第8話 誕生日は銀細工
目覚めると、キアは自分のベッドで寝ていることに気が付いた。居間のソファーからいつの間に移動したのだろうか。寝ぼけたまま無意識に歩いて寝室まで戻ったのかもしれない。そう思って納得することにした。
キッチンは綺麗に片づけられていた。使った形跡さえないほどにピカピカだった。居間もきちんと整頓され、暖炉には新しく薪がくべられていた。どの部屋も隅々まで掃除されていた。まるで誰もいない新築の家だ。ヤナの痕跡すら感じられない。
もしかして昨晩の楽しい時間は、夢だったんじゃないだろうか? そう思って不安になった。まさかヤナはこの街を出て行ってしまったのではないか?
しかし、次の瞬間それが杞憂だったことを思い知らされる。机の上に朝食が用意されていた。ご丁寧にも手紙付きだ。
~ キアへ
朝食は一日の活力の素だよ。ちゃんと食べてね。今日も猫の大食亭でお手伝いしてるね ~
意外にも目を見張るほどの達筆だった。これほどの達筆は、アカデミーの筆自慢である学院長でも敵わないかもしれない。
しかも単に上手いだけではない。字体にどことなく気品を感じる。まるで絵画を見ているようだった。ここまで来ると、文字という枠を超え、鑑賞に値するレベルだろう。芸術の域だ。キアは少し悔しくなった。読み書きだけは誰にも負けないと自負していたのに。
パクリ。
ヤナが焼いたパンを食む。
「う、美味い。なんだこれ・・・」
いつもの朝食は味気ない硬いパンである。でも今日は、甘くふんわとした香りに、優しく歯に纏わりつくような柔らかな食感。病みつきになりそうだ。
手紙をひらりと裏返すと追伸があった。
~ 昨日は楽しかったよ。また一緒に食事しようね ~
思わずニヤニヤしてしまう。今日も良いことがありそうだ。
アカデミーへ向かう道すがら、「猫の大食亭」へ顔を出してみようとも思ったが、なんとなく気恥ずかしさがあった。店の前まで来てクルリと踵を返す。
アカデミーから出た課題の解答を考えながら、キアはゆっくり歩いた。基礎講義は今日で終了する。研究テーマがしっかり決まり、成果を出すために専念する日々に入る。アカデミーで差がつくのはここからだと言える。
なぜなら、基礎講義は授業を聞くだけだからだ。それなりの知性の持ち主ならば、大抵はついていける。終了テストはあるが、それは形式的なものだ。零点でもかまわない。
問題は、基礎を身に着けてから、それをどうやって研究課題へ応用していくかだ。研究は間違いなく教科書通りにはいかない。そして、最終的に実績を上げる者が勝ち組となる。いくら講義で良い成績を収めても意味はない。
キアは焦っていた。クラスメイトや先輩たちが、次々と火薬や蒸気機関の分野で成果を上げつつある。さらにプレッシャーなのは、鉄の鋳造分野でクラスメイトが華々しい技術を開発したことだ。特許申請も間近だという。
鉄の鋳造といえば、鍛冶ギルドの管轄分野である。ギルド元締めの長男であるキアが遅れをとり、あまつさえ、魔術なぞにうつつを抜かしている。そう見られてしまうのは仕方がないだろう。そして魔術研究の手がかりは、まだその気配すら見せていないのだ。
今日もアカデミーの図書館へ通う。周囲の連中は、火薬や蒸気の話で盛り上がっている。
「クソッ、クソッ、クソッ! 焦るな。絶対に何か手がかりがあるはずだ」
そう自分に言い聞かせる。しかしその意思とは裏腹に、今日もさっぱり成果があがらなかった。
日が暮れ、夜も更けて来たので仕方なく切り上げる。何の進展もなく、無駄な時間。自分の研究に自信がなくなる。
そんな精神的に厳しい日々だったが、ヤナの料理が疲れを癒してくれた。
彼女の存在自体がキアのササクレ立った人生を包んでくれていた、と言った方が正しいかもしれない。
ヤナが「猫の大食亭」で働くようになってから、一ヶ月が過ぎていた。
この間、店には驚くべき変化が起きていた。
まず料理が変わった。ヤナが店の厨房に入ると、コック達も途端に腕が上がったかのようになる。そして次々と生み出される斬新で美味なるニュー。
評判は噂となり、瞬く間に広がった。口コミというのは侮りがたい宣伝効果があるのだ。
「食べれば幸せのあまり頬っぺたが落ちる」
