リグルベリー
リグルベリー。
リグル村の初代村長リグルが創り出した変異種。あるいくつかの条件を満たした環境において異常に繁殖力が高い。
芯まで赤に染まった大人の拳ほどの大きさの実を収穫するには大人数人掛かりがノコギリで茎を切断する必要がある。食糧難にあえいだ村々がこぞって栽培を始めたが、収穫がそれに追いつかず駆除のために騎士団が派遣されたこともある危険度Cの魔植物。
主要な都市部では絶滅が確認されていますが、ごく稀にど田舎で発見されたりします。見つけたら必ず国に報告しましょう。
そう、ロータス先生から教わった。
『うまうま~』
魔獣が食べてる。
リグルベリーのジャムを。
「スプーン使ってる!?」
この魔獣、器用にスプーンを使って深皿に入ったリグルベリーのジャムを食べているのである。
しかも周りに花が浮かんでいるような笑顔で、だ。
『なにしてんだぃ?』
キッチンを覗いていたアリスとテーブルについた魔獣は先程まで作っていた鍋を中央に置いた。
鍋の中身が甘い匂いの正体だった。
『わしは生の方が好き』
鍋の隣に置かれたリグルベリー。
魔獣は生のリグルベリーを主食にリグルベリージャムを食べ始める。口元が真っ赤になっていたのはリグルベリーのせいだったようだ。山盛りにされた生リグルベリーが消えていく。
魔獣に促されて、アリスもリグルベリーをかじった。甘酸っぱく、思ったよりも果汁が少なめで腹持ちが良さそうである。味はラズベリーに似ていないこともなかった。二個ほど食べ終わって魔獣に視線を移すと、赤色の妖精が飛んでいた。彼女(彼?)はふわふわと飛び回り、魔獣が皿を空にしたところを見計らって鼻にキスをした。
そんなとこ飛んでたら食べられちゃうんじゃ!? 妖精を助けようと手を延ばしかけた時、魔獣はふんわり微笑んだ。
それはまるでお伽話の一ページのような光景で。
和やかさにうっとり見とれてしまう。
しかし安心したのもつかの間、魔獣は思い出したかのようにアリスに金属性の首輪をはめた。
「......え?」
じゃらじゃらするのは首輪に頑丈そうな鎖が繋がっていたからである。魔獣はそれを手頃な柱に括り付けた。
「いやあああああ!! たべないでえええええ!!」
やはり魔獣は魔獣だったのだとアリスは泣き叫ぶ。目の前の魔獣はお伽話に登場するような心優しい魔獣だと勝手に思っていたが、間違っていた。
「非常食になんてならないからあああああ!!」
私は食べても美味しくないよアピールは無駄に終わる。
『狩りに行ってく~る~』
魔獣は鼻歌交じりで出かけてしまった。
きっと私を太らせてから食べるつもりなんだわ! 顔を青くするアリスは鎖を解こうと躍起になった。
「はずれない......」
あの魔獣は柱にどんな巻き方をしたのだろうか? 一向に鎖ははずれない。時間が立つにつれ首輪が重く感じてきてペタンと座り込んでしまった。
首輪も壊すことができなかった。
『森』になんて入るんじゃなかった。
アリスはじくじく悩み始める。
妖精達に助けてもらえるかと期待していたが、妖精はアリスに近づこうとしなかった。「アリス様は妖精がみえるのですね。もしかして会話もできるのでしょうか? 『妖精のお茶会』に誘われたりなさるかもしれませんね!」ってルドに言われたことがある。妖精たちは気に入った人間をお茶会に招き、加護を与えると言われている。妖精とお喋りができたら素敵だが、残念ながらアリスはウィルの周りを飛び回る妖精を見ただけで、話しかけられたことがない。
もしかして妖精に嫌われてしまっているのだろうか......?
