第46話 第4戦/神の敗北
次は第4戦目である。神聖帝国親衛隊、副団長のローレンシアの出番だ。赤の風一族のバイオレットも謎の存在である。だがこのローレンシアも謎の多い人物だ。口数も少なく、自己紹介も最小限。彼女の得意技が、相手の剣を折る”ソードブレイカー”ということしかわかっていない。ベンゲは噂話を知っていたようだったが、それだけだ。
さしものサザ国王も不安になって尋ねる。
「教皇殿…大変言い難いのですが、あの者は大丈夫なのでしょうか?」
ベンゲの話しからすると、腕は超一流。実戦経験も豊富である。だが誰もその実力を見てはいないのだ。唯一、ローレンシアの戦いぶりを知っているのは、この場ではエルフリーテだけである。
「はい。”鬼神の如く”という言葉がありますが、ベンゲ殿の戦いぶりに劣るものではありません。その強さ、教皇の名にかけて保証いたします」
教皇がそこまで言うなら大丈夫だろう。そう思う反面、相手は剣技のみでベンゲを破っている。かなりの実力者であっても不安を拭いきれない。負けは許されないのだ。しかし、今となってはもう彼女に頼るしかない。5番手のバイオレットに繋ぐまで、どれだけベルナルディーナの戦力を削れるか。腕の一本でも奪えれば御の字だ。国王はその程度に考えていた。
「おーい、誰か剣を1本貸してくれないか?」
のん気な声をあげたのは、ベルナルディーナである。ベンゲとの戦いで剣を割られている。ローレンシアは剣術使い。無手で立ち向かうのは、さすがに公平ではないだろう。
「これをお使いください!」
アルバータがわざと、訓練用の鈍らを放り投げた。第3戦までの剣よりさらに古びた剣だ。柄の部分には薄っすらと錆が浮いている。
ここで切れ味鋭い強固な剣を持たせようものなら、ローレンシアの勝率は限りなくゼロに近づく。アルバータの精一杯の稚策であった。
すると、信じられないことが起きた。対峙していたローレンシアが、投げた剣を闘技場の外へ蹴り飛ばしたのだ。
「…女、何をする?」
ベルナルディーナが眉間に皺を寄せる。
「あの剣は鈍らよ。斬れないわ。これを使いなさい」
ローレンシアは一振りの剣を渡した。剣の柄には、緻密で品のある装飾が施されている。およそ一般の剣とは異なっている。ベルナルディーナが鞘から剣を抜くと、鋭い細身の刀身が現れた。長さ1.2メートルほど。片手ででも両手でも扱える程度の重量だ。使い勝手のよいロングソードである。刀身の鋭さと輝きから、並の剣ではないことが伺える。名のある剣に違いない。
ベルナルディーナは興味深そうにブンブンと振り回していた。
「ふむ。なかなかの名剣のようだな。誰のものだ?」
「あそこの国王陛下の剣よ」
「何っ!?」
サザ国王は、自分の腰から剣が消えていることに気が付いた。いつの間に盗られたのか。とてつもない早業である。だが驚きと同時に安堵感も芽生えていた。
(余にまったく気付かせぬとは、相当な技量の持ち主だ。さすがは教皇殿の折り紙付き。これは期待できる)
「…良いのか? この剣はかなりの切れ味だぞ。お主にとって圧倒的不利となろう」
「そんなの関係ないわ。どんな武器を使おうが私の勝ちよ」
「戦う前から勝利宣言か。自信家だな。これは楽しみだ」
ベルナルディーナは愉快で仕方がない、とでも言いたげな笑みを浮かべる。
第3戦目のベンゲの壮絶な敗戦を見ても、動じないローレンシアの胆力も相当なものである。金髪碧眼のショートカット。真新しい鎧で身を包んでいる。見た目はまるで新人騎士のようだ。だが洗練されたその鋭い身のこなし、闘技場の観客たちも彼女の実力に直ぐに気付いた。彼女が剣を構えると、纏った銀の鎧と相まって、全身が一つの尖鋭感溢れる美しい武器のように見える。短剣二刀流の構え。果たしてどうなるのか。
国王が右手を挙げて宣言する。
「では第4戦、始めっ!」