「いくらお金を出しても惜しくない」
「毎日食べられるなら店に住みたい」
「王侯貴族御用達のレストランよりも美味い」
噂は王都中に飛びかった。
噂には尾ひれがつくもの。所詮は大衆店の誇大広告。そう思って食べに来る連中も、店を出る頃には、すっかり「猫の大食亭」の大ファンになっていた。
客層も変わった。時間帯にかかわらず行列ができるようになった。今までは、鍛冶ギルド系の職人ばかりだった客に富裕層が多く混じるようになった。貴族がお忍びで来ている、という噂も立っていた。
そして何より、店が変わった。店舗の外装はこれまでと同じだったが、内装がまるで違っていた。いわゆるリフォームである。
このリフォームにより、店の雰囲気がこれまでの「いかにも大衆食堂」な感じから温かく上品な家庭的な雰囲気へと変貌した。ひとたび足を踏み入れれば、誰もが懐かしく落ち着いた気分になれる。そんな優しい色調と造りになっていた。
厨房も新メニューに対応できるよう大幅に改良されていた。炭の火力が細かく調整できるになり、排気もきれいに煙突に抜けるようになった。店内が煤けることもなくなった。
だが何よりも驚嘆すべきは、このリフォームや改造をすべてヤナ1人で行ったことだった。土木ギルドの職人達でも、短時間でここまで仕上げられるのは一握りだろう。
「坊ちゃん、ヤナのやつ、ただもんじゃないですよ。料理も家事も完璧にこなす上に、大工仕事まで超一流ですぜ。がははは、こんな万能の天才が居ていいんですかねぇ」
店長はそういうが、キアは知っていた。さらに字も達筆。読み書きも抜群の才女。万能にして深遠な才の持ち主。そんな人間がいるのだろうか、と存在を疑いたくなるほどだった。
そして何よりも不思議な魅力。外見の美しさは言うまでもない。注目すべきはその人柄や性格、雰囲気だ。誰も彼もがヤナに惹かれてしまうのだ。単に女性としての魅力が高い、という単純な言葉だけでは片づけられない。中には、料理よりもヤナが目当てで来る客もいるくらいだ。
ヤナの周りには自然と優しい人の輪ができる。強面で気難しい職人や、お高くとまった富裕層も、なぜかヤナの前では素直に心を開いてしまう。
店には、毎日無償で食べ物や食材が届けられるようになった。富裕層の馴染客が増えたこともあるが、主に農民や漁師からの差し入れである。このヤナを中心とした劇的な変化は、まるで魔術のようだった。その変化を見るのが楽しくて、キアも思わず毎日店の方に顔を出してしまうのだった。
メイド姿の店長娘とヤナのウエイトレスコンビもすっかり定着していた。
そんなある日。アカデミーからの帰りが遅くなったため、キアは閉店間際に店を訪れることになった。
「あっ、キアーいらっしゃい」
とヤナ。
「キア様、ようこそ」
と店長娘。
「ヤナ、後はやっておくからキア様と一緒にお食事を」
「うん、店長娘、ありがとう」
「どういたしまして」
キアの座るテーブルにドンと大皿が乗せられた。この料理、今日の賄だが見た目も味も立派な高級料理だ。
「なぁ、ヤナ。ちょっといいか?」
「なひ? キア、食べなひなら貰っちゃふよ」
モグモグと食べながら、キアの皿に手を出そうとする。
「どうしてヤナは「店長娘」って呼ぶの?」
「へ? 店長娘は店長娘だよ。何言ってるの?」
「だってあの子には、ベルナルディーナって立派な名前があるんだぞ」
ゴクンと口に入っていたパンを食べ下す。
「それボクも初めてこのお店に泊まった時に言ったんだけどね。その名前嫌いなんだって。どうしても自分の名前とは思えない、馴染めないって・・・
それでボクがあだ名つけたんだ。「店長娘」って。そしたら大笑いしてた。気に入ったみたい。それからずっと「店長娘」なんだよ」
「はは・・・そう、なんだ」
何だろうこのあっけらかんとした、嫌味のない天然さは。憎めないところがまたヤナの良い所であり、魅力でもあった。
「ところでキア!」
突然大きな声を出すヤナ。
「なんだよ突然。ビックリするな」
「今日は何の日か知ってるよね?」
「・・・先代国王の命日かな?」
「はずれー。そうじゃないでしょ。今日はキアの誕生日でしょ。店長から聞いたんだよ」
