第6話 王都の路地の落とし物
サザ王国は、エルマー大陸の北部に位置している。領土も人口も最大級、軍事と工業を中心とした王政国家である。
石造り、煉瓦造りの家々が整然と並び、1000を超える尖塔や煙突がそびえ立っている。煙突からはモクモクと黒や白の煙が吐き出され、空気はお世辞にも清浄とは言えない。だがこれが、国を富ます工業の源泉であり象徴でもあった。
国はサザ王家を頂点とした、完全な身分制度が敷かれ、身分が権力に直結している。身分は絶対であり、生まれによって将来が決まると言っても過言ではなかった。
そして次にモノをいうのが資本力。つまり金である。納税さえすれば、自由経済が保証されており、庶民階級は思うがままの生活や商売が許された。
そのため、強固な身分制度があっても、不満が募って政権転覆を図るような輩が現れることは、ほとんどなかった。
王侯貴族は、自分たちの地位と生活は守りつつ、搾取対象の庶民階級の豊かさと自由もある程度保証する。見た目上は、絶妙なバランスが取れた国である。
「この世はすべて身分と金次第」
王都で当たり前のように口にされる決め台詞である。小さな子供でも知っている。生まれが悪ければ親を超えられない。
鍛冶屋の子供は鍛冶屋。野菜売りの子供は野菜売り。ビール職人の子供はビール職人。
いわゆる「ギルド制」が身分制の下に敷かれていた。どこの街でも市民はギルドを中心に動いていた。ギルドは工房や組合のようなものである。職業の数だけあり、すべてを把握するだけでも大変な労力が必要だ。
ギルドのおかげで治安や流通が保たれ、王侯貴族が望む身分制がスムーズに浸透したと言ってもよい。王政はギルドを尊重し、自主性に任せていた。
自分たちで細かいところまで統治するよりも、手間がかからないからである。
ギルドは、王政側に忠誠を尽くすことで自由を得られる。これによって良好な関係が築かれ、長い太平の世が続くことになったといっていいだろう。
王政側や貴族からすれば、庶民から税金や物品さえ入手できれば問題ない。そこは持ちつ持たれつである。王家やそれに連なる貴族は、庶民から遠い存在であり、お互いに直接干渉することは滅多にない。
国家に仕える軍隊も、貴族系の騎士団から、民兵や傭兵からなる柄の悪い連中までさまざまだった。ただしそこにも徹底的した身分制度、階級制度があり、これは絶対のルールであった。
身分の格差、これを覆す方法が2つある。1つ目は商業で財を成し、富豪になることである。貴族たちの中では、権力争いが絶えない。争いに敗れた家は、断絶に追い込まれる。これを金で買うのだ。資本力があれば謀略も容易になる。貴族と街の富豪たちは、しばしば黒い糸で結ばれている。
2つ目は手柄、つまり目に見える成果を上げることだ。成果にも2種類ある。武功と発明・発見だ。しかし太平の世で武功を上げるのは難しい。そもそも戦いが少ないからだ。だから、士官学校での成績が成果になっているのが実情だ。
士官学校の成績優秀者は「点数」に応じて身分、つまり軍における「階級」が与えられる。軍への入隊は自由である。身分に関係なく、簡単な体力試験に合格すればよいだけだ。一兵卒から将軍まで駆け上がれる可能性を誰もが秘めている。
そして注目されるべき成果は、発明や発見だ。この世界は科学の原理で動いている。魔法は存在しない。それは既に伝説にのみ伝えられる幻の存在である。銃や電気もない。油は食用程度の生産であり、採掘した原油を基礎とした工業には程遠い。
だが、蒸気を原動力とした蒸気機関は発達していた。蒸気機関は鉱工業へとつながり、国を発展させる力となる。
さらに近年「火薬」と呼ばれる黒い粉が発明されてから、世界が大きく変わりつつあった。火薬によって鉱山開発が進み、武具や農具、建築に必要な鉱物資源がたくさん採れるようになった。
鉄の原料が増えれば、自然と外貨獲得も容易になる。今まさに王都は工業、すなわち職人を中心とした一大都市へと急速な発展を遂げていた。
経済や文化を変えるような発明をした者には、特別な身分が与えられる。特許ギルドのはからいにより、莫大な富も得られる。そのため、発明で財を成そうとする者は多い。もちろん発明はギャンブルだ。失敗する者がほとんどともいえる。
特許を狙った技術アカデミーもある。庶民の中でも富める者は、アカデミーへ通う。そこでは既に特許で財を成した者や一流の知識人が教鞭を取り、多くの学生や研究者が技術習得に励んでいた。