両者の距離はまだ剣の間合いに入っていない。この戦い、剣の制空権を握った方が勝ちだ。ローレンシア得意のソードブレイクで、ベルナルディーナの剣が折れた時、勝敗は決すると言っていいだろう。
その頃、観客席ではバイオレットがひとり呟いていた。
「おかしいわ。私が国王陛下の剣を盗られるところを見逃すなんて…」
「それだけ彼女の技量が優れているのだろう。違うのか?」
アルバータは、自分の策がぶち壊しにされた事は気に入らなかったが、バイオレットにも悟られず動くことのできるローレンシアに、信頼を寄せ始めていた。赤の風の実力者を出し抜く程の者であれば、勝算は低くない。
「そういうレベルのお話しではございません。第3戦目が終わり、右大臣様が剣を投げ入れられました。その時点では、まだ国王陛下の剣は御腰にありました。ローレンシア殿はその時、既に闘技場の中。陛下までの距離は、少なくとも50メートルはございます」
「なんだと? ローレンシアは、僅か数秒の間に闘技場から往復100メートルの距離を移動し、国王陛下の剣を腰から奪ったというのか? 誰にも気づかれぬままに…そんな事ができるのか?」
「わかりません。私たち赤の風一族にも、高速移動に長けた者はおります。しかし、高速で移動するだけならともかく、この数の観衆の目に気付かれず、というのはまず不可能です。”魔法使い”なら別ですが」
横目で話を聞いていたヤナが口を開いた。
「ううん。ローレンシアが魔法を使った気配はなかったよ。そしてボクも、彼女が国王の剣を奪った事にまったく気が付かなかったよ…リーテ。彼女は一体何者なの?」
堪らずヤナが尋ねる。自然とリーテに周囲の注目が集まった。
闘技場の中はまだ静かだ。動きがない。
動いているのは宙を舞っている埃だけである。
「実は…素性はよくわからないのです。私と知り合う前から、神聖帝国の国籍を持っていたのは確かです。彼女の両親にも会ったことはあります。普通の家庭でした。ですが、彼女は元々孤児だったようです。ですから、本当の素性はわからないのです。しかし私に10年も仕えてくれている者です。信頼は置けると思います」
結局、彼女の事は誰も知らないことが判明した。
不意に剣の打ち合う音が響き渡った。闘技場の中が動いた。ローレンシアとベルナルディーナが剣を振るっている。剣先が見えないほど猛烈な速度ではあるが、体の動きは両者ともよく見える。見た目だけで判断すると、剣技は互角だ。
「ふぅー。あのベルナルディーナ様と互角に打ち合うとは。安心したぞ」
アルバータが安堵のため息と共に、椅子に深々と腰かけた。
「いいえ。ローレンシアが優勢です」
バイオレットが青ざめた顔で言った。
「どういう事だ? 文官の儂だが、闘いを見る目だけは肥えておるつもりだ。互角としか思えぬが…」
「ローレンシアは”先読み”のさらに先を行ってます」
ベルナルディーナは、相手の一手先を確実に読める。しかも自然な動作として”戦の所作の中で”、である。それを破るには、ベンゲ並のスピードとパワーが必要である。もしくは予備動作無しの特殊で高度な体捌きが必要となる。
だが、現に闘技場で繰り広げられているのは、普通の剣と剣の打ち合いだ。ローレンシアの予備動作は大きくわかりやすい。そしてスピードもパワーもベンゲ以下である。だが、ベルナルディーナとほぼ互角に打ち合っているのだ。これはローレンシアが、ベルナルディーナの”先読み”を封じているからだ。
「でも一体どうやって…」
バイオレットが目を細めて観察に集中する。優れた武芸者は優れた観察眼を持つ。赤の風で最も基本的で重要な技術である。だが、どんなに集中してもローレンシアの先読み封じのからくりがわからない。
ベルナルディーナは自分の”先読み”が通じない事に舌を巻いていた。先読みして確実に一太刀浴びせられるはずが、尽く外れるのである。相手がどういう技を使っているのかわからない。だが、想像はできる。互角に打ち合ってきているのだ。つまり、先読みすることを読まれているのである。これは赤の風にもない技だ。
