今宵貴方を攫います
中学の頃みたいに、みんな仲良くを無理強いするような雰囲気は、高校では薄れていたように思う。だから、同じクラスでも全然喋らずに卒業する人の一人二人は居るだろうし、実際に俺にはそういう相手が居る。……いや、居た。
特に理由があったわけじゃないし、なにかされたってわけでもない。悪い噂があるって女子でもなかったんだけど、なんというか、なんか、馬が合わない……かどうかも分からないけど、でも、ともかく、切っ掛けは忘れたけど、なんとなく係わり合いにならないまま、三年の一月末を迎えた相手が居たんだ。
そう、過去形。
なぜなら……。
「登録出来てる?」
大きな目で除きこまれて、――そこに居るという認識は二年間していたものの、こうして会話するということではほぼ初対面なのに、柊のパーソナルスペースは狭い――、戸惑いつつ、でも、それを表情に出したらかっこ悪い気がして、いつものペースで俺は応えた。
「ああ」
にゃはは、と、柊が人懐っこく笑う。
「でも、まさか、ガラケーずっと使ってたなんてね。それじゃ、クラスのグループ連絡行かないわけだよ」
ずっと言われ続けている台詞に、腰に手を当てて、ちょっと嘆息してみせる。口はへの字にして抗議だ。
「関係ないだろ?」
俺の真似なのか、言いたかったことを先回りして言い、顔を洗う猫みたいに首を傾げた柊に、鷹揚に頷く。
「その通り」
にゃはは、と、柊は再び猫っぽく笑った。
腰より少し上の長い、染めていない黒髪。基本的にはストレートと呼べるんだけど、どこかちょっと癖がある独特の髪質。
真っ直ぐになりきれない、なんて、どこかコイツの性格みたいだな、なんて思った。
背は並で、中肉中背って言うか、ほんとうに女子の平均って感じの体型。目は大きいけど、そのぐらい。モテるのかは不明。
吐いた溜息は白く曇る。
センター試験の日から崩れている天気が、未だに回復しないせいだ。公園に拉致られた時は、まだ厚い雲を通して鈍い日差しがあったけど、もう辺りは夜の暗さになっている。まだ、五時を少し過ぎたぐらいだと思うのに。
積もったままで居る雪明りだけが、街灯がともる前のこの時間は唯一の明るさだった。
センター試験が終わって、更に一週間後、自由登校になってから教室の風景は一変した。なんとなく、週間で学校に来て勉強している俺達みたいなのも居るけど、基本的には、既に大学が決まっている連中が遊び半分で――本人達は、名残を惜しんでいる等と供述しているが――来ている方が、どちらかと言えば多かった。
まあ、それもそうか。
真昼間から遊び呆けていると、逆に世間から白い目を向けられたりするんだろうし、家に居ても暇とかそういうのなんだろうと思う。
もっとも、学校の方でもそんなテンションの差に配慮してか、一~二組の教室が自習室で、ちょこちょこ教師も顔を出し、五~六組の教室がお気楽組の部屋になっている。
俺は、部屋に篭っているのも気が滅入るし、それに、急に学校に行かなくて良いと言われても、戸惑いが大きかったので、なんとなく登校して、なんとなく国立二次にに備えている。
不安はあまり無い。
センターは予定通りだった。
滑り止めは二週間後だけど、ふたつ受ける大学の片方はセンターの点数だけで合否が出るので、今年になって急に受験生が殺到していない限り、まあ、大丈夫だろう。
余裕があるって状況ではないけど、悲観する要素も無い、そんな受験勉強を終え、なんとなく就業のチャイムにあわせて席を立って、学校打破しゃべる程度の友人に挨拶して外へ出た時――。
たまにあると思う。
ふと路地裏に目を向けたとき、猫と視線が合う時って。まさに、そんな感じで目が合ったのが、元同じクラスで、現お気楽組の柊だった。
でも、まあ、障害物として擦れ違うだけだろう、と、気を取り直し、一歩分左に避けた俺は――、そのままマフラーを捕まれ、裏門――とはいえ、漫画的に不良がたまる出入り口ではなく、単に徒歩の生徒は正門を使い、自転車通学の生徒が使うのが裏門というわけかただけど――を潜らされ、公園? と言えば、まあ、公園と言えるような、学校から徒歩五分の殺風景な空き地へと連行された。
……仲が悪くなるって言うのも、ある種のコミュニケーションが必要だったんだなって生まれて始めて思った瞬間だ。仲が良くも悪くも無いので、逆にどうして良いか分からずに、逃げる隙が見出せなかった。
公園に入る前、自販機の横で足を止めた柊は、ようやく俺のマフラーを離し……。
「紅茶で良いよね」
そもそも前提条件として、どうして一緒にいるのかが分からないが、今更感もあったし、別に帰宅を急ぐわけでもなかったので頷いた。
柊は、なにがロイヤルなのか分からないものの、まあ、普通に紅茶の缶ジュースといえばそれしか思い浮かばないという無難なチョイスで、ホットの紅茶をふたつ買って、片方を俺に渡した。