アカデミーの入学資格に身分は関係ない。入学試験もない。
ただあるのは授業料がきちんと払えること。そして知識に貪欲なことだけ。
鍛冶ギルドの長男、キアもその一人だった。
鍛冶ギルドは王都でも一大勢力である。武具から農機具、蒸気機関の部品まで鉄が関係するところはすべて鍛冶ギルドの支配下である。
* * *
- 王都「技術アカデミー」での一幕。
「おーい、キア。お前研究テーマ何にするの?」
キアと呼ばれる青年の下に、同じアカデミーに通う友人たちが、ワラワラと話しかけて来た。
「テーマ決め、明日までだったよな?」
「そうそう。俺は ”火薬の武器への応用”に決めたぜ」
「俺は”火薬の爆発力増加”だ」
火薬は今や時の発明。これにあやかろうとする研究や開発が流行だった。
「・・・俺は、”魔術の発見とその利用”にする」
友人たちが一斉に驚いた。顔を歪ませて後ずさりした。
「おいおいキア、魔法はおとぎ話の中だけだぜ。実在なんてするわけがないだろ。まさか歴史の研究でもするつもりか?」
「魔術の研究だけは止めとけって、先輩も先生たちも言ってたぞ」
「なぁ、キアも俺と一緒に火薬の研究しようぜ!」
「親も絶対反対するって。キアの親、めっちゃ怖いんだろ?」
技術アカデミーで扱うテーマは自由だ。だから魔術の研究も許される。しかしそれは最も大成の見込みのないテーマでもあった。何しろ魔法は400年前の伝説や神話に残っているだけ。誰も見た者はいない。実在を信じている者すら皆無だ。魔術らしいものといえば、口から火を吹く手品師がせきの山だ。
そもそも魔術があるなら、火薬などという危険で扱いにくいものが流行るわけがない。
「うるさい!俺は魔術で皆をあっと言わせるんだ!」
「キア、お前まさか・・・。わかったわかった。せいぜい頑張れよ。じゃあな!」
友人たちが、そそくさとキアの前から去って行った。これから火薬の事を図書館で調べるのだという。仲間が協力して火薬の研究をする。きっと直ぐに成果は上がるだろう。
キアは寂しさを覚えた。でもこれは自分が選んだ道だ。後悔はない。魔術で世界を変える。これがキアの夢だった。鍛冶屋を継ぐなんて冗談じゃない。そんなつまらない将来には我慢ができなかった。
親に無理を言って通わせてもらっているアカデミーだ。成果が上がらなければ、退学させられるだろう。なんとしても魔術の発見をする。
これまでも、魔術に取り組んだ者は何名かいたが、魔術の「ま」の字にすら到達できなかった。せいぜい神話や逸話を集めるのが限界だった。
とはいえ、キアにも何か当てがあるわけではなかった。正直、魔術という夢に酔っている間は気分もよかったが、現実を見ると何一つできそうにない。不安で押しつぶされそうだった。何しろ400年間、誰一人して手がかりさえ掴めなかったのだ。
「はぁ、これからどうすりゃいいんだろ」
溜息混じりの重い足取りで家路につく。考え事をしながら歩いていると、日も暮れてすっかり暗くなっていた。
家も間近になった頃、道に何かが横たわっているのが見えた。キアの家は、王都でも王宮に近い中心地にある。どちらかというと富裕層が住むエリアだ。治安や街の景観は良い方である。路上生活者や物乞いの類は皆無だ。
空き巣か、それとも傷病人か。キアは直観的にそう思った。万が一不審者だった場合、こちらが襲われる危険もある。
警戒しながら横たわっている人物にゆっくりと近づく。女だ。年の頃は自分より少し下の18くらいだろうか。顔は煤け、髪はボサボサ。かつては白かったであろうローブのようなものを纏っている。今では土で真っ黒に汚れて、ボロと化している。
これは物乞いが迷い込んだに違いない。近づかないにこしたことはない。
関わればしつこく金を無心される。物乞いは無視する。これが彼のポリシーだった。
しかしキアは、思いとは反対の行動に出てしまっていた。
「おい、大丈夫か?」
なぜだろう。この日に限って話しかけてしまった。
「み、水・・・」
女は上半身を起こしてそう言い残してから、パタリとまた石畳みの地面に倒れてしまった。
「おいあんた!」
キアは手を伸ばし、女の手首を掴んだ。その手には銀色に輝くブレスレットが着けられていた。よく見ると、細かい装飾の首飾り、指輪、アンクレット。街の富裕層の中でも、これほどの装飾品は滅多に見ない。
