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海へ行きませんか

作者: 一条 灯夜

「海へ行きませんか」

 と、お姉さんが言った。

 それは、繋がらなかった連休の、たった一日の登校日を終えた午後の事で……、それまでの夏日が嘘だったように冷えた雨の日の事だった。

 昔から、好きなんだって言っていた、大人しい雰囲気のお姉さんには似合わない無骨なジャケットを着て、町で擦れ違う女子高生とはまるで違うロングのスカートを穿いていた。

 目は二重で大きいのに、肌の白さのせいか、どこか儚げな印象を与える表情。

 昔から変わらない。

 不思議な人だなって、ずっと、思ってた。

「変な時期の帰省だね」

 と、僕は答える。


 本家、というと一昔……いや、二昔ぐらい前は強い権勢を誇るものだったのかもしれないけど、核家族化が進んだ平成になると時々帰省する程度に変わり、そんな平成の時代が三十年近く経った今は、葬式とか、よっぽどなにか無い限りは顔を出さない場所へと変わっているらしい。

 井戸端会議の受け売りだけど。


 田舎の町には、本当になにも無い。

 レトロと言うには、もっと山の中の村に行かないと見つけられないし、中途半端な田舎の町には、ロマンもなにも無い。

 大学生で、休みが九日続くとはいえ、そんな短い時間に無理してくるような場所じゃないと思う。

 ……そもそも、高校生になった頃からお姉さんは、こっちに来なくなったんだし。今更――。


「うーん」

「なに?」

 唇に手を当てて考え込んだお姉さんに、訊き返すと――。

「連休は、あまり関係ないかな。ふと思い立って、来ちゃいました」

「そう……」

 本当に、唐突だと思った。

 思い立ったが吉日って人じゃないと思ってたし。

 お姉さんは――。

 ずっと昔、曾婆ちゃんの葬式で初めて会って……、制服を着たその姿が凄く大人っぽくて……、小学生の僕にも敬語を使ってきたから、粗暴な親戚の叔父さん叔母さんなんかと比べ、ずっと落ち着いた大人の人って感じで――だから、自然とお姉さん、って呼ぶようになっていた。

 それ以前も、お姉さんは本家であるところの僕の家に来ていたのかもしれないけど、物心ついて、はっきりと……恋心を自覚したのはその時で……。


「そういう時ってあるんですよ。……大人には」

 僕は、全く理解も同意も出来てはいなかったけど、流されるように頷いた。

「うん」


「海へ行きませんか」

 お姉さんがもう一度言うと、そういうことになった。


 思い起こせば、口調が丁寧な割に、強引なところもある人だったな、なんて。

 昔の僕は、そんなことにさえ気付けづにいた。自分の事って言うか、好きだなって思うと、それだけでいっぱいいっぱいで、向こうの都合なんて考えていなかったと思う。

『好きです』

 の、一言だけを書いた、生まれて初めての告白をメールで送ったのは、ようやく形態を買ってもらった中一の事で、お姉さんからの返事は……。



 一夜明けた朝。

 八時の電車で、下り線にお姉さんと一緒に乗った。忘れ物のあるはずもない。だって、持ち物は、なにもない。五駅先に海はあるけど、まだ泳げないし、灯台も風車も、なにもない、ただの海だもん。財布と携帯以外に要る物があるなら、逆に教えて欲しい。

 潮干狩りさえ出来ない、中途半端な、短い海岸線。

 まあ、時々はサーファーがいるらしいけど、波はそんなに良い場所じゃないらしい。

「一日も、時間を潰せるかな?」

 昼食を取るのさえ難儀しそうな場所だから、車窓から外を眺めるお姉さんに訊いてみる。

「うん?」

 全く分かっていなさそうな、ちょっと無邪気な表情だ。

「退屈じゃないかと思って」

 怒ったわけじゃないんだけど、声が少し強張ってしまった。

 お姉さんは、そんな僕を見て少し笑い――。

「私はそれが欲しいんですよ。あくせくしたくなくて、週末に逃げてきちゃったんですから」

 やっぱり、よく分からないことを告げた。


 高校生になり、中学の頃よりは多少は心の機微に聡くなったつもりでいた僕だったけど、僕が大人になるだけお姉さんも先に進んでしまい、その差は縮まらなかったらしい。

 ……いや、そもそも、クラスメイトの女子の気持ちも全く分からない――あっちは、難解と言うよりか、思考回路のチップが単に別物って感じだけど――んだし、然もありなんか。