地域住民が余り利用しないのか、公園は雪で覆われていた。なので、三時四十五分で止まったままの時計に背を預けての会話になった。
「ほら、全然連絡取れなかったからさ」
と、挨拶も無く話し始めた柊。
うん? と、首を傾げて見せる俺。
「受験が終わったら遊ぼうにゃーとか、他のクラスメイトの合否状況とか、そういうの遣り取りしてるけど、キミがまったく会話に入ってこなかったしさ」
「会話?」
全く状況がつかめていない俺に、初めてちょっと困った顔をした柊。
「ほら、連絡網……」
そこでようやく、言わんとしていることが分かり――、俺はガラケーを印籠のようにかざして宣言した。
「携帯電話。分かるか? 電話なんだ。それ以外の機能は、メール程度で充分だ」
「ぶっ」
噴出した柊は、そのまま自然と表情を崩して、にゃはははは、と、笑い始め――。
「わぁかった。でも、連絡先、交換しようよ」
……中学の時の経験からなんだけど、卒業のテンションで連絡先を交換したとしても、そんなに仲良くない相手とは、基本それっきりになるものだと思う。なので、正直俺は乗り気じゃなかったんだけど……。
半ば強引に携帯を引っ手繰られて、柊のアドレスを勝手に登録されてしまった。
貰ってそのままだった紅茶を開け、手と頬を暖め、一気に半分を胃に収める。
「お茶会へようこそ」
「マッドティーパーティー――気違いのお茶会――、ねぇ」
まあ、確かに、そんな感じのキャラだとは思うが、しかし、三月の兎の行動原理を本当に理解しているのかは若干怪しい。まあ、セクハラとか言われたくないので説明してやらないけどさ。
「充分、可笑しいじゃない。ほぼ初対面の二人が、人気の無い公園で、銀世界の中心に立って紅茶を啜るなんて」
自覚はあるのか、と、再び嘆息して見せる俺。
柊は、演技過剰気味にくるくる回って見せてから、自分のスマホの画面を俺に向かって突き出してきた。
「ね」
「なんだ?」
「わたしと、連絡取りたい?」
「は?」
「アドレス交換したんだし、放置ってつまらないよね」
「ああ、まあ」
急に口数が増えた柊から缶紅茶へと視線を移す。なにか、変なものでも入ってるんじゃないだろうな?
「どうしたの?」
「酔ってるのか?」
「未成年じゃん」
ああ、まあ、そうなんだが、急に陽気になったから、なにか危ない状況なのかとかんぐってしまう。
「いい?」
「なにが?」
問い返すと、ちょっと胸を張った柊が、壁ドンの要領で――でも、背中の時計は鉄塔一本で立っているので、ほぼ右手は俺の肩を掴んでいるが――俺の左右を塞いだ。
「わたしと連絡を取れる手段は、ひとつしかないの」
ふむ、と、頷く。
「わたしと付き合うか、さもなくば、この場でアド消して絶交する」
「どんな脅迫だ!」
真剣な顔でそんな告白をするものだから、思わず破顔してしまった。
「緊張してるの! 分かってよ! いいの、もう、こういう手段しかないの。キミは、そのガラケーと同じでどこか感度がおかしいの。分かる?」
「分からない」
「分かっててよ」
噛み付きそうな柊を見て、もう一度、なぜか笑いがこみ上げてきてしまった。
「笑うな」
「いや、ごめん。でも――」
半目で柊を見る。柊は、今になって恥ずかしくなってきたのか、耳まで赤くなっていた。
「いやさ、俺も健全な男子なので、女子への興味はあるんだ。でも、そういう消去法じゃ嫌だろ?」
む~、と、唸る柊は――。
「でも、友達からって、基本、発展しないよ?」
成程、それもそうか。まあ、確かに、俺と柊の高校三年間は、単に居ると言う認識しかなかったが。
「そうか。……どうしよう?」
最初で是非にと答えなかったのは、失敗だったかもと、今更思い始めてしまった。上手い落とし所が見当たらない。
柊は――、多分、悪くないんだと思うけど、正直分からないんだよな。俺に惚れる物好きなんて、滅多に居ないだろうし、最初で最後のチャンスなのかもしれない。
ん――、でも、なぁ。
どうしよう。
「キミってさ」
うん?
「変な時、優柔不断だよね」
そうなんだろうか? いまひとつ自覚は無い。
「文化祭とかでもやるべきことはやるって感じで、男子のおちゃらけたのとは距離取ったりしてたしさ。誰かに流されたりしない、そういうとこがわたしは好きなんだけどにゃー」
カチッと音がして、公園の明かりが灯った。
冬の真っ白な世界。
少し離れた道の喧騒は聞こえてくるけど、この場所だけどこか取り残されたような、そんな雰囲気。
「あ、その」
恥ずかしい話だが、雰囲気に飲まれてか、上手く返事が出来なかった。
柊が、にやりと笑う。
「もう、ここまで連れ去られたんだから、諦めてこのままわたしに攫われてしまえ」