意識を失ってしまった女を抱き起し、改めて顔をじっくり見る。煤けてはいるが、誰もが認めるであろう美人だった。気品ある細い顎と小さな唇。つんと上を向いた可愛らしい鼻。青ささえ秘めた白く艶やかな肌。思わず見とれてしまう。
これは物乞いの類ではない。直ぐに介抱しなければ、と思った。水筒に残っていた水を少しずつ飲ませてみた。下心がまったくなかったといえば嘘になるだろう。年頃の男子が、道端で美人を介抱する。思わず期待してしまうシチュエーションなのは仕方がない。
水を飲んだ女はパチリと目を開いた。キアを見るなり、苦しそうに口をパクパクさせた。何かを言おうとしている。キアは彼女の口に耳を素早く近づけた。
「お、お、お・・・」
「どうした?どこか苦しいのか?」
「お腹すいた」
グキュルキュルルルル~
腹の鳴る音が派手に響いた。
おいおい、コイツはやっぱりただの物乞いなんじゃないだろうか? このまま捨てて帰ろうかな。と頭をよぎったが、ここまで関わったら助けないわけにはいかない。
仕方なくキアは近くの料理屋に女を抱えて入った。この料理屋は自分の親の息がかかっている。つまり鍛冶ギルド傘下の店だ。ツケが利く、というか自分はタダで飲み食いができる。
富裕層よりもどちらかというと、大衆向けの店である。平たくいえば、力仕事をする職人向けの店だ。したがってここの食事メニューは、質より量が重視されている。
しかしその量自慢のメニューが、女の胃袋に物凄いスピードで収まって行く。よほど腹が減っていたのだろうか。この細身の体の一体どこに、あれほどの量が入って行くのか。キアは驚きと好奇の目でじっくり見てしまう。
「あんた名前は?」
「ナブハハ、デハグハハっ。モグモグモグモグ、むぅーっ」
女の口から食べかけのモノが、キアの顔に思い切り吹きかけられた。額に海藻がぺったり貼り付いた。サラダだ。
「・・・わかった。食べ終わってからにしよう」
はあぁぁ、ツイてない。こりゃとんでもないもん拾っちゃったかな。自分の下心を恨んだ。ただでさえ魔術研究で前途多難だというのに。心の中で思い切り後悔していた。
店のメニューを一通り食べ尽くすと、やっと女の手が止まった。
「ハァー、お腹いっぱいになったよー」
見たところ、女のウエストのサイズは変わっていない。あれだけの量を食べたはずなのに。明らかにおかしい。
女はキアの両手を取って顔を近づけて来た。なぜか涙目だ。
「君ぃぃ~、本当にありがとう。こんなおいしい食事初めてかも!」
相手が美形なだけに照れてしまう。思わずキアの顔が真っ赤になる。
「そ、そんな礼を言われるほどの事はしていない! 俺に取っては人助けは当たり前だからな」
「ふーん、そうなんだぁ」
女はニヤニヤする。キアの照れ顔を察したようだ。いつの時代も女という生き物は鋭い。
「でもね、やっぱり大きな借りができちゃったよ。どうかボクを君の役に立たせてほしい。ダメ・・・かな?」
「役に立つ・・・どうやって? お前、何かできるのか? ボクの家の使用人は足りてるぞ」
「使用人? あ、もしかして君の家って貴族なの?」
「貴族がこんな店入るわけないだろ。ボクの親は鍛冶ギルドの頭なんだ。
それでこの店もギルドの傘下ってこと」
「へぇーそうなんだ。ところでギルドって何?」
思わず「ズルリ」と椅子から滑り落ちそうになった。女はニッコリ満面の笑みを浮かべていた。
驚愕だった。ギルドを知らない者がこの大陸にいたことが。
今やギルドが国や経済を動かしているというのに、それを知らないとは、世間知らずにも程があった。
相手にしていられない。普通ならここで別れてしまうかもしれない。でも、彼女の眩しく太陽のような温かい笑顔を見ていると、ついつい何でもしてあげたくなってしまう。そんな不思議な魅力があった。
キアは、それに惹かれつつあったことに自覚がなかった。いつの間にか自然と相手のペースに巻き込まれていた。でもそれが妙に心地良い。そして落ち着いてしまう。日頃の悩みなど溶けていくように忘れることができた。
キアはギルド制度や身分制度、今の王都について3時間以上もかけて
じっくりと丁寧に解説していった。どちらかというと、人と話すことは苦手なのに気が付けばペラペラと自論を交えて熱弁を振るっていた。
こんなに感情を込めて人と話したのは、何年ぶりだろうか。
「・・・という訳で、この国は工業で動いている。工業は職人が支え、そして富を生む。富は金だ。ゴールドさえあれば何でも自由に手に入れられる」
