-05-
過去にタイムリープしてきた私たちは、もちろん自宅に帰るわけにはいかない。この時代にはこの時代の私たちがいるのだから、できれば会わずに済ませたい。私たち自身ならまだ受け入れられるかもしれないけれど、その場を友人やご近所さんに見られでもしたら大問題だ。
そんなわけで、知人と会う可能性が低いであろう隣町まで来たのだけれど、夜遅くに入れる店もそう多くない。
「お兄ちゃん、どうする?」
「そうだな。居酒屋なら結構多いし、夜遅くまでやってるから入り込めるかもしれんが、酒も飲まずに深夜までいるのも変だからな」
「お兄ちゃん飲める歳じゃん。飲めば?」
「誰がバイク運転すんだよ」
小粋なジョークのつもりだったけれど、はずれたみたいだ。改めて考えると何の捻りもないし、面白くもなんともない。明日の世間話が少し不安になってきた。
「それに、どんだけ遅い店でもせいぜい2時くらいまでだろ。そっから先は別のトコ行かなきゃならねえ。都市部の真ん中で堂々と野宿するわけにもいかんだろうし」
「私は野宿でも全然いいよー。公園でもどこでも」
「ダメだ。隣町はあんまり治安が良くない。昼間は人の目も多いから何も起きないが、夜はそういうわけにはいかん。野宿なんてしてたら寝てる間に金目のモン盗られるぞ。警察も巡回を強化してるって話だ」
「えっ……そんなに怖いとこなの、ここ」
「今は窃盗くらいで済むけどな。聞いた話じゃ、昔は人が襲われたりさらわれたりなんて当たり前だったらしいぞ」
知らなかった。私の学校はこことは反対方面だからあまり話は聞かなかったけれど、うちの近くにそんな物騒な場所があったなんて。ここ本当に日本なのかな。
「じゃ、じゃあどうするの? 徹夜で歩き回る?」
「深夜に制服の女の子連れまわすと俺が不審者になるだろ」
「なら、物陰に隠れて替わりばんこで寝るとか……?」
「野宿前提で話を進めるな。この町はホテルが多いことでも有名なんだよ」
へえ~、ミライって物知り~。
じゃなくて!!!!!!!!!
「じゃあホテルでいいじゃない! 何を悩む必要があったの!?」
「いや、だってホテルって高くつくしよ、それに——」
「盗られて無一文になるより全然いいじゃん! 早く行こ! 冷えてきたし」
「お、おう、わかった。なんかやけにノリノリだなおい」
うっかり過去に跳んでしまったけれど、おかげでミライとホテルに泊まることができる。なんという幸運。
私が部活を始めたというのも理由のひとつではあるのかもしれないけれど、両親が行方をくらましてから旅行にはすっかり行かなくなった。もともと頻繁に行っていたわけではないけれど、ミライは『旅』という言葉を使うことに抵抗があるように思える。私に気を遣ってくれているのだろうけれど、一度くらいミライと2人で旅行に行ってみたいと思っていた。
隣町では旅行とは言えないかもしれないけれど、外泊というだけでも胸が高鳴る。
——22時21分。
ミライのバイクで夜の町を駆けること十数分。私たちは目的の場所へたどり着いた。
着いたのだけれど……
「お兄ちゃん、ここさ……」
「おう」
「…………"ピンクのホテル"だよね?」
「そうだが?」
通り一帯はネオンランプの看板で薄暗い桃色に染まり、男女の二人組や酔っ払いが行ったり来たりしている。なるほど有名になるわけだ。
「最低ッ!!」
「俺の忠告を聞く前に行こうって言ったのはお前だかんな」
「ちゃんと言ってくれれば別の方法考えた!!」
「もうここ以外に選択肢ねえのにうだうだ迷ってたら、部屋埋まっちまうだろうが」
「確信犯!? 確信犯なのね!?」
何を考えているんだこの兄貴は!!!!!!!!
とはいえ、ミライの言うことも一理ある。それに、プライバシーの保護がしっかりしているこのホテルなら人との接触を避けて泊まるにはうってつけだ。
……やっぱり恥ずかしい。
でも恥ずかしいのはミライもきっと同じはず。表情ひとつ変わっていないけれど、彼だって相当な覚悟を決めてここに来たはずだ。私のせいで彼のプライドを傷つけるわけにはいかない。私も覚悟を決めなくては……!!