さらに気分が落ち込む。
首輪は外れない。外して小屋を脱出できたとしても『森』を抜けることは難しそうだ。
太らせてから食べるつもりなら、すぐに食べられることはない。そう考えると少し楽にはなるが、何も解決していない。
「うぅ......」
じんわり目の奥が熱くなってくる。静かな小屋の中に鼻水をすする音が響いた。
ドン、ガチャガチャ
小屋の戸を叩く音がした。
魔獣が帰ってきたのかもしれない。
戸が開く。
こんな森の奥でウィルとも会えないまま肥え太った自分は魔獣に食べられてしまうのだろうか......短い人生だった。
涙でぐしゃぐしゃにした顔を上げると、そこに立っていたのは最愛の人。
「うぃるうううぅぅぅぅぅ!!!」
ばっと駆け出したアリスだったが鎖のせいで床に突っ伏す。
「アリス、無事で何よりだ」
ウィルはじたばたと自分を求めて暴れる手を避けながらハンカチでアリスの顔を拭いた。魔獣の咆哮ように「うぃるうううう!!」と繰り返す声に苦笑いする。
「鎖を解くのは無理そうだな」
恐らく魔獣自身も適当に柱に括り付けたであろう鎖を眺めたウィルは首輪に触れた。
「さてアリス。その首輪だが、」
「ねえウィル!! これウィルに首輪付けられてるみたいでドキドキする! 絵師! 絵師がいたら今この場を描いてもらいたい!」
「本当に......しばらく見ないうちに気持ち悪さが増したな」
いや、元からだったか? とウィルは首をひねった。
仕切り直しに一つ咳払いした後で新しい課題を提示した。
「その首輪はつけている本人がちょっと強めに魔力を流すと簡単に外れるように造ってある」
「ふむふむ」
「自分で外してみてくれ」
「鎖切るとかじゃだめなの?」
「一生首輪付きで過ごすつもりか? それ、結構重いだろ」
「あ~まあ......でも耐えられるわ! この首輪に名前彫ってもいいなら! 『ウィフィール=ハイディッヒ』って」
「......は?」
「私は一生ウィルの物よ!!」
「手が滑ってお前の胴体と首を切り離してしまうかもな!」
「頑張って魔力流します!」
交渉失敗だった。
魔力を扱う訓練にもなるということなので真面目にやろう。魔力暴走で怪我なんてしたくない。(ウィルの下へ)嫁入り前の身体なのだから。
「がんばるぞー」
月に四回ほど教師として邸に招かれるロータス先生曰わく、アリスの魔力は普通の人よりもかなり熱いらしい。炎の属性が強いのではないかと言われたが、色は真っ黒。炎の属性色ではなかった。
「不思議ですが、稀にそういう方もいらっしゃるそうですので特に問題はありませんわ」
気になるのなら魔術院へ進学するといい、とロータスは興味なさげだった。図書館国家の王女様なら何よりも知識を追求するのではないかと思っていたが、彼女の第一は自国の財政であり、そのために知識を身につけたのだという。だから商売に関わりがなさそうなことは気にしないらしい。
アリスは火傷に注意しながら首輪に魔力を流した。
一滴一滴雫を垂らすようにちょっとづつ魔力を流すが、首輪はビクともしない。心配になってウィルと首もとを交互に見た。ウィルは笑顔のままだ。かわいい。
「ねえ、ウィル」
「うん?」
「ちょっと魔力流すだけって」
「うん」
「あの、ぜんぜん外れな」
「ちょっと強めに魔力流すだけ」
「ちょっと強めに?」
「うん」
いい笑顔である。
ちょっと強めに......今度はロータス先生なら魔力切れを起こしてもおかしくない量の魔力を流す。
外れない。
ふと、小屋の外に視線が向く。
小屋の近くに仕掛けた罠に魔鳥が捕まっていた。巨大な羽で暴れながら逆さ吊りになっている。
そこでアリスは気づいた。ここが魔獣の住処であったことに。
「早くしないと魔獣が戻って来ちゃう」
ウィルを危険にさらすわけにはいかない。バケツから水を注ぐみたいにして首輪に魔力を流す。
中々思うようにいかない。
今度は滝をイメージしてみた。
「あっつ......!」
首に熱を感じたところで首輪が砕ける。真っ黒な砂のようになった元首輪は開けっ放しにした戸から入る風に飛ばされた。影も形もない。
「あ、壊しちゃったか」
軽く驚いたウィルはアリスの手を取った。
課題は合格らしい。
アリスが頭を差し出すと、よしよしと柔らかく撫でた。
「帰るか」
ウィルはテーブルにパンを二つ置きながら振り返る。
それに対してアリスは首を横にふった。