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——17時06分。
公園に立っていた時計から時刻は分かった。
「あの交差点を通りかかるのは、確か部活が終わって学校を出てから5分くらい経った頃だから……2時間後くらい?」
「そうだな。それまでどっかで作戦会議といこうか。ああそれと、腕時計の時刻合わせとけよ」
タイムリープしたときの決まり。私が跳んだ先の時間を管理して、ミライが元々私たちがいた時間を管理する。つまり、私の腕時計を今私たちがいる過去の時刻に合わせるのだ。そして全てが済んだ後、ミライの腕時計が指す日時に帰るのである。
帰るときはミライの力を使うことになるから、ミライが元の時間を管理することにしている。未来に跳んだときは役割は逆になるのだろう。とは言っても、未だかつて未来にタイムリープしたことはないのだけれど。
私は左手首に付けた桃色の腕時計をちょちょいといじってここの時刻に合わせた。
タイムリープ先では極力知人との接触は避けたいところだ。元の時間に帰った後で何らかの問題が生じる可能性がある。もちろん私たち自身との接触も、自分のことだからさほど大きな影響はないだろうけれど、しないようにしている。いきなり未来の自分が訪ねてきたら驚くし。
そんなわけで、普段はあまり行かない隣町の喫茶店にまでバイクを走らせた。
ミライはブレンドコーヒーをブラックで、私はアイスココアを注文し、それらを持って奥の空いている席に着いた。
ミライと向かい合って喫茶店の席に座るなんて、なんだかデートみたいと思うと少し笑いそうになった。
「なあ、カコ」
「んん〜? なぁに?」
ストローを咥えたままミライの方を見やると、彼は真面目な顔でじっと私の目を見つめていた。
ミライはテーブルに手をつき、体を前に乗り出してきた。ミライの顔が私に近づいてくる。ゆっくりと、しかし確実に、テーブル越しの私との距離を縮めてくる。
「えっ……? ど、どうしたの急に……」
「ほら、もう少しこっち来い」
そう言うとミライは私の肩に手をかけ、私はグイッと体を引き寄せられてしまった。口からストローが離れ、持っていたグラスがテーブルについてガタンと音をたてる。
なになになになに!? やだやだ待ってどういうこと!?
心臓が飛び跳ねるように暴れている。今にも胸から飛び出しそうだ。
「ちょっ……! 何する気なの!? ダメだよ、こんなところで……」
「分かってる。でも大事なことだ」
ミライの顔が、ミライの唇が近づいてくる。家でもそんなことしないのになぜ!? 待って待ってまだ心の準備が……!!
「日付まで跳んだだろ、お前」
……
…………
………………へ?
「この店のカウンターに日替わりカレンダーあったの気づいたか? あれ、昨日だぞ」
「……それだけ?」
「は? 他にも聞きたいことあるか?」
……
…………
もう!
もうもうもうもう!!
もう——!!!!!!!!!!!!!
「お兄ちゃんのバカッ!! 最ッ低!!」
「はあ!? なんでそこまで言われなきゃいけねんだ!?」
「知らない! 自分で考えてよ!!」
「なにをそんなに怒ってんだよ……顔まで真っ赤にして……」
「ッ——!! 言うなぁー!!」
顔から火が出るとはまさにこのことだろう。他の客たちもチラチラこちらを見ているし、穴があったら入りたい気分。
いろいろ言ってしまったけれど、実際ミライは何も悪くない。時間を跳んだなんて話を周りの人に聞かれるわけにはいかないのだから、距離を縮めて小声で話すのは当然だ。それなのに私ときたら、何を変に緊張してしまったのか。バカみたい。
「……お、落ち着いたか?」
ミライが恐る恐る声をかけてきた。
「……うん、大丈夫。なんかごめん」
まずい。ミライの顔を直視できない。顔が熱い。とりあえず腕時計の日付を1日戻す作業に没頭する。
「えっと、なんかあんまり機嫌直ってないみたいだが?」
「いいから話続けてよ」
もうヤダ。向かい合ってるだけで恥ずかしい。私のバカ。
「つまり、今日は時間まで待っててもあの事故は起こらない。起こるのは明日だ。ならひとまずここで細かく計画立てて、万全の体制を整えておこうって話だよ」
「……うん、そうだね」