 改札を抜け、そのまま真っ直ぐに五分歩く。

 目の前には……。

「わー」

 と、お姉さんは、わざとらしいはしゃいだ声を出した。

 だけど、どんな声を出しても、目の前の景色が変わるわけじゃない。

 雨は負らなそうな薄い雲、黒い海、独特の湿度のある磯風。

 海は海だけど、普通にイメージする南国の海とは違う景色がそこには広がっている。

「良いの? こんなので」

 防波堤に並んで座り、誰もいない海をただ眺めながら僕は不安に思って訊ねてみる。

「いいんですよ。ここだから」

 お姉さんは、微笑をたたえた表情のままで、本当に少し楽しそうに海から吹きつける風にセミロングの黒髪をなびかせていた。

 お姉さんが良いなら良いけど、と、僕は――背も他rになりそうなものは無いので、両手を衝いて、軽くのけぞるようにして空を見上げた。

 雲は薄そうだ。

 青空はどこにも覗いては居ないけど、暗いって空の色でもない。

 お姉さんの横顔を盗み見る。

 昔っから、怒ったり泣いたり、そんな激しい表情を見せることが無い人だったと思う。今日みたいに、ずっと、優しそうな笑みが口元にあった。

 特別なことじゃない、と、思う。

 思うんだけど……。



 今は昔、好きです、の、一言だけの告白メールの返信は……・『もう、会わない方が良いかもしれませんね』だった。

 そして、事実、お姉さんがこっちに帰省することはなくなり……告白から五年過ぎた昨日、唐突に帰省してきたかと思えば、そこには触れずに僕を海へと連れ出した。


 ふられた理由、訊いても平気なんだろうか?

 いや、もう、告白されたことさえも忘れられてしまっているのかも。


 す、と、神を掻き揚げたお姉さんが、横目で僕を見た。

 目が合う。

 思いの外、長い間お姉さんを見詰めていたみたいで、僕は慌てて視線を――。

「賭けをしたんだ」

 顔を背ける前に、そんなことを言われ、視線が外せなくなった。

「うん?」

「夢で会うその時まで、待ってみようって。ほら、寝ても覚めてもって言葉があるじゃないですか」

 寝ても覚めてもって言葉は、確かにあるけど、遠回り過ぎる表現は、なにを言いたいのか――伝えたいのか、全く分からなかった。

 お姉さんは、昔っからこうだ。

 もしかすると、僕を困らせるのが趣味なんじゃないかって思うくらい。

「もう、忘れちゃった? 好きですって、メールしたこと」

 さっきまで考えていたのと同じ事を口に出され、心臓が跳ねた。

 表情に、声に同様を出さないように、注意深く僕は答える。

「覚えてる」

「うん」

 ひとつ頷いたお姉さんは、そこで言葉を区切り――いや、それだけでなく、なにも無かったかのように再び視線を海の方へと向けたから、慌てて僕が追いかける破目になった。

「今更?」

「そうだよ。昔は――、単に、親戚の可愛い男の子だったんだもん。くれるって言われたら、もらっちゃうかもですけど……。恋愛感情なのか分からなかったんですよ」

「……今は、分かったの?」

 もしかしたら、と、思ってしまったから、声が震えた。

 ばれていないと……いや、気付かれたよな、きっと。


 お姉さんは、左手を衝き、状態を捻って顔の正面で僕を捉えた。

 深い色の瞳が真っ直ぐに向けられ――、口元が、クスリと綻んだ。

「それを聞き出すには、キミの築いた城塞を取り払わないと。好きな女の子の前で、そんな強張った顔をしていたら、上手くいくものもいかなくなっちゃう。決心も揺らいじゃうかも」


 息を飲む。

 これって、そういうこと、なんだよな。


「あの! 僕は、今も――」


 ずっと昔、顔を合わせるまで待ちきれずにメールで送ったのと同じ言葉を、僕は告げた。

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