誕生日。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。とはいえ、単に一つ歳を取るだけで、祝い事とはもう縁遠い年齢だ。創造神の教会にでも行って、感謝の礼拝をすれば、節目になるだろうと思っていた程度だった。
「はい、お誕生日おめでとう。ボクからのプレゼントだよ」
そう言って、掌に乗るくらいの小さな木箱をヤナが渡してくる。キアがその箱を右の掌で受け取る。ずしりと重い。
「開けてみて!」
言われるがままに小箱を開ける。そこには銀色に輝く首飾りが鎮座していた。精巧な細工が施されている。おそらく超一流の職人が作ったものだろう。これほど精緻で美しい銀細工は見たことがなかった。きっと高価な品だろう。
だがこれは以前見たことがあった。ヤナと最初に出会った時だ。あの時、ヤナは美しい銀細工の装飾品をたくさん身につけていた。もしかして同じ物だろうか。
「あ、ありがとう。ちょっと驚いたけど嬉しいよ。大切にする」
「じゃあボクが着けてあげるね」
そう言ってヤナが後ろに回り込み、首飾りをキアの首に着ける。ヤナとの距離が一気に近くなり、顔が赤くなるのが自分でもわかった。鼓動が激しくなる。
「これはね、御守りなんだよ。いつもキアを守ってくれるの」
「でもこれってヤナが着けてた首飾りじゃないのか?」
「違うよ。それはボクが創った首飾りだよ」
「え?・・・えぇーーっ!!!」
思わずキアは、店がひっくり返るほどの大きな声で驚いてしまった。
「へへへ、坊ちゃん、ヤナは銀細工もできるようなんです。実はつい先日、ヤナがどうしても銀細工ギルドへ連れて行けっていいやしてね。不思議なことに、銀細工ギルドの連中もいつの間にかヤナと意気投合しちまいまして。
何せ突然やってきた若い娘っこが、これほどの細工をやっちまうんです。ギルドの奴らもそらぁ大騒ぎですやね。ヤナが技術を教えたら、無償で銀も道具も提供するって言い出すもんだから、大変なことになっちまいましてねぇ。それで5日と経たずに細工をこしらえちまったんですよ」
素人ではあり得ない。ヤナはもしかしたら、優秀な職人の娘なのかもしれない。だが多能過ぎる。それに一つ一つの技能が突出し過ぎている。才ある者が20年、30年骨身を削って努力しても、到達できないかもしれない。そんな高度なレベルだ。銀細工にしても、精緻さの次元がまったく違うのだ。
キア、店長、店長娘、厨房のコック達・・・全員が畏敬の念を込めて、ヤナをじっと見つめてしまう。
「うん? みんなどうしたの?」
やはり何者なのか気になる。知りたい。誰もがそう思った。王侯貴族でも職人でもないことは分かる。こんな超人のような才能の持ち主が、この世に居てよいのだろうか。
ヤナは空気を読まずに言った。
「そういえばキアって何歳になったの?」
「あ、ああ、今日で20歳だけど」
「ふーん。大人なんだね」
「じゃあ今日は俺の特別な日だから聞いちゃうけど、ヤナは何歳なの?」
ゴクリ。皆が注目していた。
「えっ? なになに、皆そんなにボクの歳に興味があるの? ボクは見た目通りだよ。今年で19歳。だからキアの1歳年下だね」
そう言って腰に手を当ててVサインを出す。だがそれは驚愕の事実でもある。僅か19年間。それでこれほどの技能を身につけたわけだ。天才。まさにこの言葉以外、思いつかない。
「・・・信じられない」
ぽつりとコックの一人が呟いた。静けさに包まれる店内。その気配を敏感に察する。
「アレ? やっぱりボクっておかしいのかなぁ」
ヤナは酷く寂しそうな顔をしていた。あの夜、月光の下で見た顔だ。ヤナがこんな顔をするなんて。何かがまずい気がした。
「いや、ヤナは天才なんだなぁ、凄いなぁってみんな思っただけよ」
すかさず店長娘がフォローを入れた。そしてヤナの頭をワシワシと力を込めて撫でた。
「ちなみに私は25なので、ヤナやキア様よりお姉さんですからね」
キリリと腰に手を当てて上から目線のポーズをする。
「いや、誰も店長娘の歳、聞いてないし」
爆笑が巻き起こる。店内にいつもの明るい空気が戻って来た。ヤナの表情もいつものヤナに戻っていた。よかった。心底よかったと思う。もう二度とヤナのあんな顔は見たくない。キアは強く思った。