もう一つの可能性としては、先読みを外すようなフェイントを入れることである。誤った先読みを誘導するのだ。だがその技は先読み以上に難しい。なぜなら、実質的に2手先を読む必要があるからだ。読み手数が増えれば、先読みの確実性は劇的に落ちる。一つ読み間違えただけで命にかかわるのである。
心を読む魔法でも使わない限り、実戦では使えないだろう。フェイントを入れ、敵の動きを誘導する。だがさらにその裏を読まれる確率もあるのだ。しかしローレンシアは、何百という打ち込みをすべて綺麗に防御している。おそらく”先読み”の裏をかき、フェイントで誘導するという技は使っていないだろう。確率的にもありえない。
打ち合いが始まって数分が経った。ベルナルディーナの顔に疲労の色が見え始めた。連戦のせいではない。明らかに今、ローレンシアがもたらしている疲労感である。
観客席は静まりかえっていた。闘技場からは、剣と剣がぶつかり合う音しか聞こえてこない。一瞬でも気を抜けば、どちらかが致命傷を負う闘い。果てしなく続くと思われた打ち合い。
だが ―――
突然ローレンシアが剣の間合いを外し、大きく後ろに飛び退いた。ベルナルディーナは肩で息をしている。あの余裕で涼しかった顔が汗まみれである。
「…さすが国王の名刀ね。私のスティレットが欠けたわ」
ローレンシアが右手に持つ短刀。刃の中ほどが大きく欠けていた。国王の刀の鋭さが勝ったのだ。打ち合いは互角でも、剣の差でベルナルディーナの方が優勢になった。
「ちっ、だから儂が渡した剣を使わせておれば…」
アルバータがイライラしながら身を乗り出す。
二刀流使いが主要な一刀を失ってしまった。単純に考えれば攻撃力は半分になる。勝負は一気につくだろう。だが、ローレンシアから発せられた台詞は意外なものだった。
「さて…お遊びはここまででいいかしら」
「お遊びだと?…お主は手を抜いていたとでも言いたいのか。それともはったりか?」
「手は抜いてないわ。でもね…あなた、いえ”貴方たち”は、やり過ぎた」
「…どういう意味だ?」
ベルナルディーナは、この会話自体がローレンシアの攻撃準備であると判断し、警戒レベルを最大まで上げた。剣の柄を握り直し、赤の風独特の呼吸法で息を整える。息が整えば体力も回復する。回復力は人間では最高のものを持っている。大丈夫だ、と体に言い聞かせる。
ローレンシアは、右手のスティレットを床に投げ捨て、左手のソードブレイカーだけを構えた。つられるように、ベルナルディーナも剣を慎重に構え、隙のないように気を引き締める。先読みをするための集中力も最大まで高まっている。おそらくこの状態からなら、どんな人間の攻撃も防ぐことができる。音速を超えた剣が10撃同時に来ても、防御できる自信が彼にはあった。
――― しかし…
次に彼が認識したのは、構えていたはずの王の剣が折れ、自分の腹部にスティレットが深々と刺さっている光景だった。
瞬きすらしていなかったはずなのに。何も見えず、何も感じなかった。彼女の動く音すらしなかった。何よりも、剣が折れる際の金属音も皆無。そしてローレンシアが捨てたはずのスティレットが、なぜか今、自分の腹部に突き刺さっている。
「な、なぜだ?…」
闘技場の全員が、ローレシアの攻撃を理解できていなかった。
「お主、”魔法”を使ったな?」
ベルナルディーナが腹部に刺さったスティレットを抜きながら言った。
「魔法? ああ、あの設計図がどうとかいうヤツね…使ってないわ」
ベルナルディーナが声を振り絞って叫んだ。
「嘘をつけ。ヤーナよ! こやつは魔法を使ったかーっ!?」
「使ってた形跡はないよー!」
「馬鹿な…魔法を使わず、どうして認識すらできない攻撃ができる?」