「お金? ゴールドって何?」
「ゴールドはお金の単位。そうだな、今お前がこの店で食ったメニュー全部で5万ゴールドだな。それで5万ゴールドを稼ぐためには、1人前の職人が
1週間は働かないといけない感じだ」
「なるほど。えっ!? じゃあボクは5万ゴールドをどうにかしなきゃなの?!」
「普通ならな。でもここは俺のツケが利くから大丈夫だ」
「しかしお前、金の価値も知らないのか。金を使ったことがないなんて、よっぽどの箱入り娘だったのか?」
「ボクの場合、仲間が食べ物とか着る物とか持ってきてくれてたし。家も作ってもらってたし」
「おいおい、そりゃ王侯貴族・・・ってことじゃないのか?」
キアは、この女が身に着けている装飾品の数々を見て警戒する。煤けてはいるが、間違いなく値打ちものだ。家を1件買っても、おつりが来るだろう。装飾品や宝石に疎い自分でもわかる。それほどの輝きがあった。
「まさか。ボクは貴族でも王様でもないよ」
それもそうだ。よく考えたら、貴族がこんな路地に倒れているわけがない。そもそも住む場所が違う。従者も引き連れず、1人で街を歩くなどあり得ない。
「そう言えばまだ名前を聞いてなかったな。それにお前はどこから来たんだ?」
「名前は、うーん、えーっとね・・・」
眼を瞑り、腕を組んで考え込む女。まさか記憶喪失なんて、ベタなオチはないよな。それだけは止めて欲しいと思った。
「名前はヤナ。ヤナ=エーデルツヴィッカー。ヤナでいいよ」
「俺はキア。キア=ヘルシングだ」
ヤナ=エーデルツヴィッカー。
昔々に聞いたことがあるような、そしてどこか懐かしいような名前だった。
「それで、お前は何者なんだ? 一体どこから来た? どこかの家出娘なのか?なぜ道端に倒れていたんだ?」
「いっぺんに聞かないでよー。フアァァ~ア。ボク眠くなっちゃった。お願いキア、今日は君の家に泊めて・・・」
「ばっ、馬鹿言うな!俺は今一人暮らしだぞ。女が男の部屋に泊まるなんてありえないだろ!」
キアは実家のギルドから徒歩10分程のところに住んでいた。アカデミー入学と同時に勉学に専念したいからと、親に土下座してまで借りてもらった貸家だ。
「そんな堅いこと言わないで、ムニャムニャ」
既にヤナは食堂のテーブルに突っ伏していた。スースーと気持ち良さそうな寝息を立てていた。その寝顔は、まるで無邪気な子猫のようだった。思わず見とれてしまう。だが困った。このまま家に連れ帰る訳にはいかない。かといって叩き起こすのも気の毒だ。もう少し寝顔を見ていたい。正直そんな気持ちもあった。
見かねた店長が、ユサユサと大きな体を揺らしながらやってきた。
「坊ちゃん、この娘、店の客間に一晩泊らせてやったらどうでしょう?」
「そっか、この店には客間があったな。頼む」
「お任せ下せえ。坊ちゃんの嫁は、あっしがしっかり責任持って預かっておきやす」
「違う! どうして嫁なんだよ! それ何段かステップ飛び越えちゃってるだろう!」
「じゃあステップを踏めば嫁さんってことですね」
ニヤリと店長がしたたかな笑みを浮かべた。やられた。見事な誘導尋問。
確かにヤナの雰囲気や容姿には惹かれている。それをこんな形で告白させられてしまうとは。
「うるさい! あとは任せたぞ。明日また来る」
「へぇ、かしこまりました。娘も居ますんで、不自由はしねぇと思います。
しかし坊ちゃん、コイツは不思議な娘ですねぇ。何だかこう、見てるだけで親切にしたくなっちまうっていうか、仲良くなっちまうっていうか。自然とあったけぇ気持ちになりやす」
店長が言ってることは、よく理解できた。自分も知らぬ間にそうなっていたからだ。
「こいつが何者かは知らん。でもずっと一緒に居たくなる。心地良いというヤツだな」
「・・・坊ちゃん、それ、プロポーズの言葉ですぜ」
キアは顔を真っ赤にした。耳まで赤く染まった。
「うるさいうるさい! とにかく頼んだぞ」
そう言い残してキアは、店を出ると自分の家へ戻った。
「ただいま・・・」
一人暮らしの借家だ。もちろん返事はない。部屋の中は真っ暗。つい10分前まで自分を包んでいた温かい心はどこかへ行ってしまっていた。
「アイツ、やっぱりうちに泊めればよかったかな」
キアは少し後悔した。でも自分には大きな目標がある、夢がある。そのためには、道で拾った女に気を取られている場合ではない。しっかり研究に打ち込まねばならない。
舞台は移ってようやく主人公さんらしき方のご登場です。