図書館国家の王女1
アリスが朝起きると、師匠が新たな相棒と旅立ってしまった後だった。
新たな相棒ーーアリスの魔力で創られた巨大なぬいぐるみは最新の魔道具も扱う武器屋でさえも驚かせた。能力としては中級魔法を難なく発動し、扱えぬ武器は一つとして存在しない。知能は人間で言うと10歳児程度で意思を言葉にすることはできないが、こちらが話すことは理解しているようだ。また、大きさを変えることができ自動的にある程度の欠損は修復される。ちなみにふわふわの毛は水洗いで簡単に汚れが落とせるというお手軽な手入れ方法。
これを手に入れたいと願う商人・研究者は山ほどいるだろう。現にそれを聞きつけたウィルの兄が、あの研究馬鹿が食事以外で研究室から出ようとしていたほどだ。
どんな意図があって旅立ったのかはよく分からない。師匠は確かに手紙を残していった。
『俺は......旅......たぶん。あと、......』
細い線、太い線が試し書きのようにうねっているようにしか見えない。アリスが読みとれたのはこの程度であった。
筆無精が努力して書いたのであろうということはアリスにも分かった。師匠と長くいたウィルならばこのメモ、もとい置き手紙から何か理解できたのだろうか? アリスはさり気なくウィルの顔を窺った。
「......うん」
口元に人差し指を当てて難しそうにしていると思ったらウィルは唐突に一つ頷いた。
「新しい武術の教師が必要だな」
元々、師匠からは戦い方しか教わらない予定だったから。と微笑んだ。
公爵家に長年仕えるメイド長には分かる。
ウィル様にも師匠様がぬいぐるみを連れて旅立った理由は理解できなかったのだと。
そして、理解するのを早々に諦めたのだと。
武術の教師についてはおいおい考えるとして歴史、政治、経済、礼儀作法などアリスが履修しなくてはならない科目は多くある。8年間も引きこもっていたのだ。早く遅れを取り戻し、王族としての業務をこなせるようにならなければ。
と、ウィルもルドも考えていた。
荷物をまとめて邸を出ていく教師陣を目にするまでは。
「私があの方に教えられることは何一つありません」
おかしなことに紹介時にはアリスに尊大な態度をとっていた教師陣が口を揃えてそう言うのだ。
「いったい何があったんだ?」
「アリス様は素晴らしく聡明でいらっしゃいますわ。とくに歴史など立国から現在の流れをまるで見てきたかのようにお話になられるのです」
アリスが何のことやら、と瞬きを繰り返すと公爵家の次女、ローズが朗らかな表情で称えた。
「それにしても何ですか、あの逃げ出していった方々は。アリス様に対するあの侮った態度。まるでなっておりません」
それは皆感じたことだった。王都から派遣された教師たちは何故かアリスに横柄な態度をとっていた。アリスが王子であることはまだ王都では知られておらず、生まれてから密かに育てられた名門貴族の子という設定が教師陣にはなされていたはずである。富豪の出であっても、貴族の逆鱗に触れれば平民と貴族というだけで一家取り潰しになることもある。学のある者たちがそれを考えられなかったのだろうか。
「あのぉ......」
一人残った教師?に視線が集まる。
「あら、あなたは?」
アリスの扱いがなっていないことに機嫌を悪くするローズが笑顔で尋ねる。
「ひぃ! あの......私、学園からの......その手伝いで、」
泣き出しそうである。
ウィルは王都から派遣された者の書類をめくる。
「アーロン=メヒュー、王立魔術学園2年......メヒュー子爵家の?」
「私、庶子で......でも魔力が高くて、それで子爵様が......あの......義母様が学園での生活費は、自分で、と......」
「声が小さい。はっきり言ってくれ」
「......っ! お金がほしいのです!」
その場にいる全員が目を見開いている。
一方、言ってしまった。と目の前の羊は真っ白になっている。
アーロン=メヒューの伝えたかったことを代弁しよう。
彼はメヒュー子爵家分家の男と雇われメイドとの間に生まれた庶子で、5歳までは母方の村で父なし子として育てられた。5歳で魔法の適性が発覚し、子爵家に半ば強引に引き取られる。そこからは本妻とその家の子らに苛められる毎日で、唯一の救いは一ヶ月に一度、家の子らに魔法の扱いを教えに家庭教師がやってくることだった。家庭教師によって魔法の才を開花させた彼は10歳で王立魔術学園にスカウトされる。王立魔術学園には貴族の内でも高い魔力と才能を持つものだけが入学を許される。平民の魔力持ちと大差ない子爵家では異例であり、これは大変名誉なことであった。が、本妻はそれを妬みこう言い放った。
「学費のみです! お前のためにこの家が負担するのは学費のみです。お前は遊びに行くのではないのですから当然のことです! わかりましたね?」
本妻は本当に学費しか支払わなかった。学園で使用する魔道具も、着用するべきローブも、何一つ用意されなかった。それでも負けずに勉学に勤しんだ結果、彼は奨学生に選ばれ、何とか学園生活を送っている。ただ、それだけでは長期休暇明けの合宿に必要な資金もない。
「そこで王都のアルバイトか」
なるほど、とウィルが頷くとアーロンはすごい勢いでひれ伏した。
「お願いします! 私を雇ってください!」
「学園から派遣された講師は出て行ってしまったが......どうするべきか」
アーロンは講師の助手という立場である。その助手は荷物をまとめて出て行った。つまりアーロンの雇い主はもう仕事を降りてしまっている状態だ。
「ねえ、ウィル」
「どうした?」
アリスはおずおずと手を挙げた。
「新しく来ていただい先生の助手にアーロンを据えてはどう?」
「それでいきましょう! お嬢さま!」
「お嬢さま! ウィル聞いた? 私今お嬢さまって! ぜひアーロンを助手にしましょう」
「ありがとうございます!」
勝手に話を進められてしまった。ぽかーんとしていた面々でいち早く正気に戻ったのはウィルだった。
「待て待て。まずは教師となる人物を選ばなくては」
「はいっ!」
アーロンは耳と尻尾が見えそうな勢いで足元に正座した。
その様子を見て、ウィルは思い出したように呟く。
「あいつでいいか」
一時間後、執事がその人物が到着したとウィルに報告している最中に温室の扉が力強く開いた。