「答える義理はないわ。私は私の仕事を遂行するだけよ」
ベルナルディーナは、腹から抜いたスティレットを投げつけた。投げナイフの要領だが、その速度たるや音速に迫るほど。高速移動ができるローレンシアなら難なくかわすだろう。だがそれも計算のうちだ。ベルナルディーナは投げると同時に、全速力で闘技場の外に落ちていた剣を拾った。最初にアルバータが投げ入れた剣である。鈍らではあるが、折れた剣よりは役立つ。
だがローレンシアはスティレットをかわしただけで、一歩も動いていなかった。ベルナルディーナが改めて剣を構える。何か違和感を感じた。その直後、自らの首から勢いよく血が噴き出していた。手で傷口を圧迫して押さえるが、出血は止まらない。太い動脈が切れているのだろう。
またしても、ローレンシアの攻撃を誰一人認識することができなかった。
何よりも驚いているのは、当のベルナルディーナだ。ローレンシアとの距離は30メートル以上離れている。そこから認識すらできない攻撃が来る。何もかもが理解の外だった。認識できない攻撃を防ぐことはできない。何しろ攻撃自体に気付くことができないのだから。いわば、すべてが不意打ちなのである。
もはや勝敗は決している。ベルナルディーナは放っておいても数分で死ぬ。首の動脈と共に重要な神経がいくつか断ち斬られていた。手足を動かすこともままならない。
「お主一体何者だ? そして先ほど”仕事”と言っていたな。それは何だ?」
ベルナルディーナが口から血を吹きながら問いかける。
ローレンシアは顔色一つ変えていない。
「本当に好奇心ってヤツは厄介ね。その知識欲がすべてを滅ぼすのよ。話してあげましょうか。どうせ時間はどうとでもなるし…」
観客席のヤナ達は、眼前の光景に身動き一つ取れずにいた。あのベルナルディーナが負けた。人間側が勝ったのだ。これで世界は彼に壊されずに済む。安堵感と喜びに包まれるはずだった。しかし、目の前で起きたあまりに不可解な戦い。ローレンシアの台詞に、試合が始まる前よりも不安と恐怖が増していた。
「私の名前は”時の神”。仕事は神を気取った貴方たちを消して、世界のバランスと調和を取り戻すこと」
「”時の神”だと。そんなものが存在するはずがない」
「まぁいいわ。人間流に言うと冥途の土産ってやつかしら。最後に願いを叶えてあげる。全空間の時間を自由に操る者が今、貴方の目の前に居るわ」
「…なるほど。お主の攻撃が認識できなかった理由はそれか。時間を操られては、手も足も出ぬ。しかしそれは魔法ではないのか?」
「この世界は貴方が造った、と思っているみたいだけど…本当は私達が貴方に造らせた世界なのよ。魔法なんてものは、ただの幻想」
「ふっ。確かに我は知恵持つただの人間に過ぎぬ。研究者だ。お主が真の神で、我も単なる箱庭の中の存在だったということか? お主は入れ子の上位階層ということか?」
「理解が早いのは好奇心の美点ね」
「そうか。我がどれほど研究を重ねても理解できぬ領域、制御できぬ現象があった。それは我自身が下位の存在だったという証明か…」
「ええ。でも貴男は、この世界に少々目障りな存在になってきた。それと、あのヤナ、キュア、エルフリーテもね」
「ははは、お主たち神の目障りになったということは、真理に近づいたのだな、我は…」
いつの間にか、ヤナ、キュア、エルフリーテを中心として、事情を知る者たちがローレンシアとベルナルディーナを取り囲んでいた。
もはや試合どころではなかった。ヤナは早くベルナルディーナの治療をしたかったが、ローレンシアの放つ不気味な空気がそれをさせなかった。
「残念ながらそうよ。真理を知る者は最小限に止める。これが神のルール。下位の者が上位に上がることは絶対に許されない」
ローレンシアは冷徹に言い放った。だが、それでもベルナルディーナは口角を思い切り上げ、笑っていた。




