男の人を好きになったりしませんよ」
そういってナデナデしてあげると、センパイは落ち着いた。
「うぅ……ママ、ママしゅきっ、ママしゅきぃ……」
「はいはい。私も好きですよ~」
そこで、思わずはっとした。なんか私、さっきから、普通に好き好き言ってないか?
普段は恥ずかしくて、素直に好意を口にすることもほとんどないのに、今は自然と声に出していた。
今更ながら胸がドキドキしてきた。
多分、こんなヘンテコなシチュエーションだから、気を張るのもバカバカしくなって、自然と、言えてしまうのだろう。
「ばぶぅ……まま……しゅきぃ……」
「は、はい……私も好きです……先輩」
そのまま、色々とお話したり、頭をなでなでしたりしながら時間が過ぎていった。気付いたら、最初に先輩が私の胎内に入ってから、30分が経過しようとしていた。
「先輩、そろそろ……」
「やだっ! ママから出産れるのやだ!」
先輩がぎゅーっと、抱きしめる力を強めた。
「先輩……」
「もっとママとくっついていたいもん! 頭なでなでしてもらいたいもん! もっと好き好き言ってほしいもん! ずっと一緒にいるもん!」
私は先輩の頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。先輩。出産れても、ずっと一緒ですから。私は先輩から離れたりしません。手が届かないから、しゃがんでもらわないといけないけど、出産れた後もちゃんと頭なでなでしてあげるし、す、好きって言葉も……たまになら言ってあげますから……ね?」
「ママ……」
「私、先輩の顔が恋しくなっちゃいました。お腹の中から出てきて、ちゃんと目を合わせてお話したいな?」
「ママぁ……わ、分かったよ……僕、僕出産れるよ! 僕が出産れるところ見てて!」
「うん、出産てらっしゃい」
「いってきます!」
そういって、先輩の頭が、私のお腹から抜けていく。
体操服の裾から出ていく。
さっきまで先輩の頭があったお腹の辺りが、なんだか少し、寂しく感じた。
そして、長い間お腹の中にいたせいで、真っ赤になった先輩の顔が、目の前に出てきた。
「あ、彩ちゃん! ただいま!」
「ん、お帰りなさい、先輩」
私は先輩の胸に抱き着いた。私のお腹の中にいたこの先輩はすっごく小さく感じたのに、今は私より大きくて、頼もしく感じる。
センパイが、胎児になりたいと思った気持ちも、分かる気がした。
「あ、彩ちゃん、その! さっき、出産れる前にいった、あの、約束……」
「んっ……あぁ……はい、そうですね」
私は、先輩の胸の中に顔をうずめた。赤面した顔を見られたら恥ずかしいから。
「好きです、先輩」
ママみたいに、とはいかないけど、ちょっとだけ素直に言えたような気がする。
「あ、彩ちゃんんんんーッ!」
先輩は大興奮で私をぎゅっと抱きしめた。先輩に全身を包まれるような感覚。安心感で心が満たされる。まるで、母親のお腹の中にいるような……
「……あ、あの、先輩」
「何? 彩ちゃん……」
「約束では、ダークソウル買ってもらうことになっていたけど……あのおねがい、変えてもいいですか?」
「えっ、いいけど、何に?」
私はより深く、顔をうずめた。多分、耳まで真っ赤になってバレちゃってるだろうけど。
「わ、私のママになってくれませんか?」
声がなくても先輩が驚くのが、身体の動きを通して感じられた。
一瞬の沈黙の後、先輩が答えた。
「い、いらっしゃい」
次の日、学校で先輩とあったときに、二人とも間違えて相手のことを『ママ』と呼んでしまい、周りの人から笑われるというとても恥ずかしい体験をすることになるのだが……それはまた、別のお話……
胎内回帰ごっこ流行れ