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桃色の腕時計  作者: 俣臣界人
第1章
9/14

-07-

——18時21分。


 私たちは知っている。


 あと1時間もしないうちにあの事故が起こることを、私たちは知っている。


 あの交差点をあの親子が渡ることを、知っている。


 あの親子にあのタクシーが衝突することを、知っている。




 事故現場には()()()()()私たちが必ず現れる。鉢合わせを避けるために、私はあらかじめ手を打っておいた。

 私が部活動で汗を流している間に無人の部室に忍び込み、私のスマートフォンを隠しておいたのだ。

 部室は施錠してあるけれど、入口のすぐ横にある格子付きの窓の鍵は開いていて、窓枠の下の死角に鍵が置いてあるのは部員全員が知っている。防犯上あまり好ましくはないけれど、鍵の管理が面倒というのと、いつ部員が部室に戻っても鍵を開けることができるということで、女子陸上部だけの秘密にしていた。顧問の先生にバレたら絶対に怒られる。


 ()()()()()私は練習が終わったあと携帯電話がないことに気づき、部室中を探し回ることだろう。それで学校を出るのが遅れれば事故現場に私たちが居合わせることはない。よって私たちは、この時間の私たちと接触せずに済むというわけだ。

 ちなみに、発案者はミライである。




「いよいよだな。緊張してないか、カコ」


「うぅ……す、少しだけ」


 と言ってはみたものの、実際は体がこわばって震えが止まらない。これから猛スピードで突っ込んでくる車から親子を救出するのだ。平常心でいられるはずがない。


「本当にやるんだな? 今ならまだめることもできるし、止めたからって誰もお前を責めたりしないぞ。もちろん俺もだ」


「だ、大丈夫、やれる……!」


 言い出したのは私だし、その瞬間はもう目の前まで来ている。ここで逃げ出すわけにはいかない。


「了解。んじゃ、二手に分かれるぞ。俺は先にタクシーに乗り込んで、走り出さないようにする。うまくいけばそれで万事解決だが、念のためお前は交差点(ここ)で待機。車が走り出しちまった時のために親子を引き留めておく。一応メッセ飛ばすからよ。着信には気を使っといてくれ」


「……わかった」


 ここからは、私一人の役目。ミライは助けてくれない。やることははっきりしているし、それほど難しくないことも分かっている。


 でももしうまくいかなかったら? あの親子が轢かれてしまうところをもう一度見ることになる? 嫌だ。そんなの耐えられない。怖いよ。一人にしないでよ。そばにいてよ——


「ひゃっ!!」




 急に体が前に引っ張られた。倒れ込む前にミライの胸に受け止められ、身動きが取れなくなった。


「落ち着きな」


 耳のすぐ横からミライの声が聞こえる。ミライの腕の中で、優しく髪を撫でられる。

 動きが止まる、思考が止まる、時間が止まる——




「怖いのは当たり前だ。俺だって怖い」


 私を抱きかかえる手は震えていた。そうだ。走ったら事故を起こすと分かっていてその車に乗り込むのだ。表情に出さなくても、私よりずっとずっと怖いはずだ。


「でもお前がやるってんなら、俺はやる」




 あぁ、やっぱりミライはすごいな。強くて、優しくて、かっこいい。私にとっての、たった一人の、世界一のお兄ちゃんだ。


「……震え、止まったよ」


「よし、じゃまたあとでな」


 ヘルメットをかぶりバイクを唸らせ、ミライは通りを駆けて行った。





——19時08分。


 コンビニで雑誌を読むふりをして目の前の道路をずっと観察していた。

 そろそろあの親子がやってくる。話のタネは十分に用意してきた。大丈夫。絶対にうまくいく!






 ……来た!


 すかさず私もコンビニを出る。信号は赤。すぐに渡りだすことはない。両手で頬を軽くほぐすと、早速親子にアプローチをかけた。


「やあおじょーちゃん、こんばんは! お母さんもどうも~」


「こんばんはー!」


「こ、こんばんは……?」


 子どもには好印象。しかし母親は少し警戒しているようだ。だが引き下がるわけにはいかない。


「あ、これ。そこのコンビニのくじで当たったお菓子なんだけど、よかったらどーぞ」


 立ち読みのふりをする前に()()()()()()子供向けの飴である。


「わー! ありがとう、おねえさん!」


「どういたしましてー。お子さん可愛いですね。一緒にお買い物ですか?」


「ええ、まあ……」


 母親は完全に私を怪しんでいる。突然我が子に声をかけてきて、お菓子を渡してくる見知らぬ女子高生。やはり異常だろうか。

 怯むな私。前進あるのみだ……!


「あっ! 夕飯の材料ですか! いいですね。私もお母さんの手料理は大好きで——」


「あ、あの、お菓子ありがとうございました。失礼します」


 母親は女の子の手を引いて歩き出してしまった。いつの間にか信号も青に変わっている。


 ポケットのスマートフォンが震えた。引っ張りだしてみてみるとミライからのメッセージが一つ。




 『走り出した引き留めろ』




「ええ!? ダメだったの!? どうしよ……」


 まずい。このままでは未来は変わらない。あの事故が起きてしまう。何か手を打たなければ……!


 すでに親子は中央分離帯にさしかかろうとしている。向こう側の車線に入ってしまえばもう取り返しがつかない。


 考えろ。考えろ考えろ考えろ——!




「よしッ!!」


 ひらめくと同時に私は走り出した。親子の横まで来ると、女の子に声をかける。


「ねえおじょーちゃん、おねえさんと向こうまでかけっこしよう! よーいドン!」


 引き留めるのが無理なら——




 タクシーが来る前に渡りきる!!!!!




 活発な子はよーいドンと言われれば走り出すとミライが言っていたとおり、女の子は母親の手を放して私のあとを追いかけてきた。


「ちょっと! 危ないから走っちゃ——」


「お母さんはそこにいて!!!」


 もうなりふり構っていられない。私の叫びを聞いて母親は驚いた様子でその場で固まった。


 よし、私は渡りきった。あとは女の子が渡りきれば——


「あッ!!!」


 足がもつれたのか、女の子が転んでしまった。横断歩道上、車線のド真ん中。まずい! このままではタクシーが!!




 ビイイイイィィ————!!

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