「ねえ、お、お兄ちゃん」
「ん?」
「…………ドラッグストア、寄っていい?」
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「……いや、そんな覚悟決めなくても妹には手ぇ出さねえよ」
「マスク買うの!!! 顔隠すために!!!!!」
大した覚悟などしていなかった。
私は制服を着ていて身元が割れやすいというのに、デリカシーの欠片もないバカ兄貴だった。
「こんな時間にドラッグストアが開いてるわけねーだろ。ほら行くぞー」
「じゃ、じゃあせめてコンビニ……ってもう! 置いてかないで~!!」
兄のあとを追いかけていかにもな雰囲気のホテルに駆け込む妹。なんて惨めなのだろう。
部屋の鍵を受け取ってからエレベーターで上へ昇り、部屋に入るまで誰かに見られないか不安で仕方がなかった。そんな私を見てミライは呆れた様子だったけれど、私には気にする余裕などなかった。
部屋の灯りを点けると、中は割と広いうえに窓から見える夜景がとても綺麗だったけれど、精神的に疲れ切った私はそれをゆっくり眺めることもなくベッドに倒れこむ。
「ぬあああ、ひどい一日だった」
「動揺し過ぎだお前は。ここだって、休憩に使ったりパーティのために借りることもできるんだぞ」
「知らないよそんなの……」
「明日は早めにここを出るぞ。料金が意外と高かったし、長居するとそれだけ金かかるみたいだからな。さっさとシャワー浴びてこい」
「えっ!? 入るの、これ!?」
「年頃の女の子じゃなかったのかよ」
「だって壁!! ガラスじゃんスケスケじゃん部屋から丸見えじゃん! どうやって入るの!?」
「しゃあねぇな……じゃあ俺が先に入って曇らせといてやるよ」
「そういう問題じゃない!!」
からかっているんだか素なんだか……
どちらにせよここを出るまで私は穏やかではいられそうにない。
——0時48分。
あれこれ言い争いながらもなんとか入浴を終えた私たち兄妹は、あらかじめ用意されていたバスローブに身を包み、ベッドの中に入っていた。
衣服が床に散乱していたらそれこそイケナイ雰囲気になっていたかもしれないけれど、元々着ていた制服は綺麗にたたんで枕元に置いている。たたんだのはミライだけれど。
ミライが床で寝ると言い出したときはさすがに焦った。私があまりにも恥ずかしがるものだから気を遣ったのかもしれない。意識しすぎるのも申し訳ないと反省した。
そうよ私。だって兄妹なんだもの。家族なんだもの。同じ布団で寝るくらいいいじゃない。ベッドも同じよ同じ!
とは言ってもやはり落ち着かない。心臓が大人しくなってくれない。気を紛らわせるために何度も寝がえりを繰り返すけれど、頭は冴えわたり目を閉じるのも苦しい。
「ゴロゴロするな。明日は早いって言ったろ。寝ろ」
「だって……眠れないよ……」
「それは俺のせいか?」
「……違うもん」
別にミライがいるから眠れないわけではない。場所のせいだ。こんなところで普通に眠れる兄がおかしい。
「ねえ、ちょっとだけ話し相手になってよ」
「寝ろって言ってるだろ」
「おねがい~! ちょっとだけ~!」
まるで小さい子どものようにシーツの中で手足をバタつかせてみる。ミライは小さくため息をつくと私の方に向きなおり、肘をついて自分の頭を支えた。何も言わないけれど、承諾してくれたようだ。
少しだけ、私には関係ないことだけれど、ほんの少しだけ気になったことを聞いてみる。
「お兄ちゃんさ、その……よく来るの? こういうとこ」
「お前、よく聞けるなそんなこと」
…………しまった。
しまったああああああああああああ!!!!!!
ミライにだって知られたくないことの一つや二つあるよね! 秘密くらいあって当然だよね!
ああ、私のバカ。なんでそんなこと聞いちゃったの……
はあ……
相手、誰なんだろう。いい人かな。
なんだかミライを盗られた気分。
「来ねぇよ。そんな相手もいねぇ」
「え?」
「恋バナでもするつもりだったなら話の始め方が下手だな。それに、俺にはそんな浮いた話はない。残念だったな」
暗くてミライの顔はよく見えないけれど、優しく微笑んでいるのが口調で分かる。私の失態をさりげなくフォローしてくれたのだろうか。ときどき見せるこの優しさ、ずるいと思う。
このままミライのペースで話が進むのはなんだか負けた気がする。
「ちぇ~、つまんないの~。お兄ちゃんモテるのかと思ってたのに。もう何人もの女の人連れてこういうとこ来たりしてさ~」
「思ってもないこと言うな」
「モテそうっていうのは本当よ?」
「はいはいサンキュ。でも俺は簡単には考えられないんだよ、そういうの」
「ふ~ん。なんで?」
「慎重なんだよ俺は。ヘタすると自分の勝手な都合で相手の人生を台無しにしかねないからな。その場の勢いとかでこんなとこに来てみろ。取り返しのつかないことになる」
「ちょっと考えれば分かるのにね」
「ああ。でも目の前のことばっかで、後先考えないヤツも多いんだ。だから、親だってのに逃げ出すヤツや授かった子どもを産むことなく堕ろすヤツも増えてるらしい。自分勝手な話だよな。その子は何も悪くないってのに」
いつものミライではない気がした。
なぜかは分からない。分からないけれど、
すごく、つらそうに話している気がした。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
「もういいだろ、寝るぞ」
そういうとミライは寝返りをうち私に背を向けた。
ミライはどんな気持ちで今の話をしてくれたのだろう。思い当たる節があるかのような話し方。でもそんな相手はいないと言っていたし。知り合いにそういう人がいたのかな。
私にはよく分からないけれど、なんだかすごく、心に刻まれるような気がした。
寂しそうなミライの背中、つらそうなミライの背中にそっと寄り添う。私の頭をこつりと当てて、聞こえない程度に声をかける。
「おやすみ」
いつもとは違うあたたかさを感じながら、私もゆっくりと瞼を閉じた——