かくしごと
主人公をほとんどいちゃつかせてなかったことに気づいた。
今朝からアリスは両手で頬杖をつきながら部屋の主を見つめていた。昼食の間も、ティータイムの時間もじーっと、ほとんど瞬きもせず見つめていた。穴があきそうなほど、見つめていた。何も言わずに。
ウィルは視線に耐えきれずに読んでいた書類を机に置いた。
「......アリス、今日の勉強は」
「今日はロータスが来ない日よ」
「課題......出されてるんじゃないのか?」
「終わったわ」
「じゃあ、予習」
「ロータスが無理しなくていいって。私すでに大学院くらいには入学できるそうよ」
「......すごいな」
「ええ」
「......今日は、天気もいいし、散歩にでも行ってきたらどうだ? 最近はまってるんだろう?」
「多分大丈夫だから」
「......大丈夫って何が?」
「......こっちの話よ」
「そうか」
二人の間に沈黙が流れる。
晴れているはずなのに背中が寒いと感じるのは私だけだろうかと、ルドは周りを見渡す。が、そもそも沈黙を生み出す二人以外に人間は自分と執事しかいなかったことに気づく。執事は黙々と片付けられた書類の山を整理している。その仕事が終わるまでは主人たちの間に入る気はなさそうだ。
自分が何かした方がいいのだろうかとルドは頭を悩ませたが、一向に何も閃かない。
ノックもせずに重い空気をぶち壊したのは一人のメイドだった。
「失礼いたします! ウィルフィール様、騎士団の方々がいらっしゃいました!」
部屋の空気とは極端に明るく登場したのはこの邸で一番若いメイドである。かなり急いでいたのか、薄桃色の頬が上気している。
「これこれ、はしたないですよ、ベレッタ」
執事の言葉にはっとしたベレッタはすぐさま身なりを整え、一つ咳払いをした。
「ウィルフィール様、第十八部隊の騎士様たちがお見えです」
公爵家の使用人としてふさわしい行いを、とメイド長から毎日言われていたベレッタだが、ついテンション高めになってしまったらしい。
「すぐ行こう。あー......アリスも来るか?」
ウィルは立ち上がると、アリスに手を差し出した。アリスは何も言わずにその手をとった。
ベレッタの足取りは軽い。
本日の来訪者故である。
騎士団といえば男の子が一度は憧れる花形の職業である。第七部隊から下になるにつれて階級が下がり、ーー採用理由は各部隊長が定めているらしいーー王立の学園を卒業するか、実力を認められた者でなければ入団は叶わない。王立学園出であれば貴族出身であることがほとんどでそれを見越して玉の輿を狙う女性は多い。
ベレッタは玉の輿を狙っているようには見えないが、ご機嫌なのは他に理由があるらしい。
「こちらです」とベレッタが客間の扉を開ける。
隊長と思しき人物が優雅に紅茶を嗜んでいた。そばには数名の騎士がかなり寛いだ状態で立っている。他の騎士たちは外で待機しているとのことだ。
ルドは「あ~なるほどね」と心の中で呟いた。
第十八部隊は美形ぞろいであった。むしろ美形以外は選抜してないんじゃないかってくらいの顔面偏差値の高さだった。
隣のベレッタを見ると「眼福です!」と顔に書いてあった。
そういえば騎士団には家柄、ルックスだけを重視した全くのお飾りの部隊も存在すると聞いたことがあるが、第何部隊だっただろうか?
「ウィルフィール嬢、お初にお目にかかります。私はーー」
長ったらしい隊長の口上をアリスは左から右へと受け流した。今朝からの例の問題について一応はウィルの言い分を聞かなくてはならない。騎士団には早く帰ってもらいたい。もやもやで頭が一杯である。
やっと挨拶が済んだところでふと、隊長はアリスに気づいた。
「これはこれは、お美しいご令嬢。貴女も公爵家の?」
「いえ......」
とっさに執事の後ろに隠れ、手に口づけしようとする隊長から距離をとった。
「部隊長、我が領の『森』を訓練場として使いたいとのことでしたが」
隊長は色素の薄い、騎士にしては長い前髪をかきあげた。
「そうなのです、ウィルフィール嬢。知ってのとおり第十八部隊には実力はあるのですが実戦経験が足りず、それゆえ魔獣討伐にも参加の許可が下りません。優秀で家柄の良い者だけが選抜される栄誉ある第十八部隊が他の部隊からお荷物などと呼ばれるなどーー」
第十八部隊の自画自賛は続き、そろそろ聞き飽きたなあ、と騎士以外の全員が感じ始めた頃にウィルが笑顔で呟いた。
「つまり『森』の中の魔獣を狩って泊をつけたい、と」
その笑顔を勘違いした隊長は瞳を輝かせた。
「却下です。さっきからお伝えしていますように、実戦経験の少ない者たちが『森』へ入ることは許可できません」
実はウィルは挨拶の合間にこの件に対してやんわり断っていたのだが、お坊ちゃんには通じなかったらしい。すっぱり切り捨てた。
「なっ、何を」
「あなた方は『森』を軽く見すぎです」
「我々は、実力はあるのです!」
「そうです! あとは経験のみなのです!」
「ええ、それでは他の場所で実戦経験をおつみの上、お越しください」
隊員数人が食い下がるが、ウィルが引くことはなかった。
「許可できません。お帰りになるのでしたら転移魔法で王都までお送りします」
さっさと帰れ、と言外に伝える。
一瞬言葉に詰まったかに見えた部隊長だが、次には意味ありげな安っぽい作り笑いをした。
「ウィルフィール嬢のお手を煩わすことはございません。今日はもう遅いですし、この領地に泊まることはできますでしょうか? それが叶わないのでしたら我々は領地外にて野営をいたします」
野営もほとんどしたことがなさそうな連中だが、ウィルは領地から追い出すことはしなかった。人数が人数なので邸に全員収納することはできそうにない。ウィルは上官何人かを邸に泊め、残りを宿に泊めることを提案したが、
「部下の監視のために我々も宿に泊まります」
とのことだった。
「ねえ、ウィル。今朝のことだけど」
とアリスは朝よりも冷静になったころに蒸し返した。
「ああ、後にしてほしい」
それに対するこのウィルの対応が、このあとのちょっと困った状況を作り出すのだった。