魔物の暴走
仲間全員を連れて命からがら『森』の外へ脱出したデレクたち第十八部隊を出迎えたのは屈強な男達であった。
はい、自警団の皆さんです。
と、公爵家執事がにこやかに紹介していた。
「あの、なぜ自警団が......?」
武装する自警団を通り過ぎ、安全な場所へ移動させてもらった部隊長が尋ねる。
「お前らが『森』を荒らしたからだ!」
大人の代わりに答えたのはまだ10にも満たない子供。心なしか身体がふるえている。だが、『森』から逃げようとはしていなかった。
そばにいた少女が子供の肩をそっと引き寄せた。ふわふわとした茶髪が子供とよく似ている。姉弟なのかもしれない。
「心配いらないわ。今回はウィル様がいらっしゃるから」
「メリル姉ちゃん、でも......」
子供は揺れる瞳で少女を見つめる。少女は柔らかく微笑みかけ、十八部隊に告げた。
「あなたたちはそこで見ているといいわ」
何を、と口を開く前に地響きを感じた。
自警団の一人の男が「来るぞ!」と叫び、ピリリとした緊張感が漂った。
魔力を感じたデレクが少女に視線を移すと、彼女はすでに魔法陣を左手で描きながら詠唱を六割ほど終わらせたところだった。広範囲の上級攻撃魔法、しかも驚くべき詠唱の速さである。
平民の少女が使うにはあまりにも難しすぎるとデレクは止めようとした。上級魔法は平民の保持する魔力量で使用できるモノではない。途中で魔力切れを起こせば使用者や周囲の者にまで被害が出ることもある。
だが、デレクが少女を止めることはできなかった。
『森』の奥から大量の魔獣が外に出てきたからである。
「な......魔物の暴走......」
「なかなか勉強熱心だな」
デレクの隣にはいつの間にかウィルが立っていた。
「メリルの上級魔法を見に来たんだが」
「ウィル様、詠唱中だから、シーっだよ」
「はいはい」
不安げだった子供はウィルに抱きつきながら姉の詠唱を妨害してしまわないよう注意した。ウィルは子供の頭を撫でている。
「お姉さんの魔法をよく見ておくんだよ」
子供ははい! と元気に返事をして心の中で姉を応援した。
姉の方は少しばかり汗をかきながら詠唱を終える。キッと『森』から這い出た魔獣を睨むと、最後に一気に魔法陣に魔力を込めた。
地面から勢いよく突き出た土の槍が次々と魔獣を貫いていく。全体の三分の二ほどそれだけで片付けただろうか。串刺しにされた魔獣は完全に死んではいないものの体をビクビク震わせるだけで身動きはとれないようだった。
前方を走る魔獣が動きを止めたことで、全体の暴走が大分弱まった。逃した魔獣は自警団が数人掛かりで留めを刺した。
「ウィル様......地面、ぼこぼこに......して、しまいました」
「のちのち私自ら直すとしよう」
ふふふ、と笑ったと思ったら、少女はそのまま意識を失ってしまった。それをウィルは受け止め、彼女の弟に任せた。
立ち尽くすデレクに声をかけたのは最前線で戦っていた公爵家の執事だ。姿勢はいいが怪我でもしたのだろうか、上半身が血塗れである。彼はふと、気づいたように顔についた血を拭った。デレクはそれで感じた。この血が全て魔獣の返り血であることに。
「このような格好で失礼いたします。第十八部隊におかれましては」
「おい! 部隊長は私だ!」
叫んだのは部隊長。腰が抜けて自分で移動もできない状態で地面に座らされている。視線は下なのに上から目線という矛盾した状況である。
「おや、失礼。隊で一等無様な方が部隊長とは思いもよらず」
「なんだとぅ!?」
ほっほっほ、とにこやかに対話する執事。
万全の状態の部隊長なら執事の分際で生意気な、と剣を抜いているだろうが、今回ばかりはそうでなくて良かった。この執事に剣を抜いたら返り討ちにされて人生終わるだろう。デレクは部隊長が執事の気に障ることを騒いで魔獣のようになってしまわないか、そわそわしながら眺めた。
「おい、そこのお前。自分の隊の手当てぐらい手伝ったらどうだ」
デレクが振り返ると、白衣を纏った金髪の男が怪我人に魔法薬をふりかけていた。豪快に。
「これ一瓶で金貨6枚......」
男が惜しげもなく隊員にふりかけていた瓶のタグにはそう書いてあった。
デレクは小さく悲鳴を上げた。
「こんなに高価な」
「当たり前だ。俺が創った薬だからな。高価だが効果大だ」
「高すぎるんじゃ......」
「面白いことを言う奴だな。命には代えられんだろうが。......在庫処分と研究費取得が一遍にできるとは馬鹿共様々だな」
恐ろしい呟きを聞いた気がする。だが傷を負った騎士団の医療費は国からの経費で賄われる。こんな勢いで魔法薬を消費したら国の財政が破綻してしまうのではないだろうか。
「国についての心配は不要ですよ」
ウィルは唯一軽傷なデレクに向けて微笑んだ。
その含みのある笑顔が少しばかり引っかかるデレクであったが、心配無用ということで怪我人の治療に当たった。
金髪の男が自賛していた通り、魔法薬の効果は抜群だった。ぜひ騎士団にもおろしてほしいと部隊長が頼み込んでいたが、男は口元に意地のわるそうな笑みを浮かべ断っていた。
第十八部隊は事の詳細を報告するべく王都へ歩みを向けた。
後処理を終えた自警団は素材と魔石を回収し、ほくほく顔で帰っていった。
気を失ったメリルは魔法薬で復活した後、バラ色の頬のまま弟と共に帰路に就いた。
「まさか兄上に来ていただけるとは思っていませんでした」
「ふん、次期当主様に恩を売るのも悪くはないと思っただけだ」
「滅多なことでは研究室から出てこられないものですから」
「久々の儲け話だ。何割研究費にあてられる?」
ハイディッヒ公爵家長兄、テオドールは空になった魔法薬の瓶を眺めながら唇を弧にする。
「賠償金の5%」
「少ない。三割よこせ」
「多すぎます。7%」
「なぜだ。そもそも金を何に使う気だ?」
「使わない分は国に納めるんですよ」
「国家の犬め」
「兄上が使った魔法薬、ほぼ使用期限切れたやつだったじゃないですか」
「ぐっ......」
「在庫処分が徒になりましたね」
そんなこんなで兄妹は商談をしながら邸まで歩いた。
邸の中で待機を命じたはずのルドが門の外まで出てきていた。
「ウィルフィール様、アリス様は......?」
「あ」
忘れてた、とウィルが気づいたときにはもう日が沈みかけている頃で。
ウィルは踵を返した。