真面目な話になったし、気持ちもだいぶ落ち着いてきた。大丈夫。頑張れ私。
「万全の体制っていっても、あの親子が横断歩道を渡らないようにすればいいんでしょ? ちょっと声かけて時間稼ぎでもすれば解決するのに、そんなに綿密な計画立てなくてもいいんじゃない?」
「じゃあ聞くがよ? お前、助けるのはあの親子だけでいいのか?」
「……? 他にも助ける人がいるってこと?」
「やっぱり気づいてなかったか。ほら、タクシーの方だよ。『賃走』の表示があったから、たぶん乗客もいる」
「まあ確かに信号無視なんて危ないけど、あのさき車は少なかったし大丈夫なんじゃない?」
「違うぞカコ。タクシードライバーは仕事で運転してんだ。いくら客に急かされたとしても、信号無視までするとは考えにくい」
「んん、言われてみればそうかも」
「あのタクシー、訳あって運転が困難になったんじゃねえかと俺は睨んでる。エンジントラブルか何かじゃねえかってな。まあ、あくまでも予想だから見当違いかもしれんが……もしそうだとしたら、あのまま走り続ければいずれどこかに追突しかねない」
すごい。
あんな恐ろしい光景を目の前にしていたというのに、なんという観察力と冷静さ、優しさなのだろう。そして何より、反対していたというのに助けると決めたら徹底的にやる意志の強さ——
「…………カッコいい」
「ん? なんだ?」
「なんでもないー! じゃあ、その両方を助けるためにはどうするの?」
ミライの考えた救出案はこうだ。
親子の方は私が引き受ける。世間話でもなんでもして、どうにか横断歩道を渡らないように仕向ける、あるいは渡るのを遅らせる。
タクシーの方はミライの担当。乗るはずだった乗客よりも早く乗り込んで、走り出さぬよう時間を稼ぐのだ。
社会人であるミライにとっては、タクシー運転手と長話するくらいお安い御用かもしれないけれど、私の方は不安だ。あの親子からすれば、顔も知らない女子校生が突然話しかけてくるわけだから、怪しまれても仕方がない。そんな状態で世間話をする自信などできるのだろうか。かといってタクシーの方なら上手くやれるかと言われればそうではないけれど。
その旨を伝えると、ミライはいろんな話題を提供してくれた。子どもはこんな話が好きだ、母親にはこんな話をすると良いなど、たくさんの話をしてくれた。
母親、か。
私たちの両親はもう3年も前に——
「聞いてるかー? カコ?」
「えっ! ああ、ごめん。ぼーっとしちゃって」
「ったくよぉ。何考えてたんだ?」
「うん……あの親子の話してたら、お父さんとお母さんのこと思い出しちゃって」
私の両親。私たちの両親。
2人はミライの就職が決まったあと、彼の高校卒業を待たずして私たちの元を去った。
家を出ていったわけではない。死んだことになっているのだ。
両親はある日、2人で旅行に出かけた。商店街の福引きでたまたま豪華客船での太平洋横断旅行ペアチケットが当たったのだ。
いつも自分のことを後回しにして私たち兄妹の面倒ばかりみてきた両親に少しでも羽を伸ばしてもらおうと思い、私たちは2人に行くように促した。
そして、2人は帰ってこなかった。突然の嵐で船が遭難し、行方不明となったのだ。
後日その船は海底で見つかった。多くの人の命が奪われたその事故は連日ニュースで取り上げられ、それを観るたびに私はミライの胸で涙を流していた。
けれど不思議なことに両親の遺体はあがってこなかった。発見まで時間がかかった人も多いけれど、遺体の確認ができていないのは、今となっては私たちの両親だけだ。
だから私は心の奥底では信じている。たとえ帰ってこないとしても——
「……生きてるよね」
「ああ、きっとな」
ミライはそっと呟いた。そのあと「平和で静かな南の島で2人のんびりやってんじゃねぇの? いいなぁ〜」と冗談を言って和ませてくれた。ふざけているようで、本当に優しい兄だ。
「あのー、お客様」
喫茶店の店員さんが近寄ってきた。
「そろそろ閉店となりますので……」
ふと腕時計に目をやると、21時55分になっていた。
「うわっ! お兄ちゃんもう十時!」
「マジかッ! 失礼しました! ご馳走様です!」
急いで喫茶店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
「……泊まるとこ、